第185号コラム:辻井 重男 顧問(中央大学研究開発機構 教授)
題:「円と楕円、RSA暗号と楕円暗号―プラトンのイデアの視点から」

楕円暗号という公開鍵暗号があり、これはRSA暗号よりも格段に安全性が高い。

例えば、RSA暗号で鍵の長さが1024ビット必要なとき、楕円暗号なら160ビット位で足りる。RSA暗号の鍵長2048ビットに対しては、楕円暗号の鍵長200ビット弱が相当する。RSA暗号には円が対応し、楕円暗号には楕円が対応する。
楕円と一言でいっても、

離心率に応じて様々なものがある。離心率が0.5位のいかにも楕円らしい楕円もあれば、見た目には円と変わらない楕円もある。

 今、宇宙の大きさほどの広がりを持つ円Cと2種類の楕円A、Bを考えよう。

楕円Aの離心率を0.5、Bのそれを(10の-80乗)と仮定する。宇宙には10の80乗個の素粒子があると言われているので、素粒子1個分ほど横に広がった楕円を想像してもらいたい。楕円Aから作成される楕円暗号は、円Cから作成されるRSA暗号よりも格段に強い。

さてそれでは、

視覚的には、神以外には、円としか見えない楕円Bからできる楕円暗号の強さは、どちらに近いのだろうか。

いかに離心率が小さくても、楕円は楕円であり、楕円Bから作られる楕円暗号は楕円Aのそれと同等の安全性を持つ。

楕円という数学的実在は、そのまま社会的実在となる

哲学者 西田幾多郎(1870~1945)は、名著「善の研究」において 次のように述べている。

「物理学者の言う如き幅なき線、厚さなき面などというのは実在するものではない。この点では、芸術家の方がよほど、実在の真相に達しているのである。…」(岩波文庫)

果たしてそうだろうか

 楕円も円も幅のない線で書かなければならないので、物理的には存在しない。
数式として数学的にのみ存在する(その意味では、善の研究の著述は「数学者の言う如き…」と改めるべきであろうが、当時、数学と物理は区別なく一体的に受け止められていたようである)。

一方、古代ギリシャでは、自然哲学者タレス(紀元前624年~紀元前546年)が「幅のない縄、つまり縄のイデア」を提唱している。続いて、大哲学者プラトン(紀元前 427年~紀元前347年)が現れ、プラトンのイデア、中世キリスト教の人格神、近代の理性と19世紀に至るまで続く西洋哲学の源流を構築した。イデアの世界を本質的世界と見なし、現実世界をその下に見る物質的世界観、いわゆる2世界モデルである。

この世界観が、近代科学の発展を促し、科学を基盤とする技術が産業革命を起こして、人々に豊かな生活をもたらした。しかし、その様々なマイナス面が自覚されるに及んで、西洋の思潮も19世紀後半には、実存、多元、相対、関係などで表現される方向に向きを 変え始めるのだが、そのことは哲学書に譲るとして、ここでは我々は、数学というイデアの 世界について考えてみたい。

1、2、3、…というモノは存在しない。実在するのは、1人、2人、3人、…、あるいは、りんご1個、2個、3個、…などである。それにも関らず、未開人でも、1、2、3、…という抽象概念、すなわちイデアの世界を持っている。
したがって、 上述の2世界モデルは、西洋に限った話ではないとも言えるが、その概念的世界への認識の深さ、概念構築の厳密さに、西洋思想の特徴があるといえる。

技術システムは多くの場合、物理現象を利用して実現され、社会的に利用される。しかし物理現象を厳密に理論値通りに実現することは難しく、近似的にしか実現できないことが多い。これに対して、楕円暗号の場合、有限体上の計算であるため、物理的には実在しない楕円という数学的な実在が、直接社会的な存在物として、例えばICカードに収められ、電子マネーなどとして利用されるのである。
そして、宇宙の広がり程の半径の 円に対して格段に高い安全性をもって、社会的機能を果たしているのである。数学というイデアの世界が、物理的実在を超越して見事に社会的実在となる典型的な例である。

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