第53号コラム: 小向 太郎 理事(株式会社情報通信総合研究所 法制度研究グループ部長
上席主任研究員)
題:「デジタル・フォレンジックは法律の試験問題になるか?」
前回このコラムを書いたときに、デジタル・フォレンジックに関して法律・制度の面で研究すべきことは、法的係争に際して技術をどう扱うべきかということであり、従来は次の二つの問題を中心に考えられてきたと申し上げました。
(1)集めた証拠が裁判上の証拠として認められるか
(2)採用する技術や運用方法によって裁判上の証拠としての価値に差が出るか
ところで、法律科目の講義や資格試験で、デジタル・フォレンジックに関する試験問題というのはあり得るでしょうか?法律に関する試験といえば、司法試験がその代表です。いわゆる旧司法試験の論述試験で、平成に入ってから出題された問題を見ていくと、平成13年にコンピュータのデータに関する問題が二問出題されています。刑法の第2問と刑事訴訟法の第1問です。
刑法の問題は、勤務先の機密情報をフロッピーディスクにコピーして持ち出してライバル会社に売却しようとしたことに端を発する事件の罪責を問う事例問題で、データの証拠としての取扱いについては、(訴訟法の問題ではないので)当然ながら問題になっていません。一方、刑事訴訟法で出題されたのは、次のような問題です。
「詐欺事件を捜査中の警察官は、「磁気記録テープ、光磁気ディスク、フロッピーディスク、パソコン一式その他本件に関係する一切の物」を差し押えるべき物とする捜索差押許可状を請求し、その発付を得た。警察官は、この令状に基づいて、捜索差押えの現場で、その内容を確認することなく、フロッピーディスク100枚を差し押さえた。以上の手続に含まれる問題点について論ぜよ(平成13年、刑事訴訟法第1問)。」
電磁的記録は「他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録(刑法第7条の2)」なので、そのままでは何が記録されているか分かりません。一方、強制捜査である捜索・差押えを行う際には、その対象をできる限り限定することが求められています(憲法第35条1項、刑事訴訟法219条1項)。外から見ただけでは何が記録されていない記録媒体を差し押えるためには、記録の内容を確認して捜査に関連のあるものを選別した上で差し押えるべきか、包括的に差し押えを行ってもよいか、ということが論点になります。
この論点は、実際に裁判でも争われており、裁判所はその媒体に対象となる情報が記録されている蓋然性が高ければ包括的な差押えが許容されるという立場をとっています。あまりに包括的な差押えが許容されるのは問題だという批判があり、例えば、デジタル・フォレンジック研究会副会長の安富潔先生が書かれた『刑事訴訟法』(三省堂、2009)186-187頁でも、詳しく論じられています。
捜索・差押えのような個人の権利・利益を制約を伴う捜査(強制処分)が法律の定めに反して行われた場合には、それによって得られた証拠は原則として採用できません。したがって、上記の分類でいえば、「(1)集めた証拠が裁判上の証拠として認められるか」の問題ということになります。いわゆるデジタル・フォレンジック技術が使われていないのでちょっと違和感があるかも知れませんが、法的紛争・訴訟における電磁的記録の証拠保全の問題であり、デジタル・フォレンジックの法律問題といってよいでしょう。
刑事訴訟の世界では、新たな技術によって強制処分に当たる捜査が行われたような場合に、どのような範囲で許容されるかということが従来から議論されています(写真・ビデオ撮影、体液の採取、通信傍受等)。これは、犯罪捜査が不当に人権を制約することがないように、法律が歯止めをかけているからです。
一方、私人と私人の争いである民事訴訟にはこのような制約がないので、訴訟当事者が電磁的記録を証拠として取り上げることに問題はありません。電磁的記録は文書あるいはそれに準じるものとして取り扱うという考え方が有力です。そして、証拠の評価について広く裁判官の自由な判断にゆだねている民事訴訟(自由心証主義:民事訴訟法第247条)では、証拠として取り上げることが許されない文書というのは基本的にありません。したがって、現在のところ、我が国の民事訴訟では、「(1)集めた証拠が裁判上の証拠として認められるか」ということはあまり問題になりません。
二つ目の論点としてあげた「(2)採用する技術や運用方法によって裁判上の証拠としての価値に差が出るか」は、証明力の問題であるといってよいでしょう。これについては、刑事訴訟(刑事訴訟法第318条)も民事訴訟も自由心証主義を採っています。記録等の方法に明らかに問題のある場合には、そもそも証拠として採用されない例もあるようですが、現在のところ、保全方法等による証拠の信憑性が正面から争われた例は、あまりないと思います。しかし、デジタル・フォレンジックに関心をお持ちの皆さんならおわかりの通り、 技術と運用によって証拠としての信頼性に大きく差が出るのは、厳然たる事実です。
法律の試験問題は、ある程度論点が確立しているものについてでないと出しにくいところがあります。 評価基準が不安定になると受験生にとっても不公平になるし、出題者にとっても不安だからです。
また、もしかするとこの問題は法律学の問題と言うよりは、運用上のルールのあり方として議論されるべきものかも知れません。しかし、法律学の問題になるかどうかはともかくとして、採用する技術や運用方法と証明力の関係については、ある程度客観的な評価ができるように、さらに検討していく必要があるでしょう。
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