第262号コラム「デジタル・フォレンジックと日本の将来―言語と論理の視点から―その1」
第262号コラム:辻井 重男 顧問(中央大学研究開発機構 教授)
題:「デジタル・フォレンジックと日本の将来―言語と論理の視点から―その1」
1.この題名は、言語解析的に見て如何?
この題名では、(デジタル・フォレンジック)と(日本の将来)の関係について考察すると言う意味に受け取られるかも知れませんが、私の意図は、「デジタル・フォレンジックの将来」についても「日本の将来」についても、言語と論理の視点から考えてみたいという点にあります。つまり、「(デジタル・フォレンジックと日本)の将来」です。
同じ構文でも、「晶子と鉄幹の将来」という題名なら、「(晶子と鉄幹)の将来」という意味に受け取る人が、「晶子と(鉄幹の将来)」より多いかもしれません。日本語の構文解析は、意味解析レベルまで上げないと難しいということの一例でしょう。「日本語の」と断りましたが、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語など欧州語同士の翻訳には、通常、翻訳者のオリジナリティは認められないようです。単語レベルの形態素解析と文法レベルの構文解析で、機械的にやれるということでしょう。
このコラムでは、デジタル・フォレンジックにおける言語解析と論理学の導入、及び、日本文化における論理性について、2回に分けて考えてみたいと思います。
