第92号コラム「企業活動における信頼性」

第92号コラム:伊藤 一泰 理事 (株式会社インターセントラル 常務取締役)
題:「企業活動における信頼性」

企業活動における信頼性の評価を論ずるケースが増えている。筆者の経験では、昔は信頼性というより「信用」の評価が一般的だった。すなわち、金融機関における与信業務(融資)の際には、企業の「信用」(収益力や財務内容など)を審査するのが主眼であって、信頼性の審査はあまり重要視されていなかった。せいぜい、経営者の風評や監督官庁に対し登録・免許がきちんとなされているかを確認するぐらいであった。

 

しかしながら、近時は、数字に置き換えにくい評価要素が増え、「信用」から信頼性への審査主眼のシフトが見受けられるようになってきた。ここでは、ひとつの参考事例として、「環境格付」[1](環境に配慮した経営の評価)について付言しておきたい。この場合、当然ながら、「信用」に問題ない前提で、さらに上乗せで、環境問題への取り組み姿勢などの企業活動に対して、信頼性の評価が行われている。いわば、CSR(企業の社会的責任)を評価するようなものである。

第91号コラム「個人の尊厳と公共の利益」

第91号コラム:秋山 昌範 理事 (東京大学 政策ビジョン研究センター 教授)
題:「個人の尊厳と公共の利益」

 

最近の紙面をにぎわしている話題に日本航空(JAL)問題がある。JALは社員である個人の権利を守りすぎて、会社(全体)が破綻してしまった例であり、これは部分最適による失敗例の一つである。一方、全体最適の視点から、全体を考えすぎて、個人が破綻してしまった例もある。ダムの問題も広い視点では、その一例といえるかもしれないが、もっと身近な話題がここにある。医療は公共の利益を重視しすぎて、現場の勤務医が疲弊した例といえる。

いずれの場合も全体(会社や公共)・個人双方に言い分があり、どちらが正しくどちらが間違いという単純な問題ではなく、トレードオフの問題である。このような問題が、従来認識されてなかった理由として、戦後から近年まで、右肩上がりの成長経済が持続したことがあげられる。前述した問題は、労働経済学的には、いずれも生産性の問題であり、それを向上させるためには、資本の注入か労働資源の投入により解決される。したがって、成長経済下では、資本増強や人員増で簡単に解決した。資源をただ配賦すればよいからである。しかし、近年の経済成長が止まり、今後もそれが見込めない社会では、いずれも解決策とならない。労働経済学的に残る解決策は、イノベーションのみである。ここで、資本や人を増やせないとイノベーションは難しい命題になる。