第91号コラム: 秋山 昌範 理事 (東京大学 政策ビジョン研究センター 教授)
題:「個人の尊厳と公共の利益」

 

最近の紙面をにぎわしている話題に日本航空(JAL)問題がある。JALは社員である個人の権利を守りすぎて、会社(全体)が破綻してしまった例であり、これは部分最適による失敗例の一つである。一方、全体最適の視点から、全体を考えすぎて、個人が破綻してしまった例もある。ダムの問題も広い視点では、その一例といえるかもしれないが、もっと身近な話題がここにある。医療は公共の利益を重視しすぎて、現場の勤務医が疲弊した例といえる。

いずれの場合も全体(会社や公共)・個人双方に言い分があり、どちらが正しくどちらが間違いという単純な問題ではなく、トレードオフの問題である。このような問題が、従来認識されてなかった理由として、戦後から近年まで、右肩上がりの成長経済が持続したことがあげられる。前述した問題は、労働経済学的には、いずれも生産性の問題であり、それを向上させるためには、資本の注入か労働資源の投入により解決される。したがって、成長経済下では、資本増強や人員増で簡単に解決した。資源をただ配賦すればよいからである。しかし、近年の経済成長が止まり、今後もそれが見込めない社会では、いずれも解決策とならない。労働経済学的に残る解決策は、イノベーションのみである。ここで、資本や人を増やせないとイノベーションは難しい命題になる。

いわゆるヒト・モノ・カネのいずれも投入できない中でのイノベーションとなると、現状の資源を再構築し、最適化を図ることになる。当然、全員が満足というわけには行かない。どこか(部分)に集中的に犠牲が集中するのも、継続性がなく、失敗に終わるだろう。これを成功させるには、できるだけ多くの人間に、納得いただくような忍耐と努力を広く薄く強いることである。そこでは「公平性」が要求され、それを担保するために「透明性」が必要である。透明性の担保には、情報開示の前に、事実の記録およびそれらの情報が「正しく」「誰にでも読め」「改ざんされない」ことが必要である。いわゆる真正性、見読性、保存性が必要である。

このように、生産性の問題である医療崩壊を解決するには、資本の投入か人材投入が第一であるが、そのためには医療費を増やす必要がある。その財源は一般国民が直接窓口で払う医療費、保険料、税金投入等であるが、現在の状況では、それらの財源を増やすコンセンサスが十分得られていない。マスコミ等の報道で、夕張等の市民病院に限らず多くの公共医療機関が赤字であることは周知の事実となっている。どうして同意されないのであろうか?原因として、情報量の問題もあるだろうが、おそらく国民側は、まだ無駄が存在すると考えているのでないだろうか?国民から見て必要かつ十分な情報が提示されているとは考えられていないようである。情報の信頼性の問題として、セレクションバイアスの議論も出ている。これらは、ステークホルダー間の相互不信に根ざしている。この信頼関係を阻害する大きな要因は、「医療の閉鎖性」とか「ブラックボックス」という言葉で表現されている。つまり、国民サイドから見たときに、いかに医療機関内部が見えないかということである。その閉鎖性を払拭しようとする場合に、ITが役に立つ。しかし、単に情報の開示のみでは不十分である。カルテ開示をする、カルテを見せるという行為だけで、単純に信頼を回復できるとは思えない。一度事故が起こってしまうと、単に情報公開しただけでは、開示されたのは一部のみで全体像ではないのではないかという危惧が国民側にあるだろう。いわゆるカルテの改ざん等である。また、事故が起こった場合、そもそも「最初からカルテに記載しない」という例もあるだろう。この場合は、いくら開示をしても無意味である。

したがって、信頼回復時には、ただ単に見せるのみではなく、その情報が如何に正しいか、全体像であるか、隠していないか、この情報の正確性ということが担保されなければ、いくらカルテを見せて、いくら看護記録を閲覧しようが、何の信頼感も得られないと思われる。即ち、「正確に記録をする」ということは、簡単なようで以外と難しい。周知のように医療現場は大変忙しい。医師のみならず看護師も大変である。諸外国に比べ職員の数が少ないという大変な激務の中で、如何に正確な記録を行うかを追求すると、さらに多忙になる可能性がある。その正確な記録を取る時間をかけつつ、医療の質を下げないようにするという難しい問題をはらんでいる。さらに、診療情報をただ単に見せるだけで、医療側の説明責任は十分に達成されるわけでなく、患者や家族に理解されるように丁寧な説明を行う必要があることはいうまでもない。結果として、超過勤務が増えるようでは、良い解決とはいえない。

国民から信頼を得るためには、それらの正確な記録は、再評価(自己評価、客観評価)が可能な記録が行えなければならない。そのために、医師が行った診療行為に関わる記録を、自己および第3者が追跡、検証が可能なようにするため、診療に関わる行為を発生順に参照、出力できる手段を有すること、すなわち医療のプロセスが分かるように時系列表示ができなければならない。医師による指示の記録だけではなく、他の医療従事者が作成した記録、それらの記録の参照履歴(Audit trail)についても蓄積できるシステムであることが望ましい。さらに、蓄積された診療に関わる実績情報を患者、疾病、医療従事者、診療行為単位に抽出し、各々のグループの中で比較、分析を行うことにより、医療のパフォーマンスの数値化や治療結果の評価が可能なシステムであることも求められる。さらに、経営に資する情報を含んだ記録が作成され、十分な経営管理を可能にする必要がある。その要件として、電子カルテシステムに記録される情報は医事会計システム、物流システム等から得られる実績情報と関連づけを可能として、病院の経営状況を把握し、改善のための情報を提供可能なシステムであることが必要である。

昨今の中医協(中央社会保険医療協議会)等の議論でも、データ抽出の偏りが問題になっている。そこには、恣意的にデータを集めたのではないかという疑念である。周知のように、これまでの仕組みでは、データサンプリング手法が大きな問題点であり、全数をつかめないという前提では、サンプリング時、データ解析時の2点でどうしても誤差を生みがちである。しかし、コンビニエンスストアのPOS(Point of sale)のようにITを用いると全数を集めることは可能になった。医療においてもこの考え方で全数を収集可能である。そうすれば、相互不信の解消につながるだろう。その上で、これらのデータは正確で信頼できるものでなければならない。デジタル・フォレンジック技術を用いて、真正性、見読性、保存性を担保した上で初めて、医療費の問題についても、全数収集を前提にした正確なデータに基づく議論が可能になるであろう。

 

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