第175号コラム:和田 則仁 理事(慶應義塾大学 医学部 一般・消化器外科)
題:「病院における「紙」の取扱いについて」

慶應義塾大学病院では、来年1月から電子カルテを導入する。特定機能病院の中では後発組となってしまったが、診療・教育・研究のレベルをより高めていくためにも、医療情報システムの適切な設計が求められるところである。今回、縁あって当院の総合医療情報システム導入委員会の委員を拝命した。その活動を通して実感されられた病院における「紙」、すなわち紙に記された情報の電子化における諸問題について若干考察したい。

病院の診療業務において紙媒体の書類の発生は避けられない。例えば同意書である。患者さん(あるいは代諾者)は、侵襲的な検査や治療にあたり、事前に予定される医療行為の利害得失について説明を受けた上で書面で同意を表明する必要がある。いわゆるインフォームド・コンセントである。署名をしていただいた同意書は、患者さんに侵襲を加える根拠としてきちんと保管する必要がある。外科医が傷害罪で訴追されないための大事な証拠である。また医療行為を保険診療として行い支払基金に診療報酬を請求する場合、その要件として同意書等を整備する必要もあり、その保管方法までもが細かく規定されている。同意書以外にも他院からの診療情報(紹介状)も紙媒体で提供されることが一般的である。紙カルテでは、このような書類はカルテのバインダーに一緒に整理されていたが、電子カルテではスキャンした画像をファイリングすることで電子化される。

スキャンを行う場面として2つの場面が考えられる。ひとつは、原本は紙のままとして利便性のために電子化するという場合である。もうひとつはe-文書法の要求事項を満たす形で電子化し、電子化した情報を原本とするという場合である。後者の場合、紙は破棄しても差し支えないが、何らかの事情で紙を参照しなければならない事態のために、スキャンした日ごとに段ボール箱にまとめて保管するという運用が可能である。一方、前者では患者さんごとに書類を整理して、すぐに原本の紙を参照できる体制を整えなければならないとされる。すなわち、紙カルテの管理と同様の手間が必要となる。当院では後者を採用した。

スキャンしたデータをe-文書法に対応させるためには、スキャナーに一定の精度を持たせること、書類が発生してから遅滞なくスキャンすること、スキャン作業者の電子署名とタイムスタンプの付与などが求められ、そのための費用も発生する。しかし、約1000床の入院ベッドと、1日平均約4000人の外来患者さんがある当院において、「紙」を個人ごとに整理しいつでも参照できるようにすることに比べれば、e-文書法対応の手間とコストは高くないという判断であった。

しかしながら、現場からは不安の声も上がった。緊急手術の同意書はどうするのか、CT検査室ではいちいち電子カルテ上で同意書を確認していては仕事にならない、などの意見である。当院では電子化にあたり幾つかのスローガンがある。「全体最適化」や「ノン・カスタマイズ」である。個々の事情により全体最適を損なうことや、パッケージのカスタマイズによるコスト増大を避けることをめざしたものである。実際のところ、一部の声の大きい(否、プレゼンの上手いというべきか)グループの無理が通ったり、効率だけでは押し切れない大学独自の考え方が適応されたり、大組織における重要事項の意思決定過程を学ぶ良い機会となった。リーダーシップの重要性が再認識されたともいえる。

私自身が考える臨床現場における判断のための優先順位は、患者安全、医療の質、効率、快適さの順である。限られたリソースでどこまで実現できるかは、まさに執行部の判断になるが、意思決定者が必ずしも医療の現場に精通していなかったり、長期的なビジョンを欠いた判断をしたりすると、何ともセンスのない代物が出来上がることになりかねない。やはり大事なのは組織の中で共有する価値観を明らかにし、それを具現化することなのではないかと実感させられる。

個々の「紙」の取扱いに関する細かい運用はこれから詰めていく段階だが、新しい医療情報システムの良さを十二分に引き出せるように、現場の方々が柔軟に業務フローを考えていただけることを願っている。現状でもCT検査の際に、同意書が確認できなかったので造影はしませんでした、ということが臨床の現場では起きている。目の前に患者さんがいて、その検査を受けにわざわざ来ているのだから、同意は明らかであろう。もちろん実際はケースバイケースである。過去に同じ検査を何度も受けていて何の問題もなかったのであれば患者安全の観点からリスクは低く、医療の質を高めるためにも造影検査をすべきであろう。しかし、腎機能が低下していたり過去にアレルギー反応を起こした既往があったりする患者さんでは、同意の確認は慎重にしなければならない。すなわち同意の確認する主体が、アルバイトの事務員であれば医学的な判断を要する個別的な対応はすべきでないし、資格を持った専門家であれば自身の資格を賭して適切な判断を行い、電子カルテに記録を残したうえで質の高い医療を提供すべきである。

逆説的かもしれないが電子カルテでは紙カルテに比べて「紙」がないという状況は減るのではないかと思う。紙のカルテでは知りたい情報を探し出すのは手作業である。特に通院期間が長くカルテが分厚くなった場合には目的の書類にたどり着くのに一苦労という場合がある。電子カルテでは、スキャンした「紙」は時系列や種別での検索で容易に絞り込むことが可能となる。一方で「紙」が発生してからスキャンされるまでのタイムラグが問題となりうる。当院ではスキャンセンターを設置し中央でスキャンする運用にする予定である。「紙」は一両日中にはスキャンされるがその間は「紙」が確認できない状態である。したがって緊急の医療行為への対応方法はよく考えなければならない。例えば、とりあえず患者さんは「紙」の同意書もって一緒に動いていただき、医療行為が終了したのちにスキャンへ回すという方法がある。また「紙」の同意書のコピーを取り、原本はスキャンに回しコピーをもって同意確認の作業を行うという方法も考えられる。しかし、私が効率的と考える方法は、同意書に署名をいただき同意書はスキャンに回しています、という情報を医師や看護師が電子カルテに記録するという運用である。もちろん人の生死にかかわるような、例えば脳死移植における臓器提供の同意確認ではありえないが、通常の医療行為においては、患者安全や医療の質が低下しないことを前提に、許容されると私は考える。

近年、医療に対する社会の目は、決して寛容とは言えない。そのような空気の中で、医療従事者の萎縮的な態度や、過剰なまでの確認作業、プロフェッショナリズムを放棄したとも言えるリスク回避への傾向が強まっている。病院における「紙」の取扱いは、医療という複雑なシステムのユースケースの一部なのかもしれないが、素人でも対応可能な無難な運用設計よりは、個々の医療従事者がプライドをもって役割を果たすような仕組みの方が良いのではないかと思う。

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