第253号コラム:辻井 重男 氏(中央大学研究開発機構 教授)
題:「論理学暗号の提唱-「デジタル フォレンジック論理学」を始めて見ませんか」
本年1月、京都で開催された毎年恒例の「暗号と情報セキュリティシンポジウム」は600人以上の参加者を得て、活発な議論が展開された。私も、「論理学暗号の提唱」を発表したが、当日、エレベータに乗り合わせた中央大の卒業生で、M電機勤務のM君から、
「その歳で、未だ論文を発表するのですか」
と感心(揶揄?)された。
「この歳にならないと発表できないこともあるのだよ」
と答えておいたが、どういうことか説明させて頂こう。
暗号は、バビロニア、ギリシャ時代にまで遡る3千年以上の歴史をもっているが、その理論的ベースは、言語と数学であった。特に、1970年代に始まる現代暗号理論では、整数論・代数幾何の奥深い理論が駆使されてきた。ある整数論の本の序文に「美の深淵を覗き見た」と紹介されている楕円曲線の虚数乗法論が、中央大学趙教授等によって暗号に利用されたことは整数論研究者達を驚かせた。
私は、現代暗号が創始される以前から、世界の歴史を舞台裏で動かしてきた暗号に興味を抱いてきたが、「新高山登れ」は「ハワイ真珠湾を攻撃せよ」、「玉子が熱を出した」
は「日米関係が悪くなった」の暗号であるというのは如何なものか、もう少し論理的にならないものかと疑問を抱いてきた。勿論、日本海軍や外務省も、「ハワイ真珠湾を攻撃せよ」や「玉子が熱を出した」をそのまま送るわけではなく、紫暗号などに数理暗号化して送信するのだが、数理暗号が解読されると、平文の意図が推測されかねない。論理学を導入すれば、より安全な暗号になるのではないかと、30年余り、折に触れて考えてきたという次第である。
現在、中央大学では、経済産業省の「新世代情報セキュリティ対策促進事業」の一環として
「プライバシーを保護しつつ秘匿された個人情報を活用する方式の研究―医療・介護連携ネットワークを例として」(代表 土居範久研究開発機構教授)
を進めている。クラウド環境が普及する中で、個人情報や企業の機密情報を暗号化して保管・預託するケースが増えているが、それらの情報を処理するに際して、一旦、平文に復号することなく、暗号化状態のままで、処理することが安全性や効率の観点から望ましい。
その1つとして、データベース管理者に何を検索しているかを知られることなく情報検索を行いたいという要請がある。現在、我々は、この課題に、論理学を利用する構想を進めている。永年の思いが、この歳になって、ようやく形になったというわけである。
簡単な例を挙げて説明しよう。
「頼朝は英雄ですか」、「甲府の夏は暑いですか」、「7は奇数ですか」これらの質問は、みな同じ論理構造をしている。
(頼朝は天下を平定した。)(天下を平定した武将は英雄である。)故に(頼朝は英雄である。)
(甲府は盆地である。)(盆地の夏は暑い。)故に(甲府の夏は暑い。)
等、お馴染みの三段論法である。自然言語を論理式に変換することで、先ず一種の暗号化を施し、次に、どのような論理推論規則を検索しているのかも、秘匿キーワード検索で秘密にするのである。
ご承知の通り、論理学は古代ギリシャのアリストテレスに始まる。それ以来2300年間、論理学は、カントが純粋理性批判の序文に書いているように、進歩も退歩もしなかった。論理学の本質的な進歩は、論理学者でもあり哲学者でもあったフレーゲ(1848~1925)の述語論理の創設に始まる。集合論などの数学基礎論からの影響もあり、また、デカルト以来の意識の哲学から、より客観性の強い言語哲学への転換期における相互作用もあったように思われる。
デカルトは、アリストテレス的論理学を軽蔑し、「せいぜい既成の思想を他人に伝える場合に若干の効用があるが、新しい思想の形成には無用」と考えていたようである。論理学を学び始めると、何故、このような当たり前のことを面倒くさく記述するのかという印象を受けるので、デカルトの評価も尤もという感じは否めない。
だが、コンピュータの時代になって改めてアリストテレスの偉大さに驚かされる。上の三段論法は、人間の頭では、当然のように納得されるが、コンピュータにはそのままでは理解されない。ラファエロの名画「アテネの学堂」では、師のプラトンは天を指差し、弟子のアリストテレスは地を指差しているという点が強調される。プラトンのイデア的世界観・二世界モデルは西洋の思想的基盤となって科学文明を築いた。これに対して、アリストテレスは、魚類と哺乳類の区別などの実証的研究を行っているという意味では、確かに地をさしているが、論理学の創設という面では、師と同じく天を指していると言えそうである。
アリストテレスの論理学は、ユーグリッド幾何学とも関係が深いが、こうした論理的思考は、情緒性が勝る日本人には理解しがたい面があったようである。現在、認証・署名の基盤として普及しているRSA暗号の基本公式は、18世紀ヨーロッパ最大の数学者、オイラーに先駆けて、江戸時代の和算家、久留島義太(?~1757)が導出している。それほどのレベルにあった和算家たちも、八代将軍吉宗の頃、当り前のような公理系から構築するユーグリッド幾何学を前に、理解に苦しんだと伝えられている。
論理学は数学と重なり、その対象分野は数学が主であったが、最近、法律分野で、新しい展開が見られる。北陸先端科学技術大学院大学では、片山卓也学長の下に、文部科学省の21世紀COE(Center of Excellence)において、「法令工学」の創設を目指して実績を挙げている。論理学をベースに、様々な法律や条令などの間の矛盾を検出し、整合的な法制度の構築を目指す研究である。
数学の世界では、ゲーデルの不完全性定理や構成主義的思考は別とすれば、殆どの場合、真か偽かは明白であり、古典論理、つまり神の論理で済む場合が多いが、人間を対象とする法律の分野では、真か偽か、yesかnoか、はっきりしない場合が少なくない。
「あなたは花子さんが好きですか」
「好きでないわけではありません」
「それでは好きなのですね」
と言われても困る人も多いだろう。つまり、排中律や2重否定=肯定 を認めない論理の導入が必要となる。また、数学の証明では、背理法がよく適用されるが、現実の世界では、次のように、時間の流れを考慮した論理も不可欠である。
背理法とは、
「Aが正しいとすれば、Bも正しい。何故なら、Bが正しくないとすれば、Aも正しくないことが証明できるからである。」
という論理である。
日常的な光景について言えば、
「雨が降っているときは雲がある」、逆に「雲がなければ雨は降っていない」
が正しいとしても、「親が叱らないと子供は勉強しない」なら、「子供が勉強すると親は叱る」ということになるのか。時間の経過が入ると、背理法は適用できなくなる。
「有罪か無罪かは、現時点でははっきりしない」と言う場合も多い。神様だけが知っているでは済まされない。このように、時間の流れも考え、排中律や2重否定=肯定 を認めない直観主義論理の導入も必要になる。
また、コミューニケーションや信念、自覚などを考慮した様相論理が必要とされる場合も多い。
私が提唱している暗号論理学については、情報セキュリティ分野のカバートチャンネルに直観主義論理を応用する研究で成果を挙げた森住哲也氏らの協力を得ながら、今後、法律や医療・バイオへの応用を検討する予定である。
医療・バイオについては、秘匿キ-ワード検索などに詳しい共同研究者の山口 浩教授が、カリフォルニア大学アーバイン校のSheu教授等と共同研究を進めている構造化自然言語による秘匿検索に対する適用を考えている。
さて、デジタル・フォレンジックは、法律、監査、及びセキュリティ技術などを総合的に駆使する論理性の強い分野であり、今後、複雑性を増しつつ広域化・高度化が進む中で、ある程度自動的に証拠の適否を判断できる論理推論規則を組みこんだ定理証明システムなどの導入を視野に入れた研究を展開してはどうだろうか。
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