第266号コラム:町村 泰貴 理事(北海道大学大学院法学研究科教授)
題:「民事司法のIT化の現状」
民事裁判は、大量の情報を両当事者と裁判所との三者間でやり取りをする、情報流通のプロセスと理解することができる。実際裁判所の下で行われる手続は、有形力の行使を必要とする行為はほとんどなく、権利の保全、審判、執行のあらゆるプロセスが情報のやり取りだけで済ませられる。例外的に有形力が行使されるのは、法廷の秩序維持が必要となるような場合と、物の占有を実際に移転させるような場合に限られる。
このように情報流通が中心となる民事裁判のプロセスは、従って、そのほとんどが情報コミュニケーション技術による高度化に適するということができる。
このことは、既に平成になって始められた司法制度改革の中でも意識され、いわゆるIT化が進められるべきことが司法制度改革審議会意見書にも、以下のように明記されたところである。
「各裁判所においては、各裁判官・職員へのパソコンの配備、裁判部単位でのネットワークによる期日進行管理情報の共有や、不動産執行・破産・調停・支払督促などの分野における事件処理システムの開発・導入等を進めてきた。また、民事通常事件の受付から終局までを対象とする民事裁判事務処理システムの導入が開始されている。さらに、新民事訴訟法により、民事訴訟手続におけるテレビ会議システムの利用などの途が開かれ、活用されている。
しかしながら、現在の情報通信技術(IT)の発展は目覚ましく、手続の効率化、迅速化及び利用者に対するサービスの増大という見地から、訴訟手続等における情報通信技術の積極的利用を一層推進する必要がある。このため、裁判所の訴訟手続、事務処理、情報提供などの各側面において、データベース、インターネット等の情報通信技術を更に積極的に導入し、活用すべきであり、インターネットによる訴訟関係書類の提出・交換などについても検討すべきである。このような見地から、最高裁判所は、今後の技術革新にも柔軟かつ積極的に対応していくよう、情報通信技術を導入するための計画を策定・更新し、公表していくべきである。」(II-7-(3)イ)
こうした力強い推進方針を受けて、平成16年の民事訴訟法改正において、同法132条の10という規定が設けられ、インターネットによる申立てが制度上は可能となった。これと同旨の規定は、本年より施行された非訟事件手続法および家事事件手続法においても置かれている。
また、裁判手続とならんで、行政手続についても、いわゆる電子申請が可能となり、税務申告から科学研究費の申請などにいたるまで、多方面で活用されていることは周知のことである。
しかしながら、民事司法のIT化は、行政手続に大きく遅れをとり、むしろ昨今では放棄されたのではないかという疑念すら生じるのが現状である。これにはいくつかの原因があるが、第一にはセキュリティに対する根強い不安を指摘できる。そして第二には、民事手続の紙媒体中心主義が転換されていないことが指摘できる。
第一のセキュリティの懸念は、いうまでもなくネットワーク化が進むことにより、正当なアクセス権限を有しない者がアクセスし、申立てを行うのではないかという不安である。無権限者が、正当なアクセス権限を有する者の許諾を得て、あるいはその黙認のもとで申立て行為を行う場合であっても、民事裁判の訴訟代理に関する規制(弁護士代理の原則)や代理権の確実な証明を必要とする法的安定の要請に照らすと、問題があると言わざるを得ない。実体法とは異なり、表見法理の適用はなく、債権の準占有者への弁済を有効な弁済と認める(民法478条)のと同様にIDパスワードを用いたアクセスは正当な権限者によるアクセスとみなすというルールは、オンラインバンキングには可能でも民事裁判には設けることができない。従って、万万が一にもなりすましによるアクセスができないシステムが可能となればともかく、少なくともパブリックなネットワークであるインターネット経由でのアクセスで申立て行為を可能にしようとする限り、望みは薄い。かえって昨今の不正アクセス事件の多発を見て、その中には最高裁自身のウェブサイトが不正アクセスにより書き換えられたという事件も含まれているが、ますますIT化へ踏み出すことができなくなっているのが現状ではないかと思われる。
これに対しては、そもそもオフラインの申立て行為自体なりすましによりなされるという事件は発生しており、それを完全に排除するような本人確認システムが導入されているわけではなく、弁護士というだけで一応信頼するシステムの上に成り立っているのに、なぜIT化に対してのみ厳格なセキュリティを要求するのかという疑問がある。セキュリティを蔑ろにするのではないが、紙媒体の申立てと同程度の安全性が確保されれば良いというのは、決して不思議なことではない。加えて、海外ではオンラインによる申立てのみならず、オンライン送達も可能となっており、そうした技術の利用が定着もしている。それらの立法例の中でもセキュリティは重要な課題であり、それなりに安全なシステムが構築されているのに、なぜ日本だけはできないのかという疑問もある。日本だけが技術的に立ち遅れているというのか、あるいは日本だけが不正アクセス技術の高度化が進んでいるのか、いずれもありそうにはない。フランスでできることが日本でできないのはなぜかと問うと、フランスでは弁護士強制が取られているからで、日本とは事情が異なるという事もありそうであるが、弁護士強制は取られていないアメリカで既に大幅にIT化が進んでいることから、弁護士強制の有無とは関係がない。
結局のところ、費用対効果の観点から、オンライン申立てを可能にすることによる効用が、裁判所にも弁護士にも、必ずしも理解されていないという点が最大のネックなのではないかと思われる。
このネックと関係するのが第二の、規定上の紙媒体中心主義の問題である。民事訴訟法132条の10の内容を見ると、まずIT化によりオンラインでできるのは「申立てその他の申述」、すなわち当事者から裁判所に対する申請行為に限られており、裁判所から当事者に対する情報流通は対象となっていない。つまり民事裁判を流れる情報のうち、一部のみがオンラインでできるにとどまっている。そして5項には、オンラインでなされた申立て等が裁判所のコンピュータに記録された場合に、「裁判所は、当該ファイルに記録された情報の内容を書面に出力しなければならない」とし、かつ6項では訴訟手続の基本となる記録は出力した書面であることを前提に、記録閲覧謄写や交付、送達送付がなされるとされている。要するに、オンラインによる申立ては、紙媒体の提出や送付を電子的にすることができるとしているだけで、情報自体はあくまで紙媒体で管理することになっている。オンラインでやり取りされた情報を、電子データのまま記録化したり、電子データのまま送達したり送付したりといった、訴訟手続全体のeファイリングは想定されていないのである。
これは、電子データの保存の確実性や原本性確保など、要するにセキュリティの不安が拭えないからということによるが、その結果、IT化がもつ効用は大幅に低下し、むしろ紙媒体を提出してそのまま記録に綴じればよかったところが、かえって手間を増やすことにもなる。そしてこれでは、司法制度改革審議会意見書で指摘された「手続の効率化、迅速化及び利用者に対するサービスの増大という見地」には寄与せず、むしろ逆行することにもなりかねない。
電子データによる申立てがあれば、裁判体が行う審理判断、そして判決書などの作成も効率化させることができる。この効用を実現するには、紙媒体中心主義から電子データ中心主義に変えていく必要があり、そのためのIT化であるから、eファイリングへの移行が進んでいくと思われたところである。しかし紙媒体中心主義は動かされなかった。電子データの利用による効率化は、オンライン申立てによってではなく、紙媒体申立ての際に電子データの提出も併せて求めるという方法により追求されているのである(民事訴訟規則3条の2)。
アメリカでは、記録の電子化が先行して行われていた。すなわち膨大な紙媒体の訴訟記録を保管することが困難になったので、スキャンして電子化する作業が先行し、その効率化のために、そもそも紙媒体ではなく電子データによる申立て等が求められた。その上で、特に破産手続に見られるような大量の当事者の情報を計算しなければならない事件類型から、オンライン化が義務的に導入されていった。こうした動向に比較すると、日本ではまずオンライン申立てが先行して導入され、記録自体の電子化は躊躇されていたのであり、IT化の効用が発揮しにくい状況にあったということができる。この点が、ネックの正体ではないかと思われる。
将来の見通しは、従ってIT化がすぐにも進展するという状況にないと言わざるを得ない。しかし、できるところから部分的にも変えていく必要はある。裁判以外の場面では、これだけ電子メールの利用が進み、ウェブサイトを介した取引も日常茶飯事となり、インターネット経由での様々なコミュニケーションが日々行われている。その利便性を民事裁判においても享受することは、当事者サイドとしても、ひょっとすると裁判所・裁判官としても、切実に望まれることかもしれない。
そこで、可能な方法としては、現在ファックスを使ってやり取りされている情報流通について、電子メールの利用を認めることが現実的であろうと思われる。ファックスは、当事者が裁判所に提出する書面のうち、訴状などの重要な書面を除いて、利用可能である(民事訴訟規則3条)。また当事者間における文書のやり取り(いわゆる直送)や、送達という厳格かつ確実な方法による必要のない書類を裁判所から当事者に送る場合も、ファックスによることができる(民事訴訟規則47条1項)。
ファックスによる情報のやり取りを原則として取り入れている関係上、訴状や答弁書の記載事項にも、ファックス番号を記載することとされている(民事訴訟規則53条4項および80条3項による準用)。
これらの規定のファックスとあるところを電子メールと書き換えて、若干の手直しをすれば、そのまま電子メールを用いた書類の提出・直送・送付が可能となるであろう。また懸念されるセキュリティも、ファックス利用可能な文書に限ればそれほど高いレベルが要求されるわけではないし、ファックスでも起こりうるミスや混乱は電子メールでもやむを得ないと割り切ることも可能であろうと思われる。
この辺りを、いわば突破口として、司法のIT化が進められると、やがては司法制度改革審議会意見書が目指したような段階にも到達できるかもしれない。そのように希望する次第である。
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