第373号コラム:石井 徹哉 理事(千葉大学 副学長 大学院専門法務研究科教授)
題:「通信の秘密侵害罪における正当業務行為について」
1 電気通信事業法4条は、その1項で「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。」と規定し、179条で電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密を侵す行為に刑罰を科しています。この法律は、その名が示すように、電気通信事業に関して、その公共性に鑑みて種々の規制をなすもので、行政法上の諸規制の根拠にその意義があるといえます。そのため、行政規制に関わる領域では、通信の秘密侵害罪を背景として事業者に対する種々の規制がなされているのが現状ですが、この場合、裁判所による公権的な解釈ではなく、行政当局または事業者側の自主的なかつ自制的な解釈によって電気通信事業者およびその関係者の行動が制約されるところに特徴があります。しかも、通信の秘密侵害罪の構成要件の解釈という条文解釈の領域ではなく、同罪の成立を否定する正当業務行為(刑法35条)の解釈が法律の所管官庁または事業者の自主規制に委ねられているところが極めて特殊であり、その解釈が時として裁判所の公権的な解釈にそぐわない可能性も内在していることに注意しなければなりません。
2 通信の秘密侵害罪は、その行為主体を限定していないことから、電気通信事業者自らがその取扱中に係る通信の秘密を侵害した場合、通信の秘密侵害罪の構成要件に該当することになります。電気通信事業法4条2項が、電気通信事業者について他人の秘密の侵害を禁止していることから、事業者が通信当事者となる場合に、本罪の構成要件に該当しないのではないかとの疑念が浮かぶかもしれません。しかし、179条は、4条違反に対して刑罰を科すという立法形式をとっておらず、改めて構成要件の内容を罰条として明示した上で刑罰を科しています。したがって、電気通信事業者をその主体から除外することは適当ではないでしょう。もっとも、4条2項が電気通信事業に従事する者について、通信に関して知り得た他人の秘密を守るべきことを規定しているのは、その業務の性質上、通信の秘密を容易に知りうる立場にあるものの、その業務を適切かつ円滑に遂行するのに必要な限度において通信の秘密を知得することがあるからです。この条項の趣旨からすると、電気通信事業者が通信の秘密を侵害する場合について、一定の範囲で正当行為(刑法35条)として犯罪の違法性が阻却されることが当然に予定されています。
とりわけ、インターネットにおいては、電話回線と異なり、電気通信事業者自身がつねに通信内容を含め通信の秘密を積極的に侵害する状況が迫られています。インターネット通信は、パケットという形で通信内容といわゆる通信の外形部分が一体化されているため、電話のように通信内容と受信人・発信人情報といった通信の外形部分が比較的容易に区分しうる通信と同一に考えることは、困難ではないかと考えられます。そのほかにも、電気通信事業法の諸規制が電話を代表とする伝統的な通信回線を前提に立法されたものの、現在のインターネットにおける通信の特性と齟齬をきたしているところが多々みられ、事業者自身による通信の秘密の知得の必要性がかねてより強く主張されているところもあります。
3 しかしながら、通信の秘密侵害罪が犯罪である以上、刑法における一般的な理解を無視して特殊な理解、価値判断に基づき、正当業務行為による正当化を認めることは適切ではありません。
刑法上、正当業務行為による犯罪の正当化について、通説は、行為の目的、手段の相当性、法益侵害の比較、あるいは政策的な配慮などを総合考慮し、社会通念上許容し得る場合、あるいは法秩序全体の見地から許容し得る場合に違法性を阻却すると解しています。判例も、行為の目的、手段・方法等の行為態様を考慮し、法秩序全体の見地から当該行為の違法性を判断しているとされています。その実質的な価値判断としては、利益衡量が内在しており、優越的な利益の原則が妥当しているといえましょう。これを通信の秘密侵害罪について問題となるいくつかの場合を考えてみましょう。
電気通信事業者が通信を配信するに際して自動的、機械的またはこれらに準じた態様において実施する措置は、自動的または機械的であるがゆえに個人プライバシーを侵害する虞が少なく、かつ、電気通信役務の円滑、適切な実施、通信の公平な取扱という電気通信役務の公共性を促すものであって、電気通信事業に対する信頼を害するものとはいえません。それゆえ、このような行為については、正当業務行為として正当化されることになり、通信の秘密侵害罪が成立しないことになります。
同様に、通信事業者が通信を取り扱う際に、輻輳状態が生じ、通信の配信が困難または不可能になっている場合に、輻輳の原因を探索し、これを突き止める行為は、たとえ個別の通信の秘密を侵害するにいたったとしても、通信の秘密侵害罪の違法性が阻却され、犯罪が成立しないことになります。この場合、現に通信の秘密が侵されていますが、輻輳の原因を追及しない限り、円滑かつ適正な通信状態の復旧が望めないのであって、通信当事者の私的領域に踏み込むことはあっても、通信の安定性の確保を図るという点で通信事業の公共性に適合するものであり、通信状態の復旧こそが通信事業に対する信頼を確保することにつながることになるからです。
4 このように、通信業務に直接関わり、かつ、電気通信業務の適正性、安定性等に資する場合は、通信の秘密侵害罪の違法阻却を肯定できる場面が多いといえます。しかし、電気通信業務を直接に関係しないところで、通信の秘密を侵害する場合、刑法35条による違法阻却を認めることは困難でしょう。
インターネットと関係しませんが、かつて発信者の電話番号を発信先へ通知する際に利用者に個別の同意が求められました。これがその一例にあたるといえます。注意しなければならないのは、通信の秘密侵害罪は、個人の私的権利だけでなく、電気通信事業の公共性、安定性、信頼性という社会的な利益をもその保護法益としていることです。このため、通信当事者の同意があるからといってただちにその犯罪の違法性が阻却され、犯罪の成立が否定されることにはなりません。ここでは、通信当事者の同意による私的権利の侵害の違法性がなくなることだけでなく、当該行為の遂行によって電気通信事業の公共性、安定性、信頼性という社会的な利益を上回るより大きな利益が存在することが必要となってきます。電話番号の通知では、迷惑電話の回避等による安心できる電話の利用可能性、さらにこれに基づく電話通信に対する信頼性の向上等をあげることができるでしょう。
翻って、たとえ利用者による同意があったとしても、電気通信事業者固有の経済的利益を追求する場合に、通信の秘密侵害罪の正当業務行為による違法阻却、犯罪の正当化を認めることには、相当程度高いハードルがあるといえます。もともと、電気通信事業法は、社会的インフラとしての電気通信に関与する事業者を規制するための法律であり、電気通信事業の公共性が損なわれることは、法律の趣旨に反します。事業者は、通信という役務の提供から収益を得ることについては問題ないですが、利用者の通信の秘密を侵害することによって収益を上げることについては、電気通信の公共性を蔑ろにするものとしてこれを正当化することは困難でしょう。
マーケティング目的でのDPIが通信の秘密を侵害するものとしてその実施が難しいとされる理由がここにあります。これを正当化するには、個別の利用者に対する十分な情報提供(とりわけ個人のプライバシー侵害の内容、程度について)をした上で、利用者がそれを理解したことを要件として、利用者自らがそのような措置に参画することが必要でしょう。この場合、少なくとも当該通信の秘密の侵害については、事業者と利用者とが一体化した形のものと評価しえます。通常のDPIは、通信の外形といわれる発信元、通信先の情報に関するものを対象にしています。これをこえて、通信内容に渡る部分までDPIをする場合、その正当化は、ほとんど困難であろうといえます。このような措置は、実質的に見て事業者による検閲であり、利用者による同意があったとしても、それだけでは不十分であり、十分な説明による理解とともに、利用者に対するより大きな利益があること、それでもなお電気通信の公共性を損なわないことが必要とされるのではないかと考えられます。
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