第530号コラム:伊藤 一泰 理事(栗林運輸株式会社 監査役)
題:「見積無料。そのココロは?」

見積無料という言葉は、日常の商行為において、当然のように使われている。しかし、見積という作業にはそれなりの労力がかかる。すなわち人件費を中心とする経費が掛かっている。仕入値に利益を上乗せするだけで完成する単純な見積もあるが、商品によっては見積作成に相当の労力(時間)を伴う場合もある。しかも、複雑かつ高度な見積は、高いスキルを持った社員でなければできない。それなのに見積を無料にするのは、見積をきっかけに受注にこぎつけることを期待しているからである。

BtoBの取引では、買主が商品の購入を検討する場合、事前に予算を準備する必要があり、また、購入価格の妥当性を検証するために市場価格の動向を把握する必要がある。多くの場合、購入のための社内決裁手続きに、「相見積」を取るように物品調達規程等で定められている。このため、社内決裁の前に売主候補数社に価格を提示させ、購入決定の資料とすることが多い。見積の提出は、売主として立候補するための手段であるので、掛かった経費は売主が負担する。誰も疑問を持たずに商慣習として行われてきた。

一方、BtoCの取引では、見積無料が売主の販促手段となっていることが多い。例えば、リフォーム。浴室をリフォームしたいと考えているときに、飛び込み営業の業者から「見積は無料なので見積だけでもいかがですか?」とセールスをされたら、軽い気持ちで見積を頼んでしまうことはよくあることではないだろうか。慎重な消費者は「タダより高いものはない」と思って断るだろうが、深く考えずに「この際だから見積だけでも取っておこうか」と安直に受けてしまったら、しばらくは、しつっこいセールス攻勢にさらされることになる。

見積無料のココロ、それはまさに「撒餌」である。餌を撒いて獲物をおびき寄せるために無料で見積をばら撒いてやるという考え方である。

似たようなもので「送料無料」がある。昨年、Amazonとクロネコヤマトの送料値上げを巡って勃発したバトルは記憶に新しい。結局、Amazonが折れて、4割超の値上げが実現したが、一般消費者の送料無料願望が非常に強いということを露呈した事件であった。その証拠に、未だに送料無料を売りにしているサイト(楽天市場など)は多い。送料無料を「撒餌」にして販促効果を得ようとするものである。商品自体を割引価格で販売し、それに正当な送料をオンするのではなく、商品価格に余裕を持たせたうえで、送料無料をことさら強調するのはフェアではない。本来、有料のサービスであり、しかも売主以外の運送業者が提供するサービスを「撒餌」的に無料にすることによって、運送業者のプライドを傷つけている。日本全国どこでも無料。たとえ1個数百円のアイテムでも、すべて送料無料で届けてくれるのが、当たり前と思っていた消費者は多い。実際には、無料ではなく「送料売主負担」なのだが、売主負担を明確に表示している通販業者は少ない。

イザヤ・ベンダサンこと山本 七平 氏が名著『日本人とユダヤ人』の中で、「日本人は水と安全はタダだと思っている」という指摘をしている。思うに、「水と安全は無料」というだけではなく、水、安全に加えてサービスも無料が当然だと考える人たちがいる。サービスというのは、何かのモノに付帯したサービス=「奉仕」なのだから無料が当たり前で、「有料サービス」という言葉にアンビバレントな感情を抱いてしまうのである。筆者の父母の世代は、極端にモノを大切にする。モノ不足の時代を経験しているからだろう。まだ使えるモノを捨てるということは罪悪であると思っている。モノは大切だが、サービスはモノに付帯する「奉仕」であるので、無料が当然であると考えている。モノの値段にサービスが含まれているという観念が強い。だから、有料の保守契約を締結しないとアフターサービスが受けられないというのは、カルチャーショックであったように思う。

サービスについて、辞書ではどう説明されているのか調べてみた。
三省堂『大辞林 第三版』(Web)によれば、
①相手のために気を配って尽くすこと。「家庭サービス」「サービス精神」
②品物を売るとき、値引きをしたり景品をつけたりして、客の便宜を図ること。
「少しサービスしましょう」「出血大サービス」「アフターサービス」
③ 略
④【経済用語】物質的財貨を生産する労働以外の労働。具体的には運輸・通信・
教育などにかかわる労働で、第三次産業に属する。用役。役務。
⑤略
上記の①②と④の混同がこの問題の根っこにある。

これでは、第三次産業に従事する労働者は、たまったもんじゃない。山本 七平 氏の指摘から40数年経ったが、時代の変化とともに「水と安全」も全てが無料ではなくなった。水は、ペットボトル入りのミネラルウォーターがコンビニの棚にずらりと並び、安全は、セコムやALSOK(綜合警備保障)など警備会社が提供する有料のサービスに変化し、その守備範囲も多様化している。とは言っても、水も水道水なら極めて低料金であるし、安全についても日本の警察は優秀であるから、普通の人は警備費にカネをかけなくても暮らしていける。

デジタル・フォレンジック分野では、サイバーセキュリティ対策が有料サービスとして提供されている。高度な技術を駆使し相当の労力(時間)を掛けて行うのであるから当然である。基本的には、BtoB取引であり、緊急対応が必要な場合が多いので、「相見積」は不要とされるであろう。よって、この分野の企業は当面安泰である。

一方、モノを提供するビジネスを展開しているベンダー企業(例えばセキュリティ対策機器等のベンダー)は、引き続き「見積無料」や「サービス無料」に悩まされることであろう。

本来であれば、モノを提供するビジネスにも、相手先の設置環境や利用状況などの「事前調査」は必要であり、その作業および見積作成に掛かる人件費等の経費を積み上げ、「調査サービス」として有料で提供すべきものと考える。あるいは、「ここまでは無料で提供します。でも、ここから先は費用が発生しますので、先に進むときは有料となります。」とあらかじめ折衝すべき時代が来ているように思う。

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