第612号コラム:伊藤 一泰 理事(栗林運輸株式会社 監査役)
題:「利便性・合理性を追求する時代の終焉」

前号の佐藤慶浩副会長に引き続き新型コロナウイルスに係わるコラムとなるが、現下の状況で、この問題を避けて通ることはできないのでご容赦願いたい。なお、本稿では、主として、経済や企業経営面に的を絞り論じていきたい。

仮に、今を「コロナの時代」と呼ぶとすれば、この緊急事態が完全に収束し、平常状態に戻った時期を「アフターコロナの時代」(ポストコロナでも間違いではないと思うが、それでは語呂が良くないと勝手に判断し)と呼ぶことにする。今は完全収束が見えない底なし沼のような状態で苦しんでいるが、いつかは何とかそれを乗り越えて、アフターコロナの時代に移行できると信じているが、その時代は、今とは少し違った世界になるのではないかと思っている。

結論を言えば、コラム題に掲げた「利便性・合理性」のみを追求する時代が終わり、社会システムの冗長化や人的・物的資源に常に余裕を持たせておくことが必要な時代になるのではないかと思っている。すなわち、災害や非常時のためにシステム的な迂回路を確保しておくとか、予備の部材を多めに保有し、いざという時には、2班体制で運用出来るくらいに余裕ある人員配置をしておくことなどが求められるだろう。無駄になる可能性がある準備(過剰在庫)さえ容認しなければならない。

また、「代替可能性」も重要となる。消毒アルコールの不足問題の解決策として酒造メーカー数社がアルコール度数77度の高濃度スピリッツを製造・販売している例は、すみやかな代替製品の提供事例として話題を呼んだところである。中央集権主義より地方分権主義が優勢になりそうな予感もある。都道府県知事が緊急事態の収束に力を発揮している。知事会の存在感も増している。内閣を頂点とした指示命令系統ではなく、地方自治体のネットワークが国を動かしている感がある。これは、アフターコロナの時代にも続くものと思う。

今回のコロナ問題は、1930年代の世界恐慌以来の最大の経済危機となる可能性が高く、これまで合理性や利便性を追い求めてきた我々にパラダイムの転換を突き付けている。

アフターコロナの時代については、すでに多くの識者が論じている。例えば、金融面では株式投資の対象が変化するとか、農産物や基幹的な工業製品における海外依存度をもっと下げるべきであるとか、経済に係わる者であれば当然考えるべき諸問題が多い。もちろん、テレワークの拡大による働き方改革への影響もある。いったんテレワークの利便性に気が付いた企業や社員は、アフターコロナの時代でも躊躇なく使い続けるであろう。

これまで経済的な危機はいくつかあった。筆者が生きてきた時代でも、オイルショック、バブル崩壊、金融危機、リーマンショック、東日本大震災など幾つかあげられる。しかし、これまでの危機と今回のコロナ問題は本質的なところで何か違っているように思っている。

まず思ったのは、敵が見えない(戦う相手が見えない)ということだ。敵が見えない対策という点で、コロナ問題はサイバーテロや原子炉のメルトダウンによる放射能の拡散に似ている。リスク管理の基本は、想像力を働かせ、周到な事前準備をすることだと言われている。敵がわかっていれば、防御方法を具体的に考えることができる。敵が見えないとき、どんな作戦で臨んだらいいのか。

仮に戦争を前提に考えた場合、当該エリアをくまなく徹底的に攻撃する「じゅうたん爆撃(Carpet bombing)」とか、ベトナム戦争で米軍が行った「枯葉作戦(Operation Ranch Hand)」が思い出される。戦場で敵の姿が見えず、的を絞ることができないので、ただ闇雲に攻撃するしかないのだ。

北海道大学大学院医学研究院の西浦教授によると、個人個人が平時の行動より80%行動抑制すれば、新たな感染者が激減するという。これを受ける形で安倍総理も4月17日の記者会見で「人と人との接触を最低7割、極力8割削減する」よう要請している。また、「Stay home」という言葉が、各国のリーダーから発せられている。
これは、やむを得ない外出(食料や医薬品の買い物など)以外は、極力外出を避けるべきであるという考えである。上記の例で言えば「じゅうたん爆撃」に相当する。

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授は、新型コロナウイルスとの闘いを「長いマラソン」だと言い、我々に長期戦となる覚悟を促している。コロナの時代がいつまで続くのか不明だが、年内の収束は難しいとの予測が多い。また100年前のスペインかぜの例では、第1波の後に第2波、第3波が続き、完全収束までに約3年を要している。

近年、日本が経験した最悪の時代は、太平洋戦争終戦直後、国土が焼失し国民が食べ物にも事欠いた時代である。コロナの時代は、これに匹敵するものになると考えている。終戦直後の疲弊した日本は、その後世界にも稀な高度成長期を経て、利便性と合理性を追求する経済大国となった。これまでの経済優先の流れはアフターコロナの時代に大きく蛇行していく可能性がある。そして、しばらくは混沌の時代が続くのではないかと危惧している。

利便性・合理性を追求する時代が終わり、アウターコロナの時代に移行したとき、リスク管理の基本に立ち返って新たな社会構造を如何に構築していくのか。我々に突き付けられている課題は多岐に渡る。国民各層が一丸となって、打開策を模索しなければならない。リタイアの時期が近づいてきた筆者は、アフターコロナの時代に何ができるのかわからないが、少しでも経済社会に貢献できるよう微力ながら頑張っていきたいと思っている。

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