第659号コラム:安冨 潔 会長(慶應義塾大学 名誉教授・弁護士)
題:「刑事司法のデジタル化への展望」

政府は、社会・価値観の変容を受けた戦略策定という視点から、Society5.0時代のデジタル化としてデジタル強靱化社会の実現に向けた基本的な枠組みを表明することとして、2020年7月17日「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画の変更について」を閣議決定しました(1)

この基本計画では、裁判関連手続のデジタル化として、すでに法制審議会で議論されている民事訴訟手続のIT化だけでなく、「刑事手続についても、そのデジタル化を行うことは、捜査手続に関与する国民の負担軽減につながり、また、感染症の感染拡大時にも円滑・迅速な公判手続を可能とする観点から有用であると考えられ、デジタル化を早期に実現することは、関係者の権利利益の保護に資する。このため、刑事手続において可能な分野における効率化、非対面・遠隔化等を目指すべく、令和2年度中に、司法府における自律的判断を尊重しつつ、政府において、令状請求・発付をはじめとする書類のオンライン受交付、刑事書類の電子データ化、オンラインを活用した公判など、捜査・公判のデジタル化方策の検討を開始する。」とされています(2)

これまで刑事手続では、事実の認定は証拠による(刑事訴訟法第317条)として、事実認定の材料となるもの(証拠方法)は証人、証拠物、書証の3種類に区別され、書証については文書として作成された書面が用いられてきたのはご承知とおりです。

捜査実務においては、近時、さまざまな事件でデジタル・フォレンジックを利活用した電磁的な証拠の収集がなされていますが、その成果は、捜査報告書等の文書として作成されて裁判で用いられます。例えば、パソコンのインターネット閲覧履歴や携帯電話から抽出したデータの内容など大部の捜査報告書にまとめられます(3)。また、通信事業者の保有するデータについて、捜査機関から捜査関係事項照会(刑事訴訟法第197条2項)がなされた場合にも、通信事業者から回答書として保有情報が提供されています。被疑者や参考人の取調べも、供述調書という書面が作成されて、それが証拠とすることができる要件を充足していた場合には証拠とされます(刑事訴訟法第322条、第321条各項)。もっとも、録音・録画対象事件(刑事訴訟法第301条の2第1項)については、供述の任意性が争点となったときなどに、検察官は録音・録画記録を証拠調請求しなければなりません。この場合には、録音・録画された電磁的記録が再生されることになります。可視性・可読性のない電磁的記録は、電磁的記録が保存された電磁的記録媒体が証拠物として証拠調べの対象とされ、その媒体を公判廷で再生することができます(刑事訴訟法第305条)。

このように刑事訴訟では、通常、書面が証拠とされますので、捜査機関はひとつの事件で簡単な事件でもA4の用紙で何百枚、「万丁事件」とよばれる複雑な重大事件では何十万枚もの大量の証拠となる書面を作成してます。そして、そのなかから証拠として採用された相当量に及ぶ書面を裁判所が裁判記録として作成し、保管しています。

供述調書中心の裁判からの脱却が刑事司法のデジタル化につながるものと考えます。

刑事事件の弁護人にとって、公判のための準備として証拠開示が不可欠ですが、膨大な量の書面を入手するためには、証拠の謄写を業者に依頼して作成することになります。通常、モノクロ1枚40円前後、カラー1枚80円前後の謄写費用がかかり
ます。この謄写費用は、私選弁護事件では、弁護士被告人が自己負担することになります。国選弁護事件では、国が謄写費用の相当部分を補填しています(国が補填のためにおこなう支出は年間1 億円以上にものぼるようです)。私選弁護事件で謄写費用負担ができなければ証拠を収集できないこととなり、被告人にとって防御が十分にできないことにもつながります。また、国選弁護事件でも1枚40円(モノクロ)の出費補填は、税金でまかなわれているのですから、納税者からの批判もありえるでしょう。

そこで、法務大臣や検事総長等に対して、刑事事件の証拠開示において、検察官が、証拠の電子データを格納したメディアを作成し、弁護人に交付する運用を開始することを求める要望を提出することとしています(4)

証拠のデジタル化は、これからの刑事司法におけるあらたな展開として、デジタル化を推進していく第一歩となるようにも思います(5)

最後になりますが、2021年3月23日に法務省は「刑事手続における情報通信技術の活用に関する検討会」を立ち上げたとのことです(6)

———————————————————————————————————————————————————————————-
(1)「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画の変更に
ついて」(令和2年7月17日閣議決定)
(2)前掲注⑴ 31頁。
(3)防犯カメラの映像やビデオテープの画像等も証拠となると思われる部分を
切り取って添付した捜査報告書として作成されるのが通常です。
(4) https://www.change-discovery.org/
(5) なお、アメリカ合衆国では、すでに刑事事件におけるe-Discoveryについて
運用されています。ご興味のある方は、以下をご参照下さい。
(6)http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00182.html
———————————————————————————————————————————————————————————-

【著作権は、安冨氏に属します】