第722号コラム:辻井 重男 理事・顧問(中央大学研究開発機構 機構フェロー・機構教授)
題:「メタバース社会に有効な三止揚―MELT-Upと情報哲学の構築に向けて」

メタバース(3次元の仮想空間)が話題となっているように、人間の住む世界が広がる中で、理念をどのように設定し、それをどのように実現するかが、基本的な課題である。辻井は、21世紀初頭から、図に示すように、自由、公共性、個人の権利という3理念を掲げ、これらの矛盾・相克しがちな理念を高度に均衡させる手法をMELT―Upと称して具体例を示して来た。即ち、

3理念とは

自由の拡大    主として情報技術に拠る利便性・効率性の向上、そしてそれに基づく、表現の自由等
公共性の向上 安全で快適な社会基盤の強化
個人の権利    個人の生存権・プライバシィの確保
である。後に、具体的に考察する。

次に、MELT―Upとは、

Management  暗号鍵管理レベルから経営・行政レベルまで広い範囲の総合的管理。
Ethics        倫理を含め、人間の内面、行動様式等を含む。
Law         法律、条令、規則、国際標準・法制等、明記された規則の全て。
Technology     情報技術を中心とする科学技術。
の4分野の連携的融合により、3理念を可能な限り高度均衡化させつつ実現する手法である。

尚、表題にある「情報哲学」という言葉は、
拙著「フェイクとの闘いー暗号学者が見た大戦からコロナ禍まで」(2021年、コトニ社)の初めに
「加藤尚武編」辻井重男語録ー情報哲学入門 とある通り、哲学会の大御所、加藤尚武 京大名誉教授が、辻井の講演資料を纏めるのに使われた用語である。

未だ、情報哲学と呼ばれるレベルに達してないと思われるが、本研究では、三止揚ーMELT-Up という理念・手法をベースに、中央大学の哲学者 中村教授等や情報・経営・法制度などの諸分野の研究者等と共に、若手研究者、中堅研究者、シニア研究者、女性研究者が協力して、情報哲学と呼ばれるのに相応しい分野の構築を目指そうと考えている次第である。

1.  3理念について

社会基盤となる理念は多様な筈である。しかし、日本の歴史を振り返れば、明治維新以降、太平洋戦争まで、国策は、天皇イデオロギーに基づく富国強兵一本で突き進んでしまった。幕末以降、欧米に対抗するために止むを得なかったが、西南戦争の頃、亡くなった「木戸孝允がもう少し永生きしていたら」と言う歴史のIFも想像され、また、福沢諭吉の個人の権利、大正デモクラシイなどもあったので、富国強兵に加え、富国安民、個人の生存権という3理念の均衡を図れば良かったと思われるのだが(図)、皇道・富国強兵理念が強すぎて、太平洋戦争に至ったのも歴史の慣性法則だったのだろうか。政治家・軍人そして庶民だけでなく、今から考えれば、信じ難い理念を抱いていた哲学者も少なくなかった。

例えば、京都学派の田辺 元 は、「人間は国家の為に死すべき存在」と位置付けていたようだ(菅原 潤著「京都学派」、佐藤 優 「学生を戦地に送るにはー田辺元[悪魔の京大講義]を読む」)。これを聴いた、上山春平は、人間魚雷「回天」に乗り込んだ。彼は死を免れ、後に哲学者として名を残すことになる。

また、理念と幻想の相違、或いは幻想的理念にも注意しなければならない。石橋湛山が言うように、日本を太平洋戦争へ導いたのは、「大日本主義の幻想」だったとも言えるだろう。古い話を持ち出したようだが、最近のロシア・ウクライナ情勢を考えると過去の話として片づけるわけにはいかない。独裁政治は、とかく1つの理念が支配的になり勝ちとなる。

1つの理念に縛られるのは、社会の安寧・人々の幸せに繋がらないとすれば、2つ以上の理念を掲げればどだろうか。2つ以上の理念では矛盾相克が起きやすい。上の例で言えば、国家の繁栄・存続と個人の生存権の対立である。2つの理念の矛盾を超克するには、ヘーゲル哲学の正反合などが参考になるのだろうが、哲学的・論理的にも難しい問題のようである。いずれにしても、世界は矛盾に満ちており、その超克に議論を闘わせることに意味があると言える。

さて、現在、冒頭に述べた通り、サイバー空間と物的空間が掛け合わされ、我々の済むソサイエティ5.0が際限なく広がっている中で、2つの理念で済むだろうか。先に述べたような3理念が不可欠ではないかと考えられる。本研究は、このような仮定に基づいて、3理念の定義の明確化とそれ等の高度均衡化を図る具体的手段の探究を目的とする。それと合わせて、17世紀、スピノザ(1632-1677)が、自由や個人と公共性の関係を社会契約論などで議論したように、今後のメタバース社会に対する哲学的考察などの学際的研究も必須だろう。

2. 3理念とMELT-Up

1) 自由とは
自由とは何か。自由という言葉を口にすると「自由の定義は200程ありますよ」と言われたりする。「自らに由る」と考えれば、人間の数だけあるともいえるだろう。暗号のような数学的理論と異なり、言葉を明確に定義した上で、理論を構築することは難しい。「情報技術を使わない自由を認めよ」という意見もあるが、先ずは、情報技術を中心とする科学・技術に拠る利便性・効率性の向上と、それに基づく情報処理や表現の自由を指すこととしよう。

2) 公共性向上とは
法制度、行政・公的組織、NPO等により、人々を幸せにするための社会基盤の強化を指すものとする。幸せとは何か。日本人は、精神的幸福感が極めて低いという国際的統計結果も発表されているが、哀愁を楽しむ心情も強いので、定義は難しい。本研究では、住みやすい生活基盤が確保されていることとしておこう。古代中国では、荀子が「人は弱いから、制度によって補わねばならない」と唱えていたそうであるが、法制度や公的機関による生活基盤の強化は必要であろう。

3) 個人の生存権とプライバシイの確保
明治憲法には個人の生存権は重視されておらず、現憲法には明記されている。プライバシィは、かって、三島由紀夫事件で問題になったりしたが、一般的課題となったのは、情報伝達技術が普及してからであり、現在、SNSの利用が進む中で、深刻化している。そのような中で、個人情報の自己管理へという傾向が視られる。

4)  MELT―Up とは
個人情報の漏洩・悪用がそれを防ぐ法制度が必要となり、2005年、個人情報保護法が制定された。プライバシィ保護のためには、倫理観の普及と合わせて、匿名化技術や成り済まし防止技術の開発が進めれられている。個人情報保護法が制定された頃、初代個人情報保護委員会委員長に就任された堀部政男中央大学教授(当時)に「プライバシィはどうするのですか」と伺ったところ、「プライバシィを法制度化することは難しい」と言われたことを記憶している。プライバシィ感覚は個人差が大きいので、止むを得ないと思ったが、2022年の個人情報保護法改定では、個人管理を法制化を進めている。これも、プライバシイ意識と、データ処理技術の向上によるものであろう。
プライバシィ保護も矛盾する課題を抱えている。例えば、相続税について、税務署の職員には質問検査権があり、銀行などを調査し、生前贈与を詳しく調べることが出来るようになっている。プライバシィの視点からは如何かとも思われるが、納税の公平性という公共性の視点からは止むを得ないと言える。このような三理念間の矛盾を検討し、それらの矛盾を可能な限り止揚する手法を工夫することが、今後、益々必要になるものと思われる。

このように、今後の限りなく広がるサイバー世界に不可欠な3理念を、 Management,Ethics, Law and Technology の4者を適切に連携融合させて止揚する具体的手法と思想的・哲学的基盤の構築が求められる。

本研究の動機の1つは、冒頭に述べた拙著「フェイクとの闘いー暗号学者が見た大戦からコロナ禍まで」に対する加藤ヘーゲル哲学会元会長から、「ベルリンのヘーゲルの墓の前で読んで上げたい」という思いもよらないお手紙を頂いたことである。「ヘーゲルの墓の前に穴を掘って、入らないといけないか」と思ったが、「待てよ、いくらヘーゲルでも、SNSやメタバースは知らなかったし、{歴史とは、自由と矛盾の拡大過程である}と言う自説がこれほど的中するとは思ってなかったのではないか」と思い直し、拙著の初めに引用させて頂いた、情報哲学入門の名に恥じないように、三止揚ーMELT-Upをベースに情報哲学の構築を試みてはどうかと考えた次第である。



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