第741号コラム:伊藤 一泰 理事(近未来物流研究会 代表)
題:「働き方改革と人的資本経営」

急激に円安が進んでいる。1ドル150円を挟む動きになっており、1990年以来32年ぶりの水準だ。(2022年10月24日時点)急激な円安進行は輸入コスト増加に伴う物価上昇を招いている。一方、ロシアのウクライナ侵攻に伴って、食料品や電気・ガスといった生活必需品の値上がりが続いている。円安の直接の要因は日米の金利差だが、もっと根深い問題は日本の産業の競争力低下である。IMD「世界競争力年鑑2022」を見ると、日本の総合順位はマレーシアやタイより下の34位である。我々の頭には、「ものづくり大国ニッポン」のイメージが残っているが現実は厳しい。

働き方改革とは、よく聞く言葉であるが、今一度定義・内容を確認してみたい。実務的には、働き方改革関連法の内容として列挙されている事柄は
・時間外労働の上限規制導入
・年次有給休暇の確実な取得
など耳ざわりの良い事項が並んでいるが、そもそもの趣旨を見てみると違和感を感じてしまう。政府の「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日)を見ると以下のように記載されている。
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1.働く人の視点に立った働き方改革の意義
(1)経済社会の現状
働く人の視点に立った働き方改革の意義(基本的考え方)
• 日本経済再生に向けて、最大のチャレンジは働き方改革。働く人の視点に立って、労働制度の抜本改革を行い、 企業文化や風土も含めて変えようとするもの。働く方一人ひとりが、より良い将来の展望を持ち得るようにする。
• 働き方改革こそが、労働生産性を改善するための最良の手段。生産性向上の成果を働く人に分配することで、賃金 の上昇、需要の拡大を通じた成長を図る「成長と分配の好循環」が構築される。社会問題であるとともに経済問題だ。
• 雇用情勢が好転している今こそ、政労使が3本の矢となって一体となって取り組んでいくことが必要。これにより、人々が人生を豊かに生きていく、中間層が厚みを増し、消費を押し上げ、より多くの方が心豊かな家庭を持てるようになる。
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最初にこの文章を見たとき、えっ?と思ってしまった。違和感があった。
働き方改革は、働く人のために実施されると見せて、ねらいは労働生産性向上にあったのだ。衣の下から鎧が見えてしまっている。労働力人口が減少する状況下、労働生産性向上(労働の効率化・合理化)は企業経営サイドから見ると必須の目標である。少ない人員で最大限のパフォーマンスを目指すことに血道を上げている経営者が多い。「社長の器以上に会社は成長しない」という言葉がある。言い得て妙である。
社長に限らず組織のトップの責任は大きいし、だからこそ高い報酬や名誉を得られるのである。ブラックな経営者は、自らの報酬を上げながら、社員の給料アップには消極的だ。働き方自体は、できるだけ個々人の自由が尊重されるべきものであり、政府がそこに口を出すというのはちょっと違う気がする。政府のねらいは労働生産性向上であり、世界の中で競争力が低下している日本の再興を目指しているのは明らかなのだが、それを露骨に見せたくないので、「働く人の視点に立った」という枕言葉を加えたのであろう。
必要なのは「働き方改革」ではなく、企業の経営改革であり、「働きがいある」会社への転換なのだ。労働政策に期待する点は、一般的な制度設計をなるべく自由で柔軟なものにして、不合理な事案(たとえば過労死)について、適切かつ迅速な規制・介入ができるようにして欲しい。現状は余計なお世話のような政策が目につく。
共同通信(2022/10/8配信)によれば
バブル崩壊の影響で就職難となった就職氷河期世代に対し、政府が手がけている支援策のうち、複数事業の予算執行率が低迷しているという。中には8割以上の予算を使い残した施策もある。新型コロナウイルス流行の影響に加え、事業内容と求職者のニーズとの間にずれがあったことなどが理由だ。政府は2020年度からの3年間で、氷河期世代の正規雇用を30万人増やす目標を設定したが、21年時点で3万人増にとどまり、期間の2年延長に追い込まれた。概括的な印象だが、この支援策は、効果が不十分だったり的はずれな部分が多い気がする。

「妖精さん」という言葉がある。どうも会社で働いていないオジサンを揶揄する言葉のようだ。若い人の会話に時々登場する言葉だが、意味は、そばにいるのに見えない(存在感がない)ので妖精というらしい。高い給料をもらっているのにタバコ休憩ばかり多くて、非効率な働き方をしているオジサンたちは確かにいる。一方で、若い人たちには、なぜそんなことをさせるのかという仕事が目につく。極端な例だが、台風が近づいてきたとき、現場でいかに風雨が強いか体を張って実況中継させられるテレビリポーターがいる。だいたいの場合、若手のアナウンサーが駆り出されている。最近では、「屋根のあるところから」とか「しっかり安全を確保して」という前置きして実況中継するようになってきた。室内から、樹木や看板などの揺れ具合や物が飛ばされる様子を見せるだけで十分だと思う。被るリスクに比し不必要な情報だと思う。お笑い芸人に危険な芸をさせるのと同じ感覚なのだろう。なぜ危険な屋外に出て、リポートさせる必要があるのか訳がわからない。働かないオジサンがいる一方で、無意味な作業をさせられる若手社員がいる。そのため、仕事内容と賃金のアンバランスが際立って、会社の制度を不平等なものと感じる人たちの意見は理解できる。

最近ABWという言葉を時々耳にする。ABWとは、業務内容やその時の気分・体調に合わせて、自由に場所や時間を選んで働く仕組みである。ABWの概要は以下の通りである。
ABWとは「Activity Based Working」の頭文字から生まれた用語で、先述のとおり、仕事内容や気分などに合わせて、働く場所や時間を自由に選ぶ働き方である。確かに、オフィスにいなくても、自宅や外出先で仕事がスムーズにできたら便利だと思う。ABWは、元々オランダから始まったワークスタイルだと言われている。なぜオランダなのか興味があるところである。ABWがオランダの企業「Veldhoen + Company」によって
世界に広まったと言われている。同社のホームページによると、同社は1990年から企業のABW導入を支援し、すでに世界中の300以上のプロジェクトを手がけてきたという。最近始めたものでなく、30年以上の歴史ある仕組みだ。主なサービスには、企業トップから一般社員までのトレーニングから、企業の目的に沿ったABW戦略の要件整理や物理的環境のコンサルティング、実際の導入、事後改善まで包括的な支援が含まれる。
ABWでは、オフィスはもちろんのこと、自宅やカフェ、サテライトオフィスなどが仕事場となる。出勤することにより、職場で必要不可欠なコミュニケーションを交わしたり、事務作業に集中したいときはオフィスのデスクで、新しい企画を考えるときはカフェでなど、仕事の性質や内容ごとに場所を移動することもできる。不必要な出勤を減らして、より創造的な仕事へ時間とエネルギーを費やすべきという考え方だ。似たような仕組み作りは他にもある。出社か在宅勤務の二者択一の議論ではなく、 働く人のライフスタイルや、業務内容に応じて働く場所や時間を選ぶ「ハイブリッドワーク」(多拠点勤務)である。出社する日をあらかじめ定め、普段はリモートワークを行なう。定期的に出社日を設けることで、従業員同士が顔を合わせてコミュニケーションを取ることを容易にしている。対面ではなくオンライン上でのコミュニケーションが多くなった今日、以前と完全に同じビジネスをするのは難しくなっている。ハイブリッドワーク同様に、大学の授業についてもリモートの授業が多くなり、対面授業を満足に受けることが出来なかった学生からクレームが出ている。一部は訴訟にまでなっている。
ガクチカという言葉がある。学生時代に力を入れてきたことの略語であるが、コロナ禍に学生時代を過ごした就活生がガクチカの壁に直面しているという。就職面接で「あなたは学生時代に何に力を入れてきましたか?」という質問に対して、自分をPRできる材料がないというのだ。「リモートと対面のまだら」というのは、立教大学 経営学部教授の中原淳氏のブログに出てくる表現であるが、まさに「まだら」模様の学生生活なのである。

一方、2021年4月施行の高齢者雇用安定法の改正に伴い、企業には、従業員に70歳まで就業機会を確保する努力義務が課された。少子高齢化による労働力不足が課題となる中、企業にはシニア人材のさらなる活用が求められている。年代を問わないシームレスな雇用を実現するためには、何が必要なのか考えるべきことが多い。

また、個人事業主、フリーランス、さらには一人親方など表現はさまざまだが、自分の意思判断で仕事を選び価格交渉ができる人たちの問題もある。自由意思というが、実態は少し違う。発注者と全く対等の立場で交渉できる人は限られる。多くは、大口発注者に従属せざるを得ないのが実態である。

コロナ禍により、仕事のみならず学習あるいはプライベートな活動さえオンラインで行われている。ただ、リモート飲み会はイマイチ定着しなかったように思われる。リモート飲み会に数回参加したが、口角泡を飛ばす議論にはならない。これは、温度感や湿度感がなかったせいなのかと思う。ウエットかドライかで言うと、ウエットな会合には適していないように思われる何事も選択肢が増えるという点では喜ばしい。場の設定が限りなく多くなり、同時に参加できる人数も増える。著名人の講演会は参加者が多すぎて会場に入りきれない場合、隣接の会議室をリモートでつなぐというのは、前からよくある風景であった。多段階式の場の設定である。リアル会場、リモートで隣接の会場、リモートで遠隔地の場所と選択肢が増えると便利である。パブリックビューイングなども遠隔地にいながら臨場感を味わう手段である。人が集まると自然に空気がウエットなものとなり、それなりに
興奮や感動が生まれる。ワールドカップのサッカー観戦を自宅で一人で楽しむ人もいれば、少しでも臨場感を味わうために、スポーツカフェやスポーツバーに出かける人もいる。最近、大手の不動産会社が取り組んでいる賃貸オフィスには、リモート会議が可能な一人用の個室ブースや共用コワーキングスペースがあらかじめ用意されている。わざわざオフィスに行かず自宅で必要な仕事ができる場合でも問題があり対策が必要だ。家でリモート会議中に子供がまとわりついて集中できない人もいる。また、外出時に事務作業場所が見つからないことがある。社内にいても、リモート会議用ブースは常に満席だったりする。私は、いろいろ試行錯誤して場所を探し回っているが、1人用の完全な個室ブースが駅の構内に出現したので驚いた。ステーションワークという仕事のスタイルだ。ワーケーションというのも良い。ワークとバケーションを組み合わせた造語でありリゾート地で仕事と遊びができるというのが売りだ。しかし利用できる人は限られているのが難点である。

「働き方改革」は、2016年に政府が本格的な推進を始めたことで流れができ、コロナ禍のリモートワーク普及によって一気に定着した。コロナ禍で在宅勤務を導入する企業が増え、2年経過した今は逆に出社の推奨が取りざたされるなど、働く場所をめぐる状況は流動的で、社員の悩みが尽きない。それをきめ細かく把握し、適切に改善して、働きがいのある職場にできるのか経営者の手腕が問われている。一方で、リモート勤務の増加に伴って、オンとオフの境界線が曖昧な働き方をどうするかという問題が出てきた。物理的に仕事から離れるだけではなく、心理的にも仕事の拘束から離れられるような環境を確保することが重要になる。

「人的資本経営」というキーワードがクローズアップされている。端的に言えば、今後、日本の企業が持続的に成長できるか否かは人的資本を有効活用できるのかにかかっているという。社員が一番の資本・財産だと気軽に言う経営者は多いが、その人たちの頭の中がロジカルに整理されているかは疑問である。業務の効率化はデジタルを活用して無駄を省く(たとえば二重入力の解消)などホワイトな合理化に留まらず、単なる人材配置の合理化(たとえば飲食店のワンオペ推進)などブラックな合理化に突き進む危険性を孕んでいる。働く人の負担増になる働き方改革になってしまったら、本末転倒である。経済産業省が音頭をとって、「人的資本経営コンソーシアム」が立ち上がっている。会長に就任した伊藤邦雄氏によって、「2023年、経営・人事が取り組むべき人的資本経営」や「人的資本経営の本質」について提言がなされた。その提言は以下の内容である。
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経営陣が自社の中長期的な成長に資する人材戦略の策定を主導し、実践に移すとともに、その方針を投資家との対話や統合報告書等でステークホルダーに説明することは、持続的な企業価値の向上に欠かせない。このため、一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏をはじめとする計7名が発起人となり、「人的資本経営コンソーシアム」の設立が呼びかけられ、2022年8月25日に設立総会が開催された。
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伊藤邦雄氏は、長らく一橋大学で教鞭をとられ、日本におけるコーポレートガバナンス改革に尽力されてきた。現在では多くの企業の社外取締役実践的な意見は示唆に富んでいる。2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードには、人的資本への投資について、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ具体的に情報を開示するべきであること等が記載さた。その後、経済産業省は2022年5月に、人的資本経営を実践に移していくための取組、重要性及び工夫をまとめた「人材版伊藤レポート 2.0」を公表している。
人的資本経営コンソーシアムを通じて、「人への投資」に積極的な日本企業に、世界中から資金 が集まり、次なる成長へと繋がることを期待したいとのことだ。

2022年は「人的資本経営」元年になると言われている。1月に岸田総理が方針演説にて「人的投資が企業の持続的な価値創造への基盤である。」と発言し、また5月には上記の「人材版伊藤レポート2.0」が発表され各企業において具体的な方策を推進する必要性が提言された。一方で、いかに経営戦略と人材戦略をつなげばいいのか、これまでの人的資源から人的資本への転換のために具体的にどのような取組みを進めればいいのか、悩んでいるいる企業は多いと思う。ウイズコロナの時代に入った今、働き方はさらに進化している。オンラインとリアルが絡み合う、まさにハイブリッドなビジネス環境で、仕事へのより柔軟な対応を求められる。

最後に個人的な意見を述べたい。たとえば花火見物。花火まで遠すぎたり、前の人の頭が邪魔になって良く見えなかったり残念なことが多い。それでもやっぱりリアルで見たい人たちで大混雑する。家でビールを飲みながらテレビで見るほうが楽なのに、わざわざ浴衣に着替えて、下駄を突っ掛けて家を出て、あえて混雑している場所に行ってリアルで見てみたい。雰囲気を味わいたいためだ。会議はリモートが定着した。IDFの理事会がそうである。知っている人が多いので、たとえ顔が見えなくてもニュアンスが伝わる。しかし知らない人ばかりの会議ならどうだろうか。採用面接だって1次面接はリモートでいいかも知れないが、最終面接まで全てリモートでいい会社は聞いたことがない。これも使い分けしている例であろう。リアルとリモートの併用、さらにその中間の形態など多層化多段階化の方向に進んでいくように思う。コロナで様々なことがふるいに掛けられ、我々なりのスタイルを掴んでいくようにしたい。

(参考)

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000148322.html

https://www.meti.go.jp/press/2022/07/20220725003/20220725003.html

https://www.veldhoencompany.com/ja/

https://www.stationwork.jp/

https://www.kokuyo-marketing.co.jp/liveoffice/

【著作権は、伊藤氏に属します】