第764号コラム:上原 哲太郎 理事(IDF会長、立命館大学 情報理工学部 教授)
題:「IDF20周年を迎えるにあたって:人材?人財?人在?! 神在!!」

4月になりました。我々デジタル・フォレンジック研究会(IDF)はこの4月から20期目を迎えます。(新年のコラムで8月に20期が始まると言ってしまったのですが、これは間違いで、IDFは2004年8月設立ですが期は4月から数えるのでこのコラムから20期目になります)、前回のコラムにも有りましたとおり、今期は20周年という節目を迎えるための期でありますとともに、これまで20年近く事務局を支えて下さった丸谷さんが事務局長を退任され(本当にありがとうございました)、新たに4月3日より後任事務局長候補の植草祐則様が着任されました。
※正式な植草様の理事・事務局長就任は、5/12(金)の第20期総会承認後からです。
昨年の事務局移転とIDFの独立収支運営への移行に加え、この新しい事務局体制の確立をもって、IDF運営にかかる大きな変化は一段落します。この間、会員の皆様にはご寄付をお願いするなど、数多のご協力をいただきました。この場をお借りいたしまして、改めて厚く御礼を申し上げます。

さて、来るIDF20周年に向けてこの20期のIDFの活動、とりわけコロナ禍で人が集まりにくくなったことで少し停滞気味になってしまった各分科会の活動を活性化させていくことが必要です。コロナ禍が急激に推し進めた社会活動のオンライン化は、物理的移動という社会コストを大きく下げる効果があり良かったとは思うのですが、同時に人同士の交流を疎にしてしまい、IDFのようにまだまだ人の少ない領域においては業界全体を盛り上げていく上でのデメリットも少なくなかったと感じております。今期からは各分科会の活動がオンラインからリアルやハイブリッドへの移行が進むと思われますので、皆様の積極なご参加をお待ちしております。

その分科会活動、IDF会長としては各分科会それぞれを応援していかないといけないのですが、本務では大学に身を置く者として人材の育成に興味が強く、個人的には我が儘を申しましてDF人材育成分科会とDF資格認定分科会にコミットさせていただいております。このうちDF資格認定分科会の活動、つまり基礎資格CDFP-Bや実務者資格CDFP-Pといった資格認定試験にかかる活動につきましては、コロナ禍という逆風の中でも継続できており、合格者の累計が500名を超えるなどDFに関する基本的な知識・技能を有することを証する資格として少しずつ認知が進んできています。経済産業省が示す「情報セキュリティサービス基準」においては、「3.デジタルフォレンジックサービスに係る審査基準」の「(1)技術要件 ア 専門性を有する者の在籍状況」に「サービス品質の確保のため、デジタルフォレンジックサービスに従事する要員のうち、次のいずれかの要件を満たす者を技術責任者として業務に従事させるとともに、要件を満たす者ごとの人数を明らかにすること。」と書かれております。この要件として「(ア)例示1-3に定める資格又は同等のものを有する者」が挙げられていますが、この例示1-3のDF専門資格がまさにCDFP-B, CDFP-Pおよび管理者資格CDFP-Mです。今後このDF資格認定の各資格がデジタル・フォレンジック事業にかかる必置資格…とまでは申しませんが、少なくとも一定の品質での業務を行うことができることを示すものとして、今後ますます広げてゆきたいと考えています。
参考:経済産業省「情報セキュリティサービス基準」https://www.meti.go.jp/policy/netsecurity/shinsatouroku/touroku.html

ところで皆さん、最近話題のChatGPTは試されたでしょうか。私は情報科学分野で30年ほど研究者を続けておりますが、このChatGPTの登場は間違いなくこれまでで一番の驚きでした。この技術の基礎である論文(Ashish Vaswani et.al., “Attention is All You Need”, 2017)は当時話題になったので読んではいたのですが、この論文で提案されたTransformerの規模を拡大した先にこのようなブレイクスルーが現れることはとても予想できませんでした。私は早速GPT-4に基づくサービスが利用できるChatGPT Plusを契約し、色々試してみているのですが、これは確かに限られた領域においては驚くべき性能を発揮しており、汎用人工知能(AGI)に最も近い立ち位置にいることが感じられて、毎日のように唸らされております。

Transformerとそれに基づく大規模言語モデル(LLM)が見せたこの可能性は、我々にとって厳しい現実を突き付けているようにも感じます。とても乱暴な言い方をすればChatGPTは膨大な知識を学習し、それを質問に応じて少しずつ拾ってきて要約し、整形して人に見せているに過ぎないのですが、それでも人を驚かせ、感心させ、時には創作性すら感じさせる出力を産み出すことに成功しています。このことは、人のやっていることの多くは実は「要約」に過ぎないのではないか、人の専門性とはその要約の背景となる知識の偏りに過ぎないのではないかということを示唆しています。専門家が多くの人とは違う知識と経験を背景とし、それを要約する能力を人に提供して活動しているとすれば、その相当部分はAIによって置換え可能ということになってしまいます。IDFのような専門家集団、社会にとっての希少性に価値を見いだそうとしている職能集団にとって、これは大きな脅威でもあります。

今後の社会はこのようなAGIに近い機械、普通の人には全く敵わない量の知識を背景にした、それでいて人のように振る舞う機械の存在を前提にする必要が出てきました。あらゆる教育や人材育成は少なからず影響を受けるでしょうし、それはもちろんDF分野の人材育成にとっても例外ではありません。ただ一つ言えることは、現在の構造のAIは学習の量の膨大さをその力の源泉としている一方、背景知識に論理を組合せ、それを積み上げて新しいものを産み出すことは苦手としています。知識を体系づけて組み上げ他の人に伝えやすくする仕事や、論理演繹の先に産まれた新たな知見を社会に示す仕事はまだ暫くは人の独擅場として残るでしょうから、このようなことを意識して今後の人材育成は考えていかなくてはならないのだろうと思います。

私たちは全知全能…ではないものの、もしかしたら全知に近い神をついに産み出そうとしているのかもしれません。このような神の存在を前提とした社会において、どのような人材を産み出し、単にAIを使う単純作業に勤しむだけの存在を超えた、社会で活躍できる「人財」に変えてゆけるかを考えることは、今後の人材育成に課せられた大きな課題なのでしょう。DF人材育成にとっても例外でないこの課題、答えは簡単に見つかりそうにないので、私はまたこれからChatGPTに相談してみたいと思います。

【著作権は、上原氏に属します】