2022年(令和4年)1月、名古屋地裁は、暴行事件に係る捜査の際に取得された無罪確定者の指紋、DNA型、顔写真及び携帯電話のデータを保有し続けることがプライバシー権を侵害するとして、人格権に基づき指紋、DNA型、顔写真及び原告所有の携帯電話のデータ(以下、「本件3データ」という)の抹消を命じた(名古屋地裁令和4年1月18日判決(判例時報2522号62頁)。以下、「名古屋地裁判決」という。)。従前、京都府学連事件判決(最高裁昭和44年12月24日大法廷判決(刑集23巻12号1625頁))や指紋押捺拒否事件判決(最高裁平成7年12月15日第三小法廷判決(刑集49巻10号842頁))は、捜査資料の「取得」に対する保護を認めたものにとどまるとされてきたのに対し、名古屋地裁判決は、「〔指紋やDNA型は〕データベース化して検索に用いたりすることで意義を発揮するものであることからすれば,みだりに指紋の押捺を強制されない自由やみだりにDNA型の採取を強制されない自由は,身体的な侵襲を受けない自由があるというのみならず,取得された後に利用されない自由をも含意している」として、捜査上適法に取得された情報については事後的利用も同時に許容されると解する(玉蟲由樹「判批」臨増ジュリスト1583号8頁)。また、名古屋地裁判決は、捜査上適法に取得された情報について、「データベース化することで半永久的に保管し、使用することが直ちに許されるかは別途考慮する必要がある」とするが、その理由に、「情報の漏出や、情報が誤って用いられるおそれがないとは断言できないものであり、また、継続的に保有されるとした場合に将来どのように使われるか分からないことによる一般的な不安の存在や被侵害意識が惹起され、結果として、国民の行動を萎縮させる効果がないともいえないことなどからすれば、何の不利益もないとはいい難い」点を挙げる。これは、萎縮効果を一種の被侵害利益として捉えたものであり、かかる考え方もまた名古屋地裁判決の特徴といえよう。
 以前、筆者は、別稿において、「名古屋地裁判決は、「容貌・姿態に係る被疑者写真については,もともと容貌・姿態は外部に晒されているものであり,加齢等によっても変容するものであるから,指紋及びDNA型と些か性質が異なる」としつつ、「データベース化して使用する問題は共通するものであるから,基本的に指紋及びDNA型の場合と同様に論じることが可能である」としているところ、捜査の類型ごとに被侵害利益の大きさを計り、これをもって捜査の適法性判断の基準としてきた従来の判例の考え方とは異なる視点を有している」と述べた上で、「名古屋地裁判決は、携帯電話のデータについては、データベース化されていないことから、指紋・DNA型・被疑者写真と同列に扱う必要はないと判断している。しかしながら…Riley判決[注・Riley v. California判決(Riley v. California, 573 U.S. 373 (2014).)]において指摘されたような携帯電話内のデータに対するプライバシー保護の必要性に鑑みれば…当該データの削除が認められて然るべきであったものと考える」と指摘したことがある(尾崎愛美『犯罪捜査における情報技術の利用とその規律』(慶應義塾大学出版会、2023年)。
 この点、控訴審である名古屋高裁令和6年8月30日判決(Westlaw文献番号2024WLJPCA08306001)は、第一審である名古屋地裁判決を支持し、携帯電話のデータについて、「仮に…本件携帯電話のデータが電子データの形で存在し保管されており、さらに、これらが何らかの形でデータベース化されているなどの実態があるのであれば、DNA型等の本件3データに関するものと同様の問題が生じるが…これらが電子データの形で存在していることを認めるに足りる証拠はない」として、第一審同様、携帯電話のデータの抹消請求を棄却している。そして、「個人に関する情報がみだりに利用されない自由が憲法上の権利であり、個人のDNA型や指掌紋等においても、それらがデータベース化されることによって不当に利用されたり、誤って利用されたりする可能性があり、それに起因して当該個人の私生活の平穏が害され、実際に不利益が及び得る客観的な危険性が存する以上、本来は、そのようなことを防止するための国会による立法措置が必要であるというべきであって、警察法という組織法による下位規則等への委任では不十分であるといわざるを得ない」として、「我が国と同様に、自由権等の国民の基本的人権を重視し、その保障を標榜している諸国においては…既に立法による適正な規制措置が当然のごとく採られているのであり、我が国においても、取得や保有の要件を明確にし、捜査機関から独立した公平な第三者機関による実効性のある監督や、罰則等による運用の適正を確保し、開示請求権や不当な取得や保有に対する抹消請求権を定めるなど、幅広い知見を集めた上、国民的理解の下に、科学的な犯罪捜査等に資するため、憲法の趣旨に沿った立法による整備が行われることが強く望まれる」と判示し、データベース化に対する立法を求めている。これらを踏まえると、名古屋高裁判決は、携帯電話のデータのみならず、電子データの形で保管され、何らかの形でデータベース化された捜査資料については、本件3データと同様、立法による規制の対象とみているものと思われる。
萎縮効果についても、名古屋高裁判決は、第一審より一歩進んだ解釈を行っている。すなわち、「データベースにDNA型等が保存されている限り、DNA型等を採取された個人は生涯にわたって、自らの行動等が警察等の捜査機関によって容易に把握され得るという意識を持ちながら生活することを強いられ、自由な行動に対する強い萎縮的効果がもたらされ、私生活上の平穏が害されることにな」り、「このような効果は、主観的、抽象的な漠然たる不快感や不安の念にとどまるものではなく、DNAが容易に物に付着したりするものであることから、自分の行動を快く思わない第三者によって遺留物が悪用されたりするリスクが常に存在するのであって、一般人の感受性を基準に考えると、唾液等が付着した可能性のある物の処分等にも気を配らなければならなかったり、相手の要求を拒否しにくくなったり、反対運動等に参加しにくくなったりする」ものであるとするのである。このような解釈を踏まえて、名古屋高裁判決は、捜査資料をみだりに保有され、利用されない自由を憲法13条によって保障されるとする。
加えて、名古屋高裁判決は、「法の下の平等(憲法14条1項)という面から考えても、一度被疑者(無罪推定がされている。)とされただけで、一般国民とは異なり、一度採取についての承諾をしてしまうと、保管及び利用についてこのような不利益を受忍しなければならない地位に置かれる(差別される)という根拠は見出し難い」として、「本件3データがその意に反して捜査機関に保管されていることは、法の下の平等(憲法14条1項)にも反する」としている。
名古屋高裁判決の最も特筆すべき点は、萎縮効果と差別というAIがもたらす負の側面に着目したところにある。犯罪予防や安全確保のためのカメラ画像利用に関する有識者検討会報告書においても、顔識別機能付きカメラシステムを利用することの懸念点として、「顔識別機能付きカメラシステムで利用する照合用データベースの作成過程自体に、特定の属性の者への偏見や差別が含まれているおそれがある」上、「顔識別機能付きカメラシステムが、技術的に特定の属性の者の検知率に差が生じたり、誤作動を起こしやすかったりすることにより、差別的効果が引き起こされるおそれがあ」り、「AIの学習用データベース自体に偏りがあった場合、一定の属性の者に対して差別的な検知がなされるおそれがある」こと(差別的効果)や、「自らの顔画像や行動を含む個人情報がいつ、どの範囲で取得され、いかなる目的で利用されているかが明確でないことにより不安になり、行動に対する委縮効果が生じ得る」こと(行動の萎縮効果)が挙げられているが、名古屋高裁判決は、「親子鑑定にDNAが用いられていることは公知の事実であるところ、捜査機関が保有しているDNA型を使って、親子等の親族関係を割り出すことも可能と考えられ」るとし、「顔写真も含め、AIの進歩等によって、さらに、現時点では想定されていない利用が行われるようになる可能性もある」として、AIを用いた捜査(AI捜査)全般に目を向ける。名古屋高裁判決は―下級審裁判例ではあるが―今後のAI捜査の適法性判断においても参照とされるべき事例となるのではないかと思われる。
 なお、名古屋高裁判決については原告・被告双方とも上告せず、国側の敗訴が確定している。また、報道によれば、判決の確定を受けて原告代理人が警察庁に問い合わせたところ、警察庁からは既にデータを抹消したとの回答がなされたが、代理人は、説明が不十分だとして、抹消方法や手続き過程などの詳細を明らかにするよう求める申し入れ書を送付したようである(日本経済新聞デジタル「無罪確定男性DNAデータ、警察庁「抹消」 高裁判決受け」2024年10月3日)。

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