第846号コラム:安冨 潔 理事(慶應義塾大学 名誉教授 渥美坂井法律事務所・外国法共同事務所)
題:「刑事訴訟法一部改正と難解な法律用語」
令和5年5月10日、第121回通常国会において、刑事訴訟法等の一部を改正する法律(令和5年法律第28号)が成立し、同月17日に公布されました(施行は令和10年5月16日までの政令で定める日です)。
この法律では、保釈中の被告人等による逃亡を防止し、公判が開かれる期日への出頭と裁判の執行を確保するための法整備を行うことが改正の主な目的でした。
この法改正が検討されるきっかけとなったのは、令和元年12月に第一審の公判前整理手続中に、海外渡航禁止などを条件として保釈された被告人が、その条件に違反して不法に出国して逃亡したという事案が発生したことでした。これまでも、懲役刑が確定した者や勾留の執行を停止された被告人が逃亡した事案はありましたが、保釈された外国人の被告人が巧妙な手段で国外に逃亡したというのはなかったと思います。
被告人の逃亡事案の発生は、社会に不安を生じさせるだけでなく、適切に対処できなければ裁判の遂行や刑の執行を妨げるだけでなく、刑事司法制度への国民の信頼を損なうことにもなりかねません。
こうした背景があって、被告人等の逃亡防止ための適切な方策を講じるということで法案が策定され、国会審議を経て、刑事訴訟法の一部が改正されたのです。
この改正では、被告人等の逃亡防止ために、いわゆるGPS端末により保釈中の被告人の位置情報を取得・把握する制度を新たに設けました。
このことは国外に逃亡した場合にはわが国の主権が及ばないために、これを阻止する必要性が高いですし、海空港への接近を探知して身柄を確保するための方策としては、その限りにおいて合理的な手法ということができるかと考えます。
もっとも、刑事手続において、いわゆるGPS端末を用いて位置情報を検索し把握することについては、最高裁判所が、車両に使用者らの承諾なく秘かにGPS端末を取り付けて位置情報を検索し把握するGPS捜査は、個人のプライバシーの侵害を可能とする機器をその所持品に秘かに装着することによって、合理的に推認される個人の意思に反してその私的領域に侵入する捜査手法であり、令状がなければ行うことができない強制の処分であると判示しています(最高裁判所平成28年(あ)第442号(窃盗、建造物侵入、傷害被告事件)平成29年3月15日大法廷判決・刑集第71巻3号13頁)。
したがって、いわゆるGPS端末を用いて位置情報を検索し把握するについては、具体的にどのような場合が適当かということは、慎重に検討しなければならないと考えられます。
ところで、この最高裁判所の判例では、GPS端末装置についての定義は説示されていません。
最高裁判所は、GPS端末を取り付けて位置情報を検索し把握する刑事手続上の捜査をGPS捜査というと述べているにとどまります。
また、法案審議の過程でも、GPS端末により保釈中の被告人の位置情報を取得・把握する制度の創設を検討するにあたって「GPS端末」の定義はとくに議論されていません。
そして、改正された刑事訴訟法においても、「GPS端末」という用語は用いられていません。
とはいえ、裁判所の命令により、保釈中の被告人にいわゆるGPS端末を装着させ、一定の区域に侵入した場合には、速やかにその身柄を確保することで国外への逃亡を防止する制度を新設するために設けられた刑事訴訟法第98条の12第1項では、
「位置測定端末」とは「人の身体に装着される電子計算機であって、人工衛星から発射される信号その他これを補完する信号を用いて行う当該電子計算機の位置及び当該位置に係る時刻の測定に用いられるものをいう。」
と定義されています。
その上で、同条第3項では、
「位置測定端末は、次に掲げる機能及び構造を有するものでなければならない。
一 位置測定のために必要な人工衛星信号等を受信する機能二次に掲げる事由の発生を検知する機能
イ 位置測定端末が装着された者の身体から離れたこと。
ロ 位置測定に関して行われる信号の送受信(以下「位置測定通信」という。)であつて位置測定端末に係るものが途絶するおそれがある事由として裁判所の規則で定めるもの
ハ ロに掲げる事由がなくなったこと。
二 イからハまでに掲げるもののほか、位置測定端末を装着された者の本邦からの出国を防止し、又はその位置を把握するために位置測定端末において検知すべき事由として裁判所の規則で定めるもの
三 前号に掲げる事由の発生が検知されたときは、直ちに、かつ、自動的に、位置測定端末を装着された者に当該事由の発生を知らせるとともに、第五項の閲覧設備において当該事由の発生を確認するために必要な信号を、直接に又は次項の位置測定設備を経由して、第五項の閲覧設備に送信する機能
四 人の身体に装着された場合において、その全部又は一部を損壊することなく当該人の身体から取り外すことを困難とする構造
五 前各号に掲げるもののほか、位置測定に関して必要な機能又は構造として裁判所の規則で定めるもの」として保釈中の被告人の位置情報を取得・把握するにあたって用いることができるGPS装置の機能と構造を定めています。
「はて?」
法律は、国民の権利義務について規定するものであるだけに、誤解などが生じないよう、立法者の意図した内容が正確かつ厳密に表現されなければなりません。そこで、日常用語として使われている言葉も、法律の解釈にあたって疑義を少なくするためにその語句がどのような意味で用いられるかを明確にするために、法律用語としては難解な言い回しとなっていることが少なくありません。
これまでも刑事法分野では、コンピュータに用いられるデータは「電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるもの」(刑法7条の2)、いわゆるコンピュータウイルスは「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録をいう。」(刑法168条の2)、リモートアクセスは「当該電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体であって、当該電子計算機で作成若しくは変更をした電磁的記録又は当該電子計算機で変更若しくは消去をすることができることとされている電磁的記録を保管するために使用されていると認めるに足りる状況にあるものから、その電磁的記録を当該電子計算機又は他の記録媒体に複写した上、当該電子計算機又は当該他の記録媒体を差し押さえる」(99条2項)、ビデオリンク方式は「裁判官及び訴訟関係人が証人を尋問するために在席する場所以外の場所であって、同一構内(これらの者が在席する場所と同一の構内をいう。)にあるものにその証人を在席させ、映像と音声の送受信により相手の状態を相互に認識しながら通話をすることができる方法」(157条の6)等と表現されてきました。
とはいえ、法曹関係者だけでなく技術者のみなさまはこの「位置測定端末」の定義をお読みになってどのような感想をお持ちになるでしょうか?
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