第855号コラム:上原 哲太郎 IDF会長
(立命館大学 情報理工学部 教授)
題:「新年のご挨拶:サイバー安全保障とAI」

皆様、新年あけましておめでとうございます。

昨年、このコラムでの新年のご挨拶は、コロナ明けが感じられるようになった喜びの言葉で始めたのですが、現実は元旦から能登の地震、2日には羽田での航空機衝突事故と大変な年明けになってしまいました。特に能登はその後も豪雨に見舞われるなど、災害が続きました。被災地の皆さんには改めてお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りします。

 世界に目を移しますと、昨年は長引くロシアウクライナ戦争と不安定さを増す中東を中心に世界情勢の厳しさが増した1年でした。サイバーの世界でも大きなランサム攻撃が相次ぎ、特にKADOKAWAへのランサム攻撃は、多くの人が利用するネットサービスが破壊され、再構築を余儀なくされたため大きな社会的影響を与えました。また、CrowdStrike Falconの障害により世界的にシステム障害が広がった事件は、セキュリティ対策のための技術選択の難しさを考えさせるものであったと思います。

そのように相変わらず厳しいサイバー情勢の中で、昨年末に第21回を迎えたデジタル・フォレンジック・コミュニティは、経済安全保障をテーマに、会場を変更するなど新しい形で開催させていただきました。ご参加頂いた皆様、ご登壇頂いた講師の皆様、協賛企業の皆様に改めて御礼を申し上げます。

さて、その経済安全保障の関連では、今年はいよいよ能動的サイバー防御(ACD)に関する法が国会にかけられることになりそうです。サイバー攻撃が発生する恐れが高い場合に事前に行政が動くことができるようにするための法整備であるACDは、国や重要インフラを保護する観点から極めて重要であります。一方で、特に盛んに謳われる「重大なサイバー攻撃について、可能な限り未然に攻撃者のサーバへの侵入・無害化」を行うことは、海外に存在するサーバも含めて考えれば容易ではありません。有識者会議の提言は緊急事態を援用して違法性を阻却することで国際法上も認容される行為に収める方向を示していますが、これを有識者会議自身が「アクセス・無害化の国際法上の評価について一概に述べることは困難」と前置きしていることでも解るとおり、多くの難しい議論を乗り越えて法に建てつける必要がありそうです。一方、この関連法が無事成立しACDが可能になれば、今度は各「アクセス・無害化」行為についてその違法性が阻却されていたことが後からでも証明されることが必要になってきますので、まさにデジタル・フォレンジックの出番がそこに待っているように思います。

もう一つ、昨年大きな話題になったことに、ネット世論の政治への影響があります。兵庫県知事選挙では、大手マスコミによる事前の予測をひっくり返す世論形成がSNSを中心に短期間で行われました。近年、SNSが世論形成に大きな役割を果たすのは米国大統領選をはじめとして世界的に見られている現象であり、それに際しては真偽が定かではない情報が盛んにネット上を飛び交う中で世論が急速に動いていくのもまた世界共通の課題であります。プロパガンダというものが権力者のマスコミ操作によって行われた時代から、戦略的なSNS活用によって大きな権力や資本を持たない者によっても行われうる時代に変わり、民主主義というものが別の形で揺るがされていると感じさせられます。その一方で、表現の自由を守ることもまた民主主義の大原則ですので、私たちに出来ることはファクトとフェイクをどのように見分けるかを示していくのに尽きるように思いますが、そこに大きな障害として立ちはだかるのが生成AIであります。その急速な発展はフェイクの流布を容易にし、ファクトとフェイクの境目をあいまいにしてしまっているので、そこに対抗する技術が求められているのではないでしょうか。今こそAI生成物の判定や偽造画像・動画の判定といったメディアフォレンジックの技術や、情報の流通経路を追跡し発信者を同定するための技術などが求められてきているように思います。IDFにはこの分野での活動はまだ盛んであるとは言いかねますが、会員の皆様でこの分野にご興味をお持ちの方がおられるようでしたら、部会立ち上げ等を含め支援して参りたいと思います。

生成AIの社会的インパクトが世に知られてから3年ほどが経ち、新しい技術が功罪両方の形で社会的影響を与えていることをリアルタイムで感じられる、ある意味とても面白い時代に入っております。そんな中で新たな問題を含めた社会の諸問題の解決にデジタル・フォレンジックを役立てるために、IDF会員の皆様のお力をお借りしつつ、今年も活動を続けて参ります。

2025年が皆様にとって良い年となることを祈念して、新年のご挨拶とさせていただきます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

【著作権は、上原氏に属します】