コラム第870号:「翻訳された言葉としてのデジタル・フォレンジック」

第870号コラム:佐々木 良一 理事(東京電機大学 名誉教授 兼 同大学サイバーセキュリティ研究所 客員教授)
題:「翻訳された言葉としてのデジタル・フォレンジック」

 本を読んでいて、うまい翻訳語だなと感心したり、翻訳語を作った人たちは苦労したんだろうなとしみじみ思ったりすることがある。

 衛生などはSanitaryの訳であろうが名訳である。中国の思想家、荘子の庚桑楚篇に登場する『衛生』という言葉を「生命を衛る」という意味で行政用語として用いたものであるようだ。この使用を明治政府に具申したのは長與専斎であるといわれている。類似の翻訳語として、衛星がある。Satelliteの訳で何かを衛る星という意味だろう。衛星も衛生もなかなかの名訳だと思う。

 Securityもいろいろに訳されている。Information Securityは通常、情報セキュリティと英語をそのままカタカナにした形で訳され、Cyber securityもサイバーセキュリティと英語をそのままカタカナにした形で訳されている。一方、National Securityは安全保障であり、Public Securityは公安あるいは公安活動だろうか。さらに、Social Securityは治安活動と訳されるようだ。また、Home Land Securityを国土防衛と訳していたものがあった。それぞれずいぶん違った印象を与え、漢字表記したものの方が概して勇ましく感じる。

 一般に翻訳語を漢字にしたものの方が日本語話者にとって意味が直感的に伝わりやすいように思うが、うまく訳語を選ばないともともとの英語の意味の乖離に気づかないという問題もある。それに対し、外国語をカタカナ表記したものは、外国語の意味を知らないと、意味が全くわからないということになるが、時間とともに理解が進むという面もある。最近は外国語をカタカナ表記したものを使うことが増えてきているように思う。

 デジタル・フォレンジック研究会を立ち上げる時Digital Forensicsの訳をどうするかに関しいろいろな議論があった記憶がある。デジタル鑑識にしようという意見もあったが、警察だけが使うものでないということもあり、採用されなかった。また、「デジタルフォレンジックス」とすべきだという意見もあった。私は決定の場に参加しなかったように思うが、結局「ス」をつけないことになった。「ス」をつける表記にするのは日本語としてこなれていないからだったのだろうか。また、デジタルとフォレンジックの間に「・」を入れることになっている。私自身はどちらかというと「・」をつけないのが好みだが、研究会として表記法を決めておくのはよいことだと思う。

 研究会発足以来20年以上がたち、昔のことを知らない人が増えてきているので、この辺りの決定の経緯も記録に残しておいた方が良いように思う。

以上

【著作権は、佐々木氏に属します】