コラム第886号:「暗証番号4ケタの起源~またはATMの歴史~」
第886号コラム:上原 哲太郎 理事(IDF会長、立命館大学 情報理工学部 教授)
題:「暗証番号4ケタの起源~またはATMの歴史~」
4月の年度初めのコラムで予告した通り、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」に出演する機会を得ました。初回放送は4月25日(金)、再放送は7月5日(土)でしたが、ご覧になった方はおられるでしょうか。お題は「なぜ暗証番号は4桁なのか?」でした。
番組中ではこう解説しました。「世界初のATMの開発者であるジョン・シェパード・バロンは最初暗証番号を6桁にしたが、奥さんが4桁でないと覚えられないと言ったので、4桁に変更した。」
この話は大変面白い逸話であるがゆえに有名で、主要な文献でも紹介されている話であります。ですが、よく調べてみると「ジョンさんの奥さんが4桁しか覚えられないと言ったから」4桁になったのではなさそうなのです。テレビの収録時点でもそのことは判っていましたが、ただまぁ、テレビ番組の限られた尺の中で本当の正確なところを伝えるのは難しいので、こういう話にさせて頂きました(これは番組制作側と相談して決めたことです)。そこで本コラムではもう少し詳しい事情を解説することにします。少し長い話になりそうなので、最初に結論だけまとめておきますと、以下のようになります。
- 番組でも述べた通り、世界初の暗証番号式ATMは暗証番号6桁だったが、その後4桁に改修された。それは4桁暗証番号を採用したATMが他社から現れてそちらが主流になったからのようだ。6桁より4桁が主流になったのは、多くの人が6桁を覚えられなかったからではないか。
- 「世界初の現金支払機能を持つATM」は実は日本の立石電機製であると思われる。ただし暗証番号は採用されていない。
- 暗証番号は当初、銀行など発行者が決定して顧客に通知する方式が取られていたようだが、それが顧客が決定する方式に切り替わった時期が不明である。
少し詳しく見ていきましょう。
ATMの話をするには、その元となった自動販売機の話から始めるべきでしょう。自動販売機の歴史はなんと紀元前にまで遡れるほど古いものですが、近代的な自販機は19世紀後半に現れ、1950年代には特に欧米では極めて一般的なものになっていました。つまり、販売という業務の肩代わりをする自動機械がある程度普及していたわけですが、逆に銀行やクレジットカード会社に必要な、現金を預ける、引き出す、貸し出すという機能を持つ機械はまだありませんでした。そんな中、1959年に米国のLuther Simjianが現金の預入機を考案し、翌年特許を取得します(US3079603)。この機械はBankographと呼ばれ、実際に1961年にニューヨークのFirst National City Bankに2台試験的に導入されました。これはまさに「世界最初のATM」といって良いものですが、現金の預け入れだけでは利用が伸びなかったようで、6ヶ月足らずで撤去されたので、実用になったとは言いがたいものがあります(なお、預け入れに際して暗証番号は必要なかったようです)。
しかしそれでも、世界的に「お金を引き出せる機械」つまり現金自動支払機の需要は高まっていたと思われます。1965年頃にはロンドンの決済銀行組合(Comittee of London Clearing Banks: CLCB)は「1969年までに週休二日制を導入する」ことを決定し、その実現のためには「1969年7月1日までに150台の、12月末まだにはさらに100台のCach Machineを用意する必要がある」と結論づけています。そこで、ロンドンでは3つの銀行グループがそれぞれ開発会社と提携し、現金自動支払機の開発に乗り出します。一つはBarkeley BankとDe La Rue社の提携、もう一つはWestminster BankとSmiths Industries社およびChubb & Sons社との提携、最後はMidland BankとSpeytec社およびBurroughs社との提携でした。
この頃、日本で自動販売機の技術を磨いていた会社に立石電機(現オムロン)がありました。立石電機は食券自動販売機の開発を行い、1962年7月に大丸京都店の大食堂に設置します。この食券自販機は、販売するとともにその販売記録を保持する機能を持っていたのですが、立石電機はこの方式をベンジスタと呼びました(Vending MachineとRegisterを組み合わせた造語)。このベンジスタ技術を元に、1965年1月、立石電機はクレジットカードによる販売システムCredit Card System for Vending Machine (CCVS)を米国で発表、米国トップの自販機ベンダだったAutomatic Canteen社との提携による「クレジットカード式自販機」の開発に乗り出します。同じ発表は同年9月に東京でも行われますが、その発表会で同技術を知った日本クレジット・カード社の依頼で、立石電機は「クレジットカードを挿入すると現金が貸し出される機械」つまり現金自動支払機の開発を始めます。
さて少し時間が遡り、スウェーデンには別の面白い動きがありました。Securitasという火災報知器の会社が、1964年秋、ストックホルムで開かれた展示会においてGate Control Deviceというカード式の鍵を使ったビル入館システムを展示します。このカード鍵はプラスチック製で、パンチカードのようにいくつか穴が開けられており、この穴のパターンを光学的に読み取って「ビルのどのドアが開けられるか」が決定されているものでした(つまり1枚のカードで、オフィスビルの入り口と、持ち主が所属する事務所のドアの両方が開けられるように工夫できたのです)。この穴にはさらに、鍵の持ち主が正当か確認するために、各ドアでの使用時に「4桁の暗証番号」を入力する機能も持っていました。暗証番号も、暗号化された上で穴のパターンで表現されています。私はこれがおそらく「4桁暗証番号の起源」であろうと考えています。
その後Securitasのカードは意外なところに応用されます。1965年12月10日、同社はストックホルム南方のTumbaというところにあるEssoガソリンスタンドにセルフサービスガソリンスタンド用給油機Tancomatというものを設置します。このTancomatでは、Gate Control Deviceで使われたのと同様の穴が空いたプラスチックカードをクレジットカードとして挿入し、4桁の暗証番号を入力することで給油代金が支払える仕組みでした。つまり立石電機のCCVSと同様、クレジットカードによる自動販売機でした。これの反響が影響したかどうかは明らかではありませんが、翌1966年Securitas社はSparfrämjandet(スウェーデンの貯蓄銀行の利用する機器や設備の共同調達を担う組織)から現金自動支払機、つまりATMの開発を依頼されます。当時スウェーデンの貯蓄銀行では給与の銀行振込が普及してきたことにより窓口における支払業務が逼迫し、その自動化が急務だったようです。そこでSecuritas社は硬貨選別器のベンダだったRausing Companyと共同でATMの開発会社Metiorを設立し、Sparfrämjandetと合同で現金自動支払機の開発を始めます。この時点で既に個人認証にはAutomatkort(英訳するとAutomate Card、今でいうCash Card)として上記の「穿孔式クレジットカード」を採用することを決めていたようです。
ところが、一方でこの穿孔式のカード技術はイギリスにも伝わっていたようです。Smiths Industriesの関係会社(後に子会社)Kelvin Hughes内でATM開発プロジェクトに関わっていたJames Goodfellowは、この穿孔式カードと暗証番号を使った現金自動支払機を構想し、1966年5月2日付けで英国特許を取得しています(GB1197183)。このことを持って同氏を「世界初のATMの発明者」とする主張があり、一定受け入れられています(「チコちゃん」でもこのことをアナウンサーに補足していただきました)。ただ、注目すべきは同特許では暗証番号を「5桁」としています。これは、James Goodfellowが既にSecuritasの4桁暗証番号技術を知っていたため敢えて避けたのかは判然としません。さらにこの技術は後にChubbs社のATMに生かされることになりますが、その際には暗証番号は6桁に増えています。
そんなわけで1965年から1966年にかけて、世界中で複数の会社が現金自動支払機の開発に乗りだしたわけです。そのうち最初に実装に成功したのはどこだったのでしょうか?
実は、一番乗りは立石電機でした。それも極めて早い時期です。日本クレジット・カードから依頼を受けた翌年1966年7月1日、立石電機は「コンピューター・ローン・マシン」を納入します。この第1号機が日本クレジット・カード東銀座支店に設置され、稼働したのは7月13日のことです。これが恐らく「世界最初の現金自動支払機(キャッシュディスペンサー)」つまり「世界で最初のお金が引き出せるATM」です。この機械に専用に発行されたクレジットカードを挿入すると、2万円が入った封筒が払い出されました。返済期限は3ヶ月、利率は5.5%だったそうです。ただ、このクレジットカードは磁気でカード番号等を記録していましたが、暗証番号は用いられていませんでした。コンピュータ・ローン・マシンの国内第2号機は翌1967年2月に日本クレジット・カード大阪支店、第3号機は1970年4月24日株式会社マルイト梅田店で稼働しています。このように同機は国内では商業的に成功したとは言いかねますが、海外からの引き合いが多く、スウェーデン、スイスそしてアメリカの複数の銀行やローン会社に向けて出荷され、特にアメリカCapital National Bank of Miami向けには多数納入されました(同銀行関係で1969年に22億円の商談が成立したそうです)。このように、コンピューター・ローン・マシンは世界初の実用化されたATMだと思われるのですが、言語の壁もあってか欧米では世界最初のATMとは認識されていません。
では、暗証番号式の現金自動払い出し機の1号機はどれでしょうか?それがチコちゃんにも登場したJohn Shepherd-Barron によるDe La Rue社DACS(De La Rue Automatic Cash System)です。立石電機に遅れること約1年、1967年6月27日、Barclays Bankの北ロンドンEnfieldの支店に設置され稼働しました。ただ、このDACSは今のATMと少し異なり、カードではなく専用の小切手を用いました。小切手には口座番号が磁気インクで印刷されるとともに、暗証番号は暗号化された上でパンチ穴のパターンで表現されていました。さらに、この小切手には微量のC14(炭素の同位体で放射性があります)が染みこませてあり、それを検出することで偽造防止を行っていました(これはDe La Rueお得意の特許技術GB990256)。このような方式を取った背景にはもともとDe La Rueが印刷会社であり、紙幣の印刷を担うなど偽造防止技術にも自信があったのだろうと推察されます。この小切手をDACSのトレイにセットし、6桁の暗証番号を入力すると、1ポンド札10枚を紙バンドで留めた札束が引き出されるというものでした。ただ、このDACSは商業的にはあまり成功しなかったようです。というのはこの小切手をトレイに正確にセットするのが煩わしいことと、後述するように競合他社がカード式を採用したために淘汰されてしまったようです。De La Rueは当初250台のDACSをBarclays Bankに納入する予定でしたが(開発資金を同銀行から得ている関係もあり独占契約を結ばされていました)、1974年までに約50台しか納入できておらず、同銀行は同年ATMをNCR 770に交換を開始、計100台導入しています。
DACSがBarclays Bankで稼働してわずか10日足らずの1967年7月6日、スウェーデンMetiorの現金自動支払機Bancomatが北ストックホルムのUppsala Sparbankで稼働しています。さらにその2日後、7月8日にストックホルムのSvenska Handelsbanken銀行でも稼働しました。この機械は前述の通り、給油機だったTancomatの技術が転用されており、穴あき式のプラスチックのカードをキャッシュカードとして用いて、4桁の暗証番号を用いた認証をしていました。つまり、「世界最初の4桁暗証番号のATM」であります。かつ、小切手を用いたDACSと違ってカード式であることや、定額出金だったコンピュータ・ローン・マシンやDACSと違って出金額が選択できた(紙幣計数機能があり、1枚から5枚までの紙幣を払い出しできた)こと、さらに面白いことに現代のATMと同じく「認証後、カードがまず返却され、これが抜き取られたことを確認してからドロワーから紙幣が出てくるという手順にすることによって、カードの受け取り忘れを防止する」という仕組みが実装されていたところも含め、現代のATMにかなり近い機能を持っていました。このBancomatはその後大ヒットして、1968年に入ると多くの欧州の国に導入されました。さらに1968年5月にIBM 360に接続されたことで世界初のオンラインATMとなったこと(当初からメインフレームとの接続は計画はされていましたが、最初のバージョンには間に合いませんでした)、カードに書き込む情報をパンチ穴から磁気記録に変えた版も作られたことから、ますます今のATMに近いものになりました。Bancomatは1970年ごろまでに2200台程度が出荷されたそうです。
Bancomat登場と同じ月、1967年7月31日に、世界で4機種目のATMとしてChubb社製のMD2がWestminster BankのロンドンVictoria支店で稼働します。このMD2は、James Goodfellowによる「世界初の暗証番号式ATM」の特許に基づくものですが、色々と改良がなされています。まず、暗証番号は結局6桁になっています。また、カードは穿孔式ですが、偽造防止のためにカードに磁気コーティングがなされ、その磁気データも利用したようです。運用としては、カードを挿入し6桁の暗証番号を入力すると、それを確認すると取引のたびに一度回収され、口座残高に反映する処理が銀行側によってなされてから顧客に返送されていました(オフラインATMなのでそういう運用になります)。引き出し額も定額(Westminster Bankの場合は10ポンド)ですので、使用感としてはDACSに近いものがありますが、少し違うのは設定により、カードによって引き出しできる額が5ポンドや15ポンドに変更できたことでしょう(設定は銀行の裁量なので顧客が選べたわけではありません)。また、カードの返送はWestminster Bankの場合最長でも4営業日ほどで行われたようですが、それでも不便を感じるような顧客のために複数枚のカードを持たせることもあったようです。Barclays BankはDACSが設置された店舗に口座を持つ顧客しか使えないようにしていたのに対し、Westminster Bankはいずれかの支店に口座があればどのMD2も利用可能にしていたのは、現在のATMの運用と近いのですが、これがオフラインATMで行われていたのは驚きです。De La RueがBarclays Bankと独占契約を結ばされたのとは対照的にChubbsはそのような契約がなかったので、そのうちChubbsのMD2はイギリスの他銀行や他国の銀行でも採用されるようになりました。1970年までに700台ほどが出荷されたという記録があります。
さて、こうしてみると、最初の4機種のATMの暗証番号は、なし、6桁、4桁、6桁とバラバラです。特にイギリスにおいては1968年9月にロンドンのMidland Bankに設置されたSpeytec社とBurroughs社の共同開発によるRT2000 Remote Tellerも暗証番号6桁でしたから、最初はどちらかというと6桁が主流だったことになりますが、それが4桁なったのはなぜで、いつなのでしょうか。John Shepherd-Barronは2006年に受けたBBCのインタビューの中で「妻が4桁しか覚えられないと言ったので、DACSの暗証番号を4桁にした」と語っており、これが「チコちゃんに叱られる!」でもお話しした説になります。ただ、実際のところはDACSの暗証番号が4桁に改修されたのは1969年のことであり、この時にはJohn Shepherd-Barronは米国に渡って別のプロジェクトに従事しています。DACS改修は別の技術者に割り当てられていたので、暗証番号を4桁にする決定にJohn Shepherd-Barronが関わることができたのかは疑問が残ります。そこで当時の状況をよく考えてみると、この頃までに欧州にはBancomatが拡がり始めており、さらに米国ではイギリスの状況をよく研究した上で独自開発されたDocutel社Docuteller が1969年に登場し、同じ年には日本の立石電機が独自に住友銀行向けに「キャッシュディスペンサー」を開発しましたがこれまた暗証番号4桁でした。つまり、1970年頃までの状況でいえばイギリス以外では4桁の暗証番号を採用する銀行が多かったという事実があります。またDACSはBarclays Bankに独占供給される契約でしたから、暗証番号を4桁にする改修にはBarclays Bankの希望が強く反映されていると考えられます。ここで少なくともDACSについては、暗証番号は銀行側が決める運用がなされていたというのも重要でしょう。銀行側に与えられた無意味な数値を覚えるというのはなかなか難しく、銀行の現場側で顧客からの苦情があった想像に難くありません。つまり、「多くの人が4桁しか覚えられないから4桁が主流になった」というのはあながち外していないだろうと思います。その代表がJohn Shepherd-Barronの妻でも別によいと考え、世界初の暗証番号式ATMの開発者に敬意を表して、番組内ではあのような解説をしました。
というわけで、思わず長いコラムになってしまいましたが、暗証番号4桁の本当の起源は「4桁と6桁が混在する状況になったときに、多くの人が4桁を望んだ」というところでしょうか。ただ、ここで気になるのは「暗証番号を銀行側ではなく顧客が選べるようになったのはいつか?」という問題です。これに関してはいくら調べてもはっきりしたことが判らず、せめて日本の銀行の運用の経緯だけでも知りたいと思っています。もし情報をお持ちの方がいらっしゃったら、是非上原まで情報をお寄せ下さい。お待ちしております。
参考文献:
Bernardo Bátiz-Lazo “Cash and Dash: How ATMs and Computers Changed Banking”, OUP Oxford, 2018
根本 忠明 「銀行ATMの歴史: 預金者サービスの視点から」, 日本経済評論社, 2008
立石電機株式会社「創る育てる : 立石電機55年のあゆみ」, 立石電機, 1988
宮智宗七「キャッシュ・ディスペンサーは銀行経営を変えるか」, 日経ビジネス1970年4月号
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