コラム第889号:「公正な司法におけるデジタル・フォレンジックスの役割」
889号コラム:丸山 満彦 監事(PwCコンサルティング合同会社 公認会計士 パートナー、情報セキュリティ大学院大学 客員教授)
題:公正な司法におけるデジタル・フォレンジックスの役割
冤罪事件について
冤罪事件について警視庁が「国家賠償請求訴訟判決を受けた 警察捜査の問題点と再発防止策について」という報告書を公表しました[1]。また、警察庁からは同報告書を受けて同日に「国家賠償請求訴訟判決を受けた警察庁外事課における対応の反省事項と 公安・外事部門の捜査における再発防止策について」という報告書を公表しました[2]。併せて警視庁の警視総監は記者会見を開いて謝罪しました[3]。また退職者を含む関係者19名を処分または処分相当にすると発表されています[4]。報告書等によると、今回の事象の最大の反省点として捜査指揮系統の機能不全が挙げられています。現場が違法な手続きによる捜査により、逮捕、起訴をしていく段階で、適切な監督ができていなかったということなのだろうと思います。その点を踏まえて再発防止策として、組織としての捜査指揮を適切かつ実効性があるものとするための体制を再構築し、それが十分に機能を発揮できるようにするということになっています。警視庁の報告書によると以下のようになっています。
1 緻密かつ適正な捜査の徹底のための取組
(1) 部長捜査会議(仮称)制度の導入
(2) 体制の整備
ア 公安総務課長の役割の明確化
イ 公安捜査監督指導室(仮称)の新設
ウ 捜査に関する相談・意見の受付け
エ 警察署等からの質疑への対応の強化
(3) 幹部の捜査指揮能力の向上
ア 通達の発出
イ 教養・研修の充実
(4) 捜査実務能力の向上
ア 教養・研修の充実
イ 公安・外事捜査員育成プログラム
ウ 他部門での長期派遣研修
(5) 捜査会議の活用
(6) 関係機関との連携強化
ア 検察庁との連携
イ その他
2 より良い捜査指揮に資するための意思疎通の円滑化
(1) 幹部の意識改革
(2) 部下が声を上げやすい職場環境づくり
ア 公安部における意識改革
イ 公安部ホットライン事務局の整備
ウ 既存の窓口の活性化
(3) 多面観察の実施
3 不正輸出に係る外為法違反取締りの在り方の見直し
体制の整備は、おそらく数ヶ月もあれば整備できると思います。これは形の問題ですから。本当の問題は組織風土の改革(意識改革を含む)です。これは実質的な問題です。まさにこの問題のために体制の整備をするということだと思います。組織風土の改革には、私の実務経験からいうと最低5年間は継続的に実施していく必要があると思います。組織風土の改革は、ある意味組織革命のようなものだからです。このような資料を公表し、記者会見まで開催し、謝罪をした警視庁の本気度に期待することとしたいと思います。そして、この組織改革が全ての都道府県で同じように進むことを期待したいと思います。過ちを認め、反省し、改善をしていく組織であることを示すことが、何よりも国民に信頼される行政機関となるための必要な姿勢だろうと思います[5] 。
捜査実務能力の向上に関して
さて、この報告書を読んで気になった点についてです。報告書では捜査実務脳梁の向上として、
ア 教養・研修の充実
イ 公安・外事捜査員育成プログラム
ウ 他部門での長期派遣研修
の3つを挙げていて、「ア 教養・研修の充実 」では次のような記載があります。
公安・外事事件を担当する捜査員(以下「公安・外事捜査員」という。)を対象として、捜査関係法令をはじめ捜査実務に関する知識・技能の向上のため、階級や経験に応じた研修、ロールプレイングを取り入れた実践的な教養や 巡回教養等を継続・強化するとともに、捜査能力の向上や各種法令への理解促進のため、適正捜査や過去の好事例等についての教養資料を充実させる。
重要なことが書かれていると思います。願わくば、捜査実務に関する知識・技能の向上として、「物的証拠に基づく捜査」の重要性が強調されればと思います。日本の司法制度の課題として、自白に基づく証拠が信用性のある証拠として取り扱われる傾向にあるということがあると聞きます。そのために有罪にするための証言を得るために容疑者に対して、長期間にわたる拘束を行い、いわば強引に自白を引き出し、それを証拠として採用させようとするということが行われているのかもしれません。物的証拠がない場合には、その傾向が強くなるのかもしれません。また、他の冤罪事件の概要等を読んでみると目撃証言を証拠として取り上げているケースも多く見受けられます。目撃証言は有力な証拠となる場合もありますが、あやふやな目撃証言を確定的な証拠として採用してしまうと冤罪につながるように思います。
デジタル社会になり、犯罪も物理的空間とデジタル空間を融合した形でおこなわれるようになります。犯罪の痕跡は物理的空間にだけでなく、デジタル空間にも多く残されることになります。物理的空間に物的証拠が少なくても、デジタル空間にはログ(認証ログ、アクセスログだけでなく、防犯カメラの記録、自動車のビデオ画像等も含む)という形で証拠が残っている可能性もあります。デジタル空間の証拠をより多く、かつ適切に活用することにより、冤罪事件を減らすことができるのだろうと思います。一方、デジタル・フォレンジックスが不適切に利用されると新たな冤罪事件を生む可能性もあります。そのため、捜査機関の方のデジタル・フォレンジックスの能力の強化は今後ますます重要となってくるのだろうと思います。
また、事業者を含む市民側もデジタル・フォレンジックスに対する理解が高まることが重要だろうと思います。物理的空間において安全は警察だけが担う役割ではありません。町内会の活動を始め、究極的には国民ひとり一人が担っていると思います。例えば、交番のお巡りさんと町内会が連携して町内の安全を確保しているように、デジタル空間においても捜査機関と事業者を含む国民が連携して、デジタル空間の安全を確保することが重要だろうと思います。そのためには、事業者を含む国民も、デジタル・フォレンジックスについての理解が重要となってくるといえます。
IDFへの期待
官民の連携が重要という意味では、私も初期の段階から関わってきていますが、1996年から開催されているサイバー犯罪に関する白浜シンポジウム」(当初は、「コンピュータ犯罪に関する白浜シンポジウム」)、その数年後から開催されている「情報セキュリティ ワークショップ in 越後湯沢」、そして団体という意味では、2004年に設立されたこの「特定非営利活動法人 デジタル・フォレンジック研究会(IDF)」は先見の明があったと思います。当初から官民連携を意識してサイバー犯罪への対応を考えていたからです。
冤罪事件もなく、未解決事件もない、公正な司法の実現を目指すことは、民主主義を実現する上でも重要なことだと思います。公正な司法が実現している社会、ひいてはよいより民主主義社会となるために、デジタル・フォレンジックスの社会への普及は今後ますます重要となってくると思います。IDFは設立20年以上を経ていますが、これからも官民連携、国際連携等を含めた活動を通じ、IDFがこの分野の中心的な存在として活躍していくことを祈念いたします。
[1] 警視庁 2025.08.07 https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/about_mpd/keiyaku_horei_kohyo/oshirase/taisaku.html
[2] 警察庁 2025.08.07 https://www.npa.go.jp/newlyarrived/2025/20250807saihatubousihoukokusho.pdf
[3] NHK 2025.08.07 大川原化工機えん罪事件で検証結果公表【警視総監の会見詳細】 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250807/k10014887971000.html
[4] 毎日新聞 2025.08.07 歴代の警視庁公安部幹部ら19人を「処分」 大川原冤罪、警察当局 https://mainichi.jp/articles/20250807/k00/00m/040/115000c
[5] なお、2025年8月9日現在においては、検察庁のウェブページにこの件に関する記載を私は見つけ
られていませんが、今後何らかの公表事項があるかもしれないので、注視しておきたいと思います。
以上
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