コラム第894号:「地方目線で考える日本再生」

第894号コラム:伊藤 一泰 理事(近未来物流研究会 代表)
題:地方目線で考える日本再生

1.日本の現状

「地方創生」を旗印にしていた石破政権が崩壊した。

このコラムを執筆している9月末現在では、まだ自民党総裁選のさなかであり、次の政権・総理大臣が、どこまで地方創生に力を入れていくのか不明だが、おそらく石破政権に比べ政策の優先度は後退するのではないかと思う。

その一方で、「外国人政策」がクローズアップされている。背景にあるのは、前回の参議院議員選挙での「参政党」の大幅な伸長がある。日本の中で極右化が進んでいると世界がざわめいた出来事である。自民党の政治と金をめぐる「うさんくささ」は払拭されていないが、外国人政策に関する「排除」と「分断」の流れには、「うさんくささ」よりはるかに大きな懸念を持たざるを得ない。

外国人に対する逆風は、これまでメジャーな存在であった「中流階級」や「現役世代」の人々が、その背後に「自分を脅かす存在」を感じていることの表れだと思う。このままでは、いつか陥穽に落ちてしまいそうだと感じている人々の中から、排除と分断の思考が強まっているのではないかと思う。

今や、日本の経済・産業を維持していくために、外国人の存在は必要不可欠なものとなっている。高度人材(ITエンジニア)からエッセンシャルワーカー(特定技能)に至るまで、日本人だけでこの国を維持していくのは困難である。

2.いまだに「東京一極集中」

東京は飽和状態だと言われて久しい。東京一極集中の弊害は言い尽くされている。その割には、 首都機能移転の議論は最近あまり聞かない。わずかに、2023年に文化庁の京都移転が行われただけだ。政治・行政の中核的機能は明治時代から何も変わっていない。一方、事情は異なるが、国連本部がニューヨークからケニアのナイロビに一部機能の移転を進めている。

東京の中でもエリア別に都市機能が固定化してきた。「政治・行政」機能は霞ヶ関・永田町エリアに、「金融・経済」の中枢機能は丸の内・大手町・有楽町エリアに、さらに「商業・飲食・娯楽」の集積地は、渋谷・新宿・池袋(かつては3大副都心と呼ばれた)エリアに集中している。もちろん、周辺への滲み出しはあるし、あえて異色な存在を際立たせるために、渋谷に本社を構えるIT企業もある。

この中で、都市機能の分散を試みたのが、東京都庁の移転である。ご存じの方も多いと思うが、都庁旧庁舎は丸の内の有楽町寄りにあった。

1985年(昭和60年)、新宿副都心(旧淀橋浄水場跡)への移転が決定された。そして1991年に業務機能の移転が完了した。 この時期は、まさにバブル絶頂期の好景気に沸いた時期であった。丸の内にあった旧庁舎跡は、コンベンション&アートセンターの「東京国際フォーラム」として活用されている。都市機能の再配置が成功した事例として評価されよう。

と言っても、狭い範囲(都心)での再配置に過ぎない。東京都内での再配置を試み八王子などの多摩地域にキャンパスを移転した大学は多いが、応募学生数が減少し、相対的な地位(大学ランキング)が落ちたため、再び都心回帰した例は多い。

防災面でも「東京一極集中」を抑制し、首都機能を分散させる必要が高まっている。富士山が噴火したら、風向きによって都心部で火山灰が大量に降り注ぎ、都市機能(交通や通信インフラ)が完全にマヒしてしまう。現実的な問題として、火山灰対策に追われている都市がある。鹿児島だ。鹿児島市は常に桜島の噴火にさらされている。そのため、降灰対策や火山灰の処理は、日常生活にしっかりと組み込まれている。鹿児島市の人口は60万人弱 だが、首都圏は、その20倍の人口を抱えている。富士山噴火に関わる防災対策は、生半可なものでは済まされない。

3.大胆な首都機能移転(私案)

やはり、東京圏から地方への大胆な都市機能移転が検討されるべきだと思う。こんな話をすると、「それは理想だが現実的でない」と反論されるが、日本でも「都」の移転は、いくつかの事例があり、じっくりと取り組めば、そんなに無理な話ではない。海外に目を向けると、ブラジルでは、リオデジャネイロからブラジリアへの首都移転を大胆に実施、オーストラリアではキャンベラに新首都を建設している。また、現在計画中のものとしては、モンゴルの首都移転(ウランバートルからカラコルムへ)や、インドネシアの首都移転(ジャカルタからカリマンタン島へ)などがある。

日本の場合には、天皇の居所(皇居)があるところが首都という概念がある。これは、日本人の心の拠り所に関わることなので、そう簡単に変えられない部分である。

ならば、真の首都はそのままにして、首都に準じた幾つかの都市に、機能を分散させる方法もある。例えば、農水省を北海道に移転させるのはどうか。農業、林業、水産業に係わる政策実施機関ついて、より「生産現場に近い」北海道へ移転させる発想だ。また、国土交通省については、本省を分割して、各ブロックの中心都市に機能移転させるのはどうだろう。各地方整備局に本省の機能を大幅に移転することになる。そうなれば、地方自治体の本省(東京)詣を無くすことが出来る。

九州ならば、九州の中で政策実現プロジェクトを決めてもらい、本省(霞が関)は口を差し挟まない、関東と九州で法令の細目や実施基準が違っても良いと思う。例えば、ビルの高さ制限、建ぺい率、容積率、日影規制や北側斜線制限など、もともと全国一律でない基準は、この際、大胆に見直して殻を打破することができるであろう。

中曽根民活の時代に、「国鉄の分割民営化」が実施されたとき、いくつかの懸念があった。例えば、JR北海道やJR四国の経営悪化、路線維持の困難化、それに伴う不採算路線の切り捨て等の問題である。それに比べたら、国民生活への影響は少なく、解決できない大きな問題はないと思う。

省庁が各地に分散することの「弊害」を言い立てる人は多い。しかし、民間企業では、本社移転や本社機能の分散化は、合理性があれば実施のハードルは低い。例えば「情報処理部門」を都心から多摩地域に移転させた金融機関は多い。地震・水害などの災害対策として極めて有効であるし、都心の高地価を反映したビル賃借料の節減効果は大きい。

今や、直接、相手に会って会話・議論する「Face to Face」が必要不可欠な業務は、どんどん減少している。コロナ禍以降、IDFでも、理事会はZOOMで実施しているが、全く支障がないし、分科会についても、ほとんど問題ない。人と人とが、直接会うことによる「ミュニケーションの質や密度」は否定しないが、そのウエイトが低くなってきたのは確かである。

4.大規模イベントの開催も地方優先で

ところで、先日、「世界陸上」が東京で開催された。9月13日から21日の9日間、東京の国立競技場を舞台に、第20回の世界選手権「東京2025世界陸上」が開催され大いに盛り上がった。日本での開催は、1991年の東京(国立競技場)、2007年の大阪(長居競技場)に続き3回目である。

しかし、どうしてまた東京なのか。9月中旬なら夏も終盤になり、涼しくなっているという判断があったとしたら、明らかに間違えている。マラソン競技は、テレビ中継により、沿道の風景がクローズアップされ、歴史的・文化的な解説も加えられるので、開催地のPR効果が大きい。でも、今さら東京の名所巡りでもあるまい。銀座や日本橋には何もしなくても人が集まる。スタートおよびゴールは、国立競技場でなければならないのか。「聖地」と言われるが、誰(政治家や有力な大会関係者?)の心が込められているのか?
男子マラソンでは、88人の参加選手のうち22人が途中棄権した。女子マラソンは、かわいそうなくらい過酷な状況だった。気温30度で、湿度80%、という高温多湿な東京の気候は、アフリカ出身の選手すら熱中症になる。36キロ付近でケニアの選手が中央分離帯に座りこんだと思ったらそのまま仰向けに倒れ込んだ。9月の東京は、例年でもまだ夏だ。特に今年は猛暑、酷暑が続いていた。
諸般の事情により、9月開催の時期をずらすことができないなら、開催地は北海道や軽井沢など涼しい場所にすべきだと思う。東京で開催することに利益がある人や所与のものと思っている人たちがゴリ押ししているとしか思えない。主催者団体、テレビ局、スポンサー、沿道で応援したい人など、東京開催にこだわった人たちがいるのだろう。思えば、1964年(昭和39年)に、日本で初めてのオリンピックが東京で開催されたが、当時としては大変な出来事であった。この大会は、アジア初のオリンピックであり、また、日本の敗戦からの復興を世界にアピールする絶好の機会だった。さらに、東海道新幹線など日本の技術革新の成果を示す機会ともなった。その後、日本は奇跡的な経済成長を遂げて、アメリカに次ぐ経済大国となった。このときは、東京開催が当然だと思っていた。

しかし、なんでもかんでも東京に集中してしまった現在では、むしろ、地方での開催にこそ意義がある。一定規模以上のイベント(スポーツ競技会やコンサートなど)について、強制的に地方開催とするのはダメだろうか。少なくとも、都心部の会場の利用料を今の数十倍に引き上げ、逆に地方開催の場合には、補助金を厚くして、実質無償とする・・・という案を考えるのは筆者だけだろうか。

5.受け皿となるべき地方の大都市について

先日、仕事で九州をひさしぶりに訪ねてきた。福岡市内は、「天神ビックバン」と呼ばれる中心部の再開発が進み活気に満ちていた。高度成長期に建築されてから、数十年を経た老朽化したビルが、耐震性の高い先進的なビルに再開発されていた。でも、利便性の向上と使い勝手は、何故か以前に比べて後退したように思えた。ますますセキュリティが強化されたのは是としても、上層階に行くために、エレベーターを途中で乗り換える必要があったりして、初めて訪れた筆者たちは、戸惑ってしまった。このように、来訪者への「やさしさ」が失われているビルもあった。これでは、せっかくの九州最大の都市がもったいない。首都機能移転の受け皿となるべき地方の大都市にも、これまで以上の進化と工夫と柔軟性を期待したい。
                                                以上

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