コラム第905号:「選挙に関する偽情報の規制は可能か」
第905号コラム:湯淺 墾道 理事(IDF副会長 明治大学 公共政策大学院 ガバナンス研究科 教授)
題:選挙に関する偽情報の規制は可能か
近時のインターネット選挙運動に関連する問題の一つに、横行する偽情報と選挙への介入がある。
これまで日本政府は、偽情報の流布を含む手段による選挙への介入が行われているという事実を認めることには慎重であったが、最近、偽情報への態度が変わってきている。2024年10月に行われた衆議院議員選挙の際には、総務省はSNSの運営やAI(人工知能)の開発を手がける14社に、インターネット上の偽情報に対応するよう要請した。また2025年7月に行われた参議院議員選挙の際には、総務省は同様の要請を行うと共に、2025年7月16日の記者会見[1]において青木一彦官房副長官が「日本も偽情報などを通じた外国による選挙干渉の対象になっている」との認識を示した[2]。日本政府が偽情報の流通による外国からの選挙干渉について公的に認めたのは、これが初めてであろう。
ところで、表現行為の規制については、公職選挙法は長年、選挙と政治運動に関連する表現行為に対しては選挙の公正を主たる目的として通常の表現行為よりも厳しい規制を行い、最高裁判所もそれを合憲であると判断してきた。表現行為に関する一般的な法規制とは異なる選挙・政治運動に特化した規制を行ってきたという点で、「閉じた法」であったということができるだろう。
しかし、公職選挙法の改正によってインターネット選挙運動を解禁した際、このような「閉じた法」にも変化が生じ、選挙法の一般法化とでもいうべき徴候が現れた。
たとえばインターネットを利用する方法としての電気通信については、改正公職選挙法は電気通信事業法第2条第1号をそのまま参照している。電子メールについては、特定電子メールの送信の適正化等に関する法律第2条第1号の規定をそのまま参照するという構造になっている(公職選挙法第142条の3)。
またインターネットを利用して候補者の権利を侵害する行為についても、公職選挙法の中には規定を置かず、旧・プロバイダ責任制限法に委ねて、その中に「公職の候補者に係る特例」を置くという方法を採用した。特例といっても、情報発信者に対して同意照会を行った場合の回答期間を7日から2日に短縮する、プロバイダ等が、選挙運動用・落選運動用文書図画に係る情報の流通によって自己の名誉を侵害されたとする公職の候補者等から送信防止措置を講ずるよう申出を受けた場合において、発信者の電子メールアドレス等が受信者の通信端末機器の映像面に正しく表示されていないものについては、当該情報を削除したとしても、損害賠償責任を負わないこととする、といった程度であり、情報の削除手続等に大きな特例を設けたわけではなかった。その後、プロバイダ責任制限法は情報流通プラットフォーム対処法に改められたが、公職の候補者に係る特例の部分には変化はない。
一般に偽情報対策については、憲法で保障された表現の自由とのバランスや真偽判定の困難性があること、憲法により通信の秘密が定められているため公権力による表現内容の監視が困難であること、電気通信事業法で通信の秘密を厳格に定めているため通信事業者の関与が困難であること、実際に対策を行って偽情報の流通を抑止する行為が憲法の検閲の禁止規定に抵触する恐れがあること、等の問題があるとされている。
たしかに、偽情報対策としてインターネット上の表現行為を規制することについては、表現の自由、通信の秘密、検閲の禁止という明確な規定を有する日本国憲法の下では慎重であるべきである。
しかし、選挙に関する規制については選挙の公正の維持という目的のために制限・制約が許容されてきたのであるから、あくまでも「閉じた法」としての公職選挙法が規制を導入するのであれば、選挙の公正を目的とした規制であるとして最高裁判所も規制を容認する可能性は高いのではないかと思われる。
したがって、選挙に関する偽情報の規制を行おうとするのであれば、一般法としての電気通信に関する法律の規定に委ねるのではなく、むしろ政治活動・選挙に閉じた法としての公職選挙法に回帰するほうが現実的であろう。もとより、偽情報の流布について選挙の自由妨害罪に該当する行為を明確化すること、偽情報に適用できるように虚偽事項公表罪の対象を明確化すること(候補者個人・政策に関する虚偽)、公職選挙法違反行為に対する選挙期間中の是正を目指す警告・処分および処罰を積極的に行うために選挙管理委員会の偽情報の監視体制を整備すること等の対応が必要になるとは考えられるが、一般法としての電気通信に関する法律による表現行為全般への規制を強化するよりは弊害は少ないのではないだろうか。
以上
【著作権は、湯淺氏に属します】
[1] https://www.gov-online.go.jp/press_conferences/chief_cabinet_secretary/202507/video-300101.html
[2] 『日本経済新聞』2025年7月16日。

