第140号コラム:秋山 昌範 理事(東京大学 政策ビジョン研究センター 教授)
題:「個人情報を大切にする仕組み」
現在の国民皆保険は、丁度半世紀前の1961年(昭和36年)に達成された。その後も、日本の医療は機能分化せず、長期間病院と診療所の区別しかなかった。本来ならそこから福祉的な分野の介護と、予防医学的な部分、クリニック的な部分、専門医療的な部分という4つのドメインに分化していくことを考える方策も考えられたが、政府がとった政策は、医療費抑制のために総病床数を減らそうというものだった。一方、病院には、自治体病院、国立・私立病院などがあるが、特に自治体病院では、その頃、多くの院長に権限がなかった故に経営感覚も不足しており、時間単価の高い医師に雑用が多いという現状であった。近年の医療制度改革で、経営学的に生産性を上げる必要が増加した。そのために、医師に事務的なことを受け持つクラーク(事務員)をつければよいとよく言われる。しかし、クラークをつければ、単純に生産性が向上するというものでもない。医療は市場経済ではなく、事実上、計画経済によって運営されているからである。このような医療制度の見直しが必要になっている中で、効率性のみではなく、医療の質的維持が図られる仕組みも重要である。そのためには、正しい医学的評価や医学研究ができる必要がある。
個人情報には、氏名、性別、生年月日、住所、住民票コード、携帯電話の番号、勤務場所、職業、年収、家族構成、写真、指紋などの生体情報、コンピュータのIPアドレス・リモートホストなどが該当する(出典:Wikipedia)。しかし、単にこれらに該当しても、個人を特定することができなければ、個人情報には該当しないのである。個人情報の保護に関する法律の定義では、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により「特定の個人を識別することができるもの」(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの=例えば学籍番号など=を含む)をいう。つまり、上記に該当しない情報であっても、複数の情報の組み合わせにより、その個人を特定し得る情報も個人情報である。
個人情報はプライバシー保護の対象であり、本人の意図しない形での情報流通は防止する必要がある。しかし、個人情報を全く流通させないと、名前が分からないまま付き合うことで誤解を生じたり、ミスも起きやすいだろう。通常、初対面での挨拶は名前紹介から始まる。この場合、名前や所属などは、むしろ情報流通させることが個人を大切にすることになる。また、集団においても、個人情報の保護だけではなく、その活用を図ることが、各人を大切にする上では重要であろう。例えば、各種の方針決定に使うためにも客観的な情報は有用であり、特に、学術面では、コホート研究のように、一人分では新奇性はないが集団になると、新奇性が生ずる場合も多い。その個人情報の当事者のみならず、同じような特徴を持つ他の人々にも役に立つ。したがって、個人情報を活用することがその集団の進歩と発展に寄与できる。昨今のように、個人情報の保護ばかり偏重され、利活用がないがしろにされると、その集団も閉塞感に襲われるように思う。特に、多くの国民が関心を持っている「医療崩壊」の解決策として、費用対効果を加味した制度の導入案が考えられるが、そこにも「集積した個人情報」の利活用が必要になる。
例えば、英国では個人の診療情報を個人のプライバシーを大切にした上で、利活用する仕組みが作られている。米国のフラミンガム研究や我が国の久山町研究なども、コホート研究で成果を上げている。後者では、九州大学の清原裕教授らの研究で、糖尿病患者のように、血糖値が高い人は、アルツハイマー病や「がん」にかかりやすいなどの発見があった。その他、心筋梗塞や脳梗塞を起こしやすいなどの合併症も知られている。また、糖尿病やその予備軍の人は、アルツハイマー病のリスク が4.6倍、がんによる死亡リスクが3.1倍、心筋梗塞のリスクが2.1倍、脳梗塞のリスクが1.9倍に高まるとされている。このように、従来の研究で分からなかった成果が、住民の健康改善政策に反映されており、住民の満足度が、住民定着率の高さという形で表れている。
このように、個人情報を上手く活用すると、その集団全体のメリットにつながるので、個人情報の利活用を図ることで、我が国の将来展望も開けてくると思われる。しかし、我が国における今の個人情報保護関連の法制度では、それに対応しきれていない。個人情報の保護に力点が置かれすぎるために、利活用に制限が多いからである。さまざまな検討のためには、政府のみでなく、大学や民間の研究者にもそのデータを用いた解析を可能にする仕組みが必要である。利活用を図る方策としては、有効性を喧伝すると同時に、デジタル・フォレンジックのような技術を活用して、トランザクションの透明性の確保や証拠性等が保たれることを説明することで、啓発を図ることが望ましい。我が国も個人情報を十分利活用できる仕組みをつくることで、「個人情報を大切にする仕組み」から「個人を大切にする仕組み」につながっていくだろう。
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