第38号コラム:大橋 充直 氏(ハッカー検事)
題:「コンテンツ規制に法律家が躊躇するのは」
1 はじめに
インターネットは,携帯電話の普及に比例して,日本の市井の民の生活の中で重要なインフラとしてどっかりと根を降ろした。私も,銀行送金や航空券の入手で窓口に並ばなくなって久しい。古本屋めぐりや本屋で新刊漁りもしなくなり,ネットショップで気軽に見つけて宅配してもらう生活にどっぷり浸ってしまった。仕事や研究活動でも,「図書館通い」という言葉が死語か古語となり,とりあえずググることから始まり,「ネ申(ウィキペディア:Wikipedia<http://ja.wikipedia.org/wiki/>))」に聞いてみれば,専門分野の相当深いことまで瞬時に情報が手に入る時代となった。インターネットを含むコンピュータ・ネットワーク・システムは,人類で最も至福をもたらす人生ツールorインフラ資源と言ったら褒めすぎであろうか?
しかしながら,負の面もクローズアップされ,飛ばし携帯や振り込め詐欺そして薬物密売において犯罪手口の重要なインフラとなってしまったし,有用なコミュニケーションツールであるはずのものが,言葉の暴力による犯罪被害の重要なインフラとすらなってしまったことは悲しいことである。
学校裏サイトという掲示板イジメがマスコミの俎上に乗り,被害者の自殺に続いて,責任を感じた加害者も自殺する事態に至った。それが2008年3月に報道された「同級生傷つけるメール苦に自殺」事件である(<http://jmjp.jp/topics/2008/03/post_244.html>)。米国では早くも2006年11月にABCニュースが「インターネットいじめ(インターネット・ハラスメント)」や「サイバーいたずら(サイバー・ホックス)」による自殺事例に関して特集の報道をしている。この事案は,13歳の女性が,ネットワークサイト「My Space」経由で「16歳のキュートな少年ジョッシュ・エヴァンス」を詐称した実は大人の女性から,ネットで友達になるふりをされて接近された後に誹謗中傷されたため,自宅で自殺したというものである(「Town Rules Internet Harrassment a Crime Girl’s Suicide Prompts Vote, Online Badgering Ruled Illegal 」<http://abcnews.go.com/TheLaw/story?id=3888606>,「Parents: Cyber Bullying Led to Teen’s Suicide Megan Meier’s Parents Now Want Measures to Protect Children Online」<http://abcnews.go.com/GMA/story?id=3882520>)。
コンピュータ・ネットワーク・システムは,人類で最も至福をもたらすインフラ資源であって,人命を奪う異常事態は徹底的に殲滅して,その予防を最大限に図ることが急務となってきた感がある。公的私的にわたり,それぞれの組織や論客が,学校裏サイトを始めとするサイト規制やコンテンツ規制の議論が活発になってきた昨今である。
2 問題の所在
一見,違法なコンテンツ,たとえば誹謗中傷や自殺教唆などの投稿は,ネットからバシバシ削除して,投稿者やサイト管理者をドシドシ処罰すれば,そういう法律を作って規制を強化すれば,その殲滅は容易なようにも思える。しかし,コンテンツ規制は,そう簡単に進められない。ご存じ「表現の自由」の規制という憲法上の重要な人権に絡むからである。
技術者の皆さんには,あまり馴染みがない議論かもしれないが,様々な各種人権は実は等価ではなくて,上下優劣関係があり,「表現の自由」(憲法21条)は,リングゼロの神様権限特権モードを持つ「最優越的地位」にあるので,最大限最高の人権保障が求められ,その規制は極最小限にとどめられるべきだからである。それは何故か。
そもそも,①表現行為は,ヒトが社会的存在として生活する不可欠の手段で,どんな文化的活動も精神活動もこれなくしては不可能である。しかも,②国民が主権者として国政を動かすには,自由な討論が不可欠であるから,表現の自由は,立憲民主制過程の前提条件でもある。そして,何よりも,③憲法が保障する人権は,表現の自由によって監視され,批判され,維持発展していくもので人権を保障する重要なツールである。したがって,表現の自由こそ,国政の上で最大限尊重され,その規制は厳しく厳密に律することが求められる(佐藤幸治「憲法」350頁以下(1981年),学内記事「早稲田法学会誌」第30巻527頁(1979年))。
理屈だけでなく事実レベルでも,表現の自由が最大限に尊重されなかったらどうなるか。それが,戦前の日本の治安維持法による言論弾圧事件であり,先般,横浜事件という著名な言論弾圧事件の再審裁判があったことは,記憶に新しい。また,近現代史を概観しても,為政者が「義務思想」「開発独裁」「多数の利益」「国力培養」などと称して,為政者に反対意見を述べる者を「表現活動」ゆえに投獄弾圧した例がテンコ盛りに存在する。表現の自由を軽々に侵害・規制するのはファシズムへの近道と言っても過言ではない。我々法律家は,コンテンツ規制の必要性を認めるのは決してやぶさかでないが,法律で表現を規制するには躊躇を覚えるDNAが常に内在している。
3 法と技術の狭間で
幸か不幸か,小学生時代の趣味が突き進みながら法曹という職業を選択したため,八ッカー検事と「笑」されて,法律家からは複雑怪奇な技術の難解さで,技術者諸兄からは法律の融通無礙の摩訶不思議さで,それぞれ苦情ともボヤキともつかないネタを振られる人生となってしまった。昨今のネットトラブルやマターは,技術的に解決すべきか(テクニカルイシュー),法的に解決すべきか(リーガルイシュー),その双方を両用すべきか,などで迷うものである。
本コラムは,法律家の慎重さについてのエクスキューズと見られたと思う。しかし,「表現の自由」への「規制コード」は,徹底的にバグフィックスをしてガリゴリ最適化しておかないと,人類史に禍根を残すエボラウイルス並みのハイリスクである,ということがご理解いただけたらと思う。