第503号コラム:和田 則仁 理事(慶應義塾大学 医学部 一般・消化器外科 講師)
題:「医療訴訟における医療水準と医療の質」
裁判所の統計によれば、医事関係訴訟事件の新受件数は近年微増傾向にあり、平成28年は878件でした。審理期間は短縮されつつありますが、全事件の平均期間が6.5か月であるのに比べ、24.7か月と長期間になっています。なお、他の類型では公害差止め(33.8か月)、建築瑕疵損害賠償(24.8か月)も長期に及ぶ訴訟となっています。医療裁判では、特に鑑定を要する裁判で審理期間が長くなっており、専門的な判断を要する医療訴訟ならではの事情があるようです。このような状況を改善すべく東京地裁と大阪地裁には医療訴訟集中部が設置され、専門的な対応がなされており、平均審理期間の短縮に寄与しています。また最高裁判所の中に設置された医事関係訴訟委員会により鑑定人の選任に学会が協力する仕組みもあり、難しい複雑な訴訟を早く適切に解決するような努力がなされています。カンファレンス鑑定の導入も工夫の一つと言えましょう。平成28年の統計では通常の訴訟の認容率(原告側の請求が一部でも認められた割合)が80.0%であるのに対し、医療訴訟は17.6%と驚くほど低く、原告側が不利な状況のようです。もちろん過失が明らかな場合(左右の間違いや、ガーゼの遺残等)は示談や裁判外紛争解決手続(ADR)で解決することが多く、訴訟になりません。過失が明らかではない事件が訴訟となり、さらに和解に至らないものが判決までいくわけで、そのような場合、専門家である医療側の言い分を覆すのはハードルが高いということを示す数字なのだと思います。
医療には不確実性があります。同じように治療を行っても患者さんによって結果が異なります。結果が悪いと、失敗したに違いない、何か隠しているに違いない、ということになってしまうので、治療の前に、インフォームドコンセント(IC)という手続きを行い、治療上のリスクをよく説明してから治療を行います。そうは言っても、すべての可能性をお話することはできないので、想定外のことが起きた場合には臨機応変に対処しなければならないため、医師には裁量というものが認められています。この裁量の幅は、医学界と法曹界で少し違うように感じます。例えば、胃癌の手術では、癌が取り切れなければ通常手術をすることはあり得ません。カンファレンスで議論すれば、まず手術とはならないでしょうし、学会で討論したとしても手術ではなく抗癌剤治療ということになります。しかし小さな規模の病院で昔ながらのドクターが自信満々に取れるだけ取りましょうと、ICを得たとすると、医療として成り立ってしまいます。結果は悪くなる可能性が高いのですが、1人の患者さんで2つの治療法を試すことはできないので、どちらが良かったかはわかりません。医学的には裁量を超えていると言わざるを得ない状況でも、法的に過失を証明することが極めて困難な場合は少なくありません。
また医療裁判で感じることとして、争点の問題があります。鑑定をしていて、医学的に問題のある突っ込みどころがあったとしても、争点になっていなければ善し悪しの判断を求められないのです。争点は原告と被告で主張が異なる部分であり、原告が主張しなければ争点とはなりえません。原告側についている専門家(通常は医師)がまともな人ならいいのですが、原告側に付く医師を見つけるのは一般的に困難であり、ここが弱いと原告が不利な状況となります。さらには弁護士さんの力量や、裁判官の個性による運・不運もあるとは思いますが、この辺は私にはよくわかりません。
過失の有無には、結果の予見可能性と回避義務が要件となり、回避義務は求められる医療水準により判断されます。最高裁判所平成8年1月23日判決で、「医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」とされました。ますます過失の判断は難しいように感じますが、医療慣行に従っていればいい、ということではないようです。ではどうすればいいのか。私は、どのような医療行為を行うかを判断する上で、以下の優先順位を決めています。まず第1に「安全な医療」です。医療安全は最優先されなければならない事項です。次に「質の高い医療」です。良好な治療成績、低侵襲性を追求しなければなりません。3番目は「快適な医療」です。病院に行きたい人はいないでしょう。基本的に不快な場所です。そのような状況を少しでも良くすることが、質の高い医療にもつながると思います。そして最後に「コストと効率」です。これも無視できません。限られたリソースをどのように使っていくのか。重要な問題です。幸い、私の勤務している病院ではこのような医療が提供できる環境にあるのですが、世界中どこでも同じとはいかないでしょう。4番目が最優先となる状況もあるかも知れません。
ちょっとしたボタンの掛け違いで争いごとは起きるのだと思います。良かれと思ってやったことが、結果が悪ければ責められることになります。しかし相互の信頼関係があれば、必ず分かり合えると思います。信頼関係の基盤になるのが、隠し事のない状況だと思います。もちろん記録の改竄や隠蔽などあってはならないのですが、それができないという環境は重要であります。医療におけるデジタルフォレンジックは、そのような役割を担っていると思います。
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