第575号コラム:須川 賢洋 理事(新潟大学大学院 現代社会文化研究科・法学部 助教)
題:「著作権の包括処理に思うこと」
先日、JASRAC(日本音楽著作権協会)などの著作権協会の国際組織が「スマホやPC本体に著作権料の上乗せを要求する決議をした」という報道を目にした。これは、法律としては、「私的録音録画補償金制度」の範囲を拡大せよ!というものになる。むろん単なる業界団体の決議であり、すぐに法改正につながることはまったくないものであるが、この話は政府の文化審議会著作権分科会でも繰り返し議論されている。議論されているというよりは、権利者団体側と有識者の間で意見の対立が続いていると言ったほうがよいであろう。この制度の是非に関してはネット上でも、一流の論客から一般ユーザーの見解にいたるまで様々なものが蔓延しているので興味のある方はざっと検索されるとよいであろう。
今回筆者が言いたい事はこの制度そのものへの批判ではなく、「そもそもこのご時世に、いつまで著作権の包括処理にこだわっているのか?」ということである。他人の著作物を複製したり利用した場合にその対価を払うことは極めて当たり前である。問題はその支払い方と著作権料の流通にある。紙のコピーやアナログレコーダーへのダビングの時代には、その複製や利用を正確に把握する事は出来なかったので、録再機器の数や営業規模などによって概算で著作権料を算出し、それを権利団体が徴収していた。JASRACに限らず権利団体の徴収手法の基本は現在にいたるまでこの方式である。さらに、DATなどのデジタル録音機器が登場した時に、音質劣化のない複製によって音楽などの売り上げが下がるのではないかという業界の懸念から、録音録画専用デジタル記録装置/媒体にあらかじめいくらかのお金を補償金として上乗せしておき、それも分配しようということになった。これが上述の私的録音録画補償金制度である。
これらはすべて、言ってみれば「どんぶり勘定」をやっているわけで、それ故、マイナーなアーティスト等の末端にまでは公平に著作権料が配分される事は不可能である。言うまでもなく、ネットワークと電子決済の時代にこのような前時代的な徴収・配分はナンセンスである。従来はその都度一回一回の使用を管理してリアルタイムで少額決済する手法がなかった。しかし、現在は「pay/copy(ペイ・パー・コピー)」「pay/use(ペイ・パー・ユース)」を行うことが可能である。著作権料の支払いをこちらのほうにシフトするべき時が来ていると言えよう。
補償金を含む包括処理の話を持ち出したのには実は訳がある。著作権法において、デジタル録音録画機器とは違う分野でもまた補償金制度が導入される事になったからである。昨年の著作権法改正で35条、つまり「学校その他の教育機関における複製等」の条文が正された。改正されたのは35条2項であり、これは複製でなく公衆送信に関する規定になる。ただし、この部分に関してはまだ施行されてはいない。どのような改正かというと、「教育機関におけるオンデマンド授業のための著作物の公衆送信を認めます。ただし、補償金を払って下さい。」というものである。誤解のないようにもう少し丁寧に書くと、オンデマンド方式の遠隔授業の為に他人の著作物を公衆送信(ネット送信)することを権利制限規定に加えるので著作権の侵害にはならない、ということになる。参考までに、リアルタイムの遠隔授業は現行法で既に可能である。オンデマンドも加える代わりに、それを行う教育機関は補償金を払ってね・・・ということになる。その補償金の払い方もまた、児童・生徒・学生一人当たり幾ら・・・ということになるそうである。金額はまだ確定してはいないが、おそらく小学校で100円~200円程度、大学だと500円~700円程度になると言われている。支払いは教育機関の設置者になるので、公立小中学校であれば市町村などが、大学であれば大学法人が支払うことになる。そのお金が各権利団体に分配される。
このお金をどこから捻出するかはまた別の話なので触れない。問題は、このような処理では、教材や資料として使われた個々の著作物の権利者への直接還元は到底見込めないということである。繰り返しであるが、今の時代の技術であれば十分に一対一対応で著作権の管理ができる。
記録(ログ)を解析するという分野のデジタル・フォレンジックは皆様の日々の努力によって非常に進歩してきた。次はデジタルコンテンツの流れをトレースするためのデジタル・フォレンジックも進めなければならないのではなかろうか。
【著作権は、須川氏に属します】