第593号コラム:石井 徹哉 理事(独立行政法人大学改革支援・学位授与機構 研究開発部 教授)
題:「法律とコード」
まず話の前提として、ここで「コード」とは、レッシグ(Lawrence Lessig)のように特別な意味や意義を持たせるものではなく、ごく一般的なプログラミングのコード、もう少し広げて情報システムの仕様書の内容など情報システムの構成等を示すものという意味で使っています。
本題に入りますが、今世紀に入ってからICTの急速な発展に伴い、ICTに関係する犯罪が急増し、これに対する刑事手続が多く報道され、または公表されています。その際、しばしば顕著となるのは、法律とりわけ刑罰法規の条項及びその解釈についての技術者の困惑あるいは不適切との批判です。おそらくそこには情報技術の世界における「コード」と法律及びその解釈のあり方との乖離があるからではないかと推察されます。
情報システムを当初の目的に資するように適切に構築し、運用し、管理するには、仕様書の段階から厳密にかつ精緻にその内容を叙述しなければならないでしょう。もちろんプログラミングでは、正確な記述が求められるのは当然であり、そうでなければハードウエアが適切に動作しないでしょう。こういった意味で「コード」はつねに厳密かつ正確にまた精緻に記述されることが当然となっており、こうした世界から法律の世界をみると、法律の条項が曖昧、不正確、漠然としたものとして適用されているように見えるのかもしれません。
しかし、ICTシステムとしてハードウエアを統制する「コード」と人を統制する法律がはたして同じようなものとすることはありえないのではないでしょうか。
刑法の重要な原則として罪刑法定主義があり、あらかじめ法律で犯罪の内容とこれに対する刑罰を定めておかなければならないという原則があります。この原則は、一方で、唯一の立法機関である国会が制定した法律により法執行機関、裁判所の判断を規制し、民主主義的な根拠を提供することになります。また三権分立のチェックアンドバランスの一つともいえます。他方で、あらかじめ成文法として犯罪の内容が明示されることで、国民の行動可能な範囲を示し、不意打ち処罰による行動の萎縮を生じさせないという意味で、自由主義的な機能も有しています。こうしたことを実質化するには、刑罰法規は、権力の濫用を防ぎ、かつ行動可能な範囲を明示するため、明確性の原則が妥当するものとされます。
では、刑罰法規の明確性はどのような基準で判断されるのでしょうか。もちろん「コード」のように杓子定規にまたは一義的に確定されるというものではありません。最高裁大法廷昭和50年9月10日(刑集29巻8号489頁)判決では、次のように述べられています。
「一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し、刑罰法規もその例外をなすものではないから、禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といっても、必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず、合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ、ある刑罰法規があいまい・不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによってこれを決定すべきである。」
法律がその性質上一般的妥当性を要求されるため抽象性があることは否定できません。ここが個別・具体的な案件の処理のみを問題とする「コード」とは異なります。また、だからといって漠然としたまたは包括的な規定であることは国民の予測可能性を害することになります。そこで裁判所は、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうか」という判断枠組を設定したものです。Winny事件の際に、一部の技術者において–当時は一部の法律専門家にすらいたことに驚きですが–刑法62条の従犯の規定における「幇助」が曖昧、不明確なものであるとの批判がなされましたが、これは法の抽象性を無視し、「コード」と法律を同一のものしてしか理解できないものといえます。
重要なことは「通常の判断能力を有する一般人の理解において」というところでしょう。これは故意の問題とも関係しますが、犯罪事実を認識している場合、通常の判断能力を有する一般人であれば刑罰法規の適用を受けるものと判断できて、当該行為を回避するということが故意犯処罰の前提にあります。もっともこの「一般人」は場合により類型化されます。例えば、道路交通法の運転者に関する規制は、運転免許証の所持者を前提に規制していますから、運転免許証を所持している者という類型化で判断されます。しかし、刑法所掲の犯罪や地方自治体の条例では、一般の国民、住民を対象にしていますから、あくまで通常の社会生活を送る人を前提に類型化されることになります。
近年では、不正指令電磁的記録の罪に関して、不正指令電磁的録の概念が不明確であるとの技術者からの批判がありますが、技術者の視線ではなく、刑法において一般的に規制されていることからして、あくまで通常の社会生活を送る一般の人を基準として「具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうか」を判断することになります。そういう視点で見たときに、意図に反する動作をするまたは意図に沿うべき動作をしないということについて不明確ということはいえないでしょう。問題は「不正」なものかどうかですが、これも当然通常の判断能力を有する一般人の見地において判断するならば、一般の人が通常想定していることとは異なる予想外の処理がなされているかどうかで不正を判断できるといえ、明確性の原則に反するものとはいえないことになります。
いずれにしても、罪刑法定主義が妥当する刑罰法規においてですら、個々の条項における抽象性が認められ、一般的な妥当性が機能しているものであり、情報技術者が想定するような一義的な意味が刑罰法規において示される必要はないということです。したがって、刑罰法規が不明確であるとの批判は、個々の事件における弁護活動として主張するのはべつとして、一般的な議論においては技術者の「コード」と同様の視点でなされることは不適切なものといえます。なお、具体的な法解釈としてどうあるべきかという問題と明確性の判断は一応区別されるものということは附言しておきます。
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