第749号コラム:松本 隆 理事(株式会社ディー・エヌ・エー 技術統括部 セキュリティ部)
題:「ロシアにおける暗号資産での国外送金事情」

ロシアによるウクライナへ侵攻から1週間ほどたった2022年3月2日。いつものようにロシア語圏のサイバー犯罪者が集うフォーラムを流し読みしていたところ、あるトピックに目が留まった。【戦争始まったけど手持ちのロシア・ルーブル(以下ルーブル)どうする?】と題されたスレッドは、フォーラムのホットトピックスとして、いくつものコメントがついていた。そこでは、

「ステーブルコインに替えて安定的に資産確保したい」

「Bitcoinなどのメジャーな暗号資産に変えて資産運用したい」

「マネーロンダリングのサービスを利用してEUで現金化したあと海外の資産管理サービスに預けておきたい(※1)」

「どうせ戦争はすぐに終わるから、ローカルの取引所でルーブルを買い叩いて戦争終結後の値上がりを期待したい」

などといった、危機感のないどこか他人事のような議論が展開されていた。

フォーラムに集まるサイバー犯罪者たちは、ロシア軍の短期間での勝利をまだ疑ってないように見えたし、欧米を中心とした国際社会によるロシアへの経済・金融制裁の結果生じた、ルーブルの大暴落についても楽観的な態度を崩していなかった。

このどこか緩い空気の正体は、スレッドを読み進めるうちにだんだん分かってきた。恐らく、ここでコメントしているサイバー犯罪者は、既に資産を分散して管理しており、ロシアの金融機関だけに資産を抱えているわけではないのだ。サイバー犯罪によって得られたダーティな暗号資産は、マネタイズ業者によってホワイト化され、海外の金融機関の他人名義の口座で管理される。セキュリティベンダーのサイバー犯罪レポートでそのような記事を読んだ記憶はあるが、思わぬ形で実感することになった。

犯罪者コミュニティの緩さとは対照的に、資産の多くを国内の金融機関で保持しているロシア市民のあいだでは、ルーブルの急落に大きな動揺が広がっているようだった。YouTubeには、慌てて預金を引き出す人や中古車を含む自動車、貴金属を買って資産を確保する人たちの姿を配信する動画が日々アップされた。

また、多くの市民がロシア国外への送金手段を模索していた。サイバーインテリジェンス企業であるKELAのレポート(※2)によると、いまロシア市民のあいだでは、資産を国外へ送金する手段として、暗号資産に注目が集まっているという。様々な形でロシア国外への送金に制限がかかっているため、いったんルーブルを暗号資産に替えて、海外で現金化する手法に注目が集まっている。通常、ロシアからの送金先としては、ロンドンやスイスといった金融産業が盛んな都市が人気だが、ウクライナ侵攻の金融制裁のさなかでは、トルコ、セルビア、キプロスといった、ロシア市民の生活になじみのある都市の名前が多く挙がっていた。

利用する暗号資産交換所も、中央集権的な交換所ではなく、P2P暗号資産取引所が人気だ。P2P暗号資産取引所は、多くの場合デビットカードが利用でき、インターネットの接続環境とスマートフォンさえあれば安い手数料で暗号資産取引が可能なため、送金制限をかいくぐって資産を国外に持ち出したい市民には都合がいいのだろう。

KELAのレポートでひときわ目を引いたのが「ロシア国内からウクライナの親類縁者への送金需要」のくだりだ。ロシアの市民はウクライナに住む親戚や友人に経済的サポートを望んでいるが、ロシアもウクライナも国家レベルでは互いへの送金を禁止している。市民レベルで送金需要があることは、冷静になって歴史を紐解けば当然のことだが、平和な日本から戦争や侵略というフィルターを通して漫然と情報をみていると、こんな簡単なことも見えなくなってしまうのだ。反省せねばならないと思う。

(※1)3/3の段階ではまだSWIFTから排除されていなかった。なお排除は2月26日に発表、3月12日に開始された

(※2)「ロシアのウクライナ侵攻がもたらしたサイバー犯罪社会情勢の変化」

https://ke-la.com/ja/how-the-cybercrime-landscape-has-been-changed-following-the-russia-ukraine-war/

【著作権は、松本氏に属します】