第835号コラム:町村 泰貴 理事((成城大学 法学部 教授)
題:「「民事判決情報データベース化検討会報告書」がまとまる」
このコラム欄でたびたび紹介してきたように、法務省の民事判決情報データベース化検討会が2022年10月以来重ねてきた検討結果が報告書として公表された。
https://www.moj.go.jp/shingi1/shingi09900001_00004.html
裁判所の判決は、法を解釈適用した結果であるから、その内容は法そのものの具体的な内容といっても過言ではなく、国民主権の原理から考えればその全てが主権者たる国民に公開されて然るべきものであった。その意味で、裁判所が先例的価値ありと判断したものだけを公開するという現在のやり方から、少なくとも民事判決に関しては原則として全件を公開するという方針に転換した今回の報告書は、国民主権の実質にかなった画期的なものと評価することができる。
民事判決データの全件公開のメリットは、それだけではない。年間20万件を超える法的判断データのデジタル公開であるから、AIのための学習データとして飛躍的な拡大である。そして、外国から見た日本法の透明性という点でも、法律は公開されていてもその適用例はわずかしか明らかにされていないという状態から脱することで、日本法の対外的信用を向上させる一助となる。そのほか、研究面では判決実証主義のような手法がしばらくは新しい成果を生み出すだろうし、教育面での活用も大いに期待される。法実務面でも、裁判官や代理人ごとのデータ分析が法務戦略を大きく左右する材料となりうることは、諸外国のリーガルテック事情から明らかであろう。
このように明るい未来を予感させる一方で、民事判決は私人間の法的紛争の内容と解決例を意味するので、基本的にプライベートな事柄を題材とする。法的判断は法令同様の公共財であるが、その題材は私的領域の情報であり、使い方によってはプライバシー侵害をもたらす可能性が否定できない。この危険性は、いわゆる破産者マップによって端的に示されたところであるが、対策としては仮名化することに尽きるので、ネット上のビッグデータと突き合わせることが可能な場合にどのような使われ方が出てくるか、予想は困難である。
また今回の報告書の枠組みでは、民間の情報管理機関が裁判所から受け取った民事判決データを仮名化し、あらかじめ契約した利用者に有償で提供するということになっているので、有償性が一つのネックとなる。このことは、オープンデータ化への期待を裏切るものであるが、仮名化のコストやデータ提供のコストを公費で賄えない以上、利用者に負担を求めざるを得ない。
さらに、今回の報告書は民事訴訟のIT化によって生み出される電子判決書の活用を前提としているので、判決ではなく決定・命令の形式を取る裁判や、民事訴訟ではなく非訟に属する民事執行、保全、家事審判、倒産処理手続などでの裁判は対象外となっている。少なくとも民事訴訟手続で付随的に発せられる決定・命令は、現在の枠組みでなるべく対象とするべく、継続的に検討が進められることになっているし、民事訴訟手続以外の民事手続で出される裁判をデータベースに入れるかどうかは別途検討することになっているので、データベースに入らないと決定されたわけではない。とはいえ、公開主義の枠外であることや、決定が千差万別であること、そして特に家事事件などはプライバシーとしての要保護性が高いなど、難題が待ち受けている。そして何よりも、刑事事件の裁判が全く検討の外に置かれていることも、日本法の透明性確保という観点では大いに問題のあるところである。
そういうわけで、そもそも報告書の段階では方針が決定されたというにとどまり、法制化はもちろん、情報管理機関となる具体的な組織からそこでの運用方針など、具体化はこれからである。加えて上記の対象範囲の拡大という課題も手付かずである。この民事判決情報のデータベース化が冒頭で述べた意義を持ちうるためには、さらなる検討と具体化が必要であり、まだまだこの問題からは眼が離せないのである。
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