第842号コラム:熊平 美香 監事(一般財団法人クマヒラセキュリティ財団 代表理事)
題:「システムチェンジ」
最近では、ビジネスとソーシャルの垣根が低くなり、ソーシャルの領域でも、収益モデルとして事業を立ち上げるアントレプレナーが生まれています。私自身も、2009年から、ビジネスとソーシャルの融合を目指す、ソーシャルアントレプレナーを支援しています。
私が、ソーシャルアントレプレナーという言葉を最初に知ったのは、NHKのテレビ番組で、ビル・ドレイトンへのインタビューを視聴した時です。ソーシャルアントレプレナーの父と言われるビル・ドレイトンは、社会課題の解決に起業家のマインドと行動様式を生かすことができれば、社会課題の解決が一気に進むのではないかと考えました。ビル・ドレントが1980年に設立したアショカ(米国)は、現在、世界97カ国の4000人のソーシャルアントレプレナーをネットワークする団体に発展しています。
ビル・ドレイトンは、社会問題の解決に向かう社会を実現するために、次々と新しいアイディアを提示してきました。
Everyone a Changemaker
「誰もがチェンジメーカー」という視点を世の中に広めたのもビル・ドレイトンです。ビルが2010年に来日した際に、早稲田大学で行った講演では、親や世の中の期待とは違う生き方を選ぶことをリスクと捉え、本当はやってみたいと思うが一歩踏み出す勇気が持てないと悩んでいる高校生に、Give yourself a permission to be a changemaker. 「チェンジメーカーになることを自分に許可すれば良いだけだ」と、励ましのメッセージを伝えました。
テクノロジー革新が起きたことで、よいアイディアを持ち、よい世の中を創りたいという強い思いがあれば、誰もがチェンジメーカーになれる時代になりました。教育の世界でも、OECDが提唱する教育改革の指針の中で、生徒エージェンシーという言葉で、子どもたちは、よりよい社会をつくる主体であるという理念を紹介しています。気候変動をはじめとする社会課題で溢れる時代には、誰もがチェンジメーカーとして活躍することが期待されています。
エンパシー(共感力)
ソーシャルアントレプレナーにとって、最も大切な能力の一つがエンパシー(共感力)であるという考えを広めたのもアショカです。自分とは異なる立場や状況に置かれた人々の靴を履いてみること。そして、問題を抱えている当事者の立場に立って、問題を解決できることが世の中を良くするために欠かせないからです。実際に、私自身も、NPO活動を通して、子どもの貧困問題の解決に取り組む際に、エンパシーの重要性を知りました。統計では説明できない子どもたちの現状に触れる機会を通して、問題の複雑さ、支援に必要な配慮等について学びました。課題解決は、課題の理解からはじまると言いますが、共感力は、社会課題を正しく理解するために欠かせない能力であると言えます。
創造のプロセスとして世界中で活用されているデザイン思考でも、最初のステップを共感と定義しています。デザイン思考は、人間中心に課題を捉えることを提唱しており、「誰のどんなニーズが満たされていないのか」を探究する際に、当事者に対する共感が欠かせないと言います。このため、デザイン思考は、社会課題を解決する現場でも、広く活用されています。
シチズンセクター
ビル・ドレイトンは、シチズンセクターの到来も予言しました。これまでの社会では、営利団体、非営利団体(NPO)あるいは、政府、非政府(NGO)という区分で、ソーシャルな取り組みか否かを分類してきました。営利企業を中心に世界が発展した米国では前者、ヨーロッパでは後者の分類が多く見られます。しかし、ビルは、この分類は古い考えだと言います。これからの時代をつくるのは、よりよい社会をつくるシチズンセクターであり、営利か非営利かではなく、シチズンセクターなのか否かという2つの世界に分かれると言います。
例えば、ユニリーバは、シチズンセクターの代表的な企業です。ユニリーバは、ポールポールマン氏が同社の会長であった2010年に、地球のサステナビリティに配慮した事業計画「サステナブルリビングプラン」を開始しています。今日では、パーパスステートメントを「サステナブルな暮らしを“あたりまえ”にする」と定め、事業の中核にサステナビリティを据え、事業活動を行っています。事業は営利目的で行っていますが、同時に、環境負荷に配慮し、調達先の人々も含めて全ての事業に関わる人々のウェルビーイングに配慮すること等、サステナビリティのための戦略とKPIを持ち、事業を発展させることにチャレンジしています。
システムチェンジ
ビルは、ソーシャルチェンジには、4つのアプローチがあると言います。
ダイレクトサービス
困っている人を直接助ける行為のことです。例えば、学習支援のボランティアをしたり、震災の復興支援を行なったりすることが、ダイレクトサービスです。ビルは、子どもたちが学ぶ場所のない地域に学校を創ることも、ダイレクトサービスと呼んでいます。
大規模なダイレクトサービス
スケールを拡大したダイレクトサービスです。ダイレクトサービスに比べると、より多くの人々を支援することができますが、アショカは、ダイレクトサービスを行っている人々をフェローに選出することはなく、次に紹介するシステムチェンジ、フレームワークチェンジを起こす人々をフェローとして認定します。
システムチェンジ
システムチェンジは、目の前の課題を解決するために直接的に支援をするのではなく、課題の根本原因を探り、本質的な問題解決を行う取り組みのことを言います。アショカフェローに選ばれる条件は、システムチェンジを起こしていることです。システムチェンジは、アショカの代名詞と言っても過言ではありません。
例えば、私も日本での立ち上げを支援したティーチフォーアメリカの創立者ウェンディ・コップは、アショカフェローです。ウェンディは、貧困地域の子どもたちが、低い学力のまま、社会に出ることで一生幸せになれない社会を変えたいという思いから、ティーチフォーアメリカを立ち上げます。ディレクトサービスであれば、子たち達のために地域に学校を作るという発想になりますが、彼女は、全く違うアイディアを思いつきます。米国では、教員採用は地域ごとに行われるため、貧困地域の学校によい教師が集まらないという課題があります。そこで、ウェンディは、アイビーリーグの大学を卒業した学生を2年間だけ貧困地域の学校に教師として派遣するというプログラムを立ち上げました。その結果、子どもたちの学力は向上し、同時に、プログラムに参加した学生たちは、社会課題と向き合う社会人に成長します。アメリカでは、日本のように新卒一括採用はなく、アイビーリーグを卒業しても多くの学生は、自らインターンシップなどを通してキャリアを形成していく必要があります。このため、ティーチフォーアメリカは、文系大学生の就職ランキングの上位にランクインする等、大学生にとっても、魅力的なキャリア形成の道を開きました。ティーチフォーアメリカの教師経験者の多くは、その後もキャリアを発展させ、政治家、学校の創立者等さまざまな立場で、社会変革にリーダーシップを発揮しています。ティーチフォーアメリカのモデルは、現在、世界60カ国に広がっています。システムチェンジの特徴は、課題解決のためのモデルが構築されるため、再現性があり、スケールすることが可能なことです。このため、システムチェンジを通して、大きな変化を生み出すことができるのが、その最大の魅力です。
フレームワークチェンジ
フレームワークチェンジは、人々の意識と行動様式に変化を起こすことを意味します。大きな変化が、社会に定着するためには、フレームワークチェンジが欠かせません。例えば、今日では、企業がSDGsに取り組むことが当たり前と考えられるようになりましたが、10年前には、収益を犠牲にする社会課題への取り組みは企業活動として正当に評価されることはありませんでした。フレームワークチェンジの背景に、国連やロールモデルとなる企業経営者等様々な人々の努力があります。
システムチェンジの事例として紹介したティーチフォーアメリカも、フレームワークチェンジを起こしています。ティーチフォーアメリカは、民間の人々にも、公教育を変える力があることを証明しました。また、貧困をはじめとするさまざまな課題を抱えている地域の子どもたちに優秀な先生が向き合えば、公教育を通して、学力を向上させ、自らの人生を変える力を手に入れることができることを証明しました。また、米国で生まれたティーチフォーアメリカが、世界63カ国に広がったことで、教育の課題の多くは、世界共通であることも明らかになりました。この3つのフレームワークチェンジは、多くの人たちに勇気を与えました。このように、システムチェンジの成功は、フレームワークチェンジに結びつくことがとても多いです。ティーチフォーオールは、ベストプラクティスを世界で共有し、さらにその活動を進化させ続けています。
今年から、青山ビジネススクールで、ソーシャルイノベーションの授業を開始しました。授業では、ビル・ドレイトンから学んだ「チェンジメーカーであること」、「シチズンセクターに身を置くこと」、「システムチェンジとフレームワークチェンジを目指すこと」の大切さを伝えています。授業に参加する学生の多くは、ビジネスセクターで活躍する社会人ですが、これらのアイディアを、事業活動に少しでも活かしてくれることを願って授業に取り組みたいと思います。
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