コラム第864号:「ものを分解すればわかるのか?「還元論的発想とシステム論的発想」」

第864号コラム:丸山 満彦 監事(情報セキュリティ大学院大学 客員教授、PwCコンサルティング合同会社 パートナー)
題:ものを分解すればわかるのか?「還元論的発想とシステム論的発想」

・はじめに

子供の学習で、次のようなものを見たことがありませんか?

さて、皆さんはどのように仲間同士に分けましたか?

Aさんの分け方

Bさんの分け方

Cさんの分け方

分けてみると一見複雑に見えていたものも、整理されてどのようなものからできているのか、わかったような気がしませんか?これを読んでいる読者の方の中には、コンサルタントの人もいると思いますが、コンサルタントの方であれば、研修で、MECEという概念を習ったと思います。MECEとは、Mutually Exclusive and Collectively Exhaustiveのことで、要素相互間は排他的であり、かつ集合的に網羅的であるという意味です。イメージでいうと、ものを分ける時に「豆腐を包丁で切る感じです」。全体を理解するのが難しい場合、分解して理解しようと、課題を解決していこうという話です。

人間が複雑なものごとや、状況を把握するためには、分けて整理すると把握しやすいのかもしれません。人間の脳の構造がそのようになっているのかもしれません。

・理解するということは分けるということか?

・はじめは分けることから始まった
人間の身近な世界が何からできているのか?というのは、人間にとっては理解したいことの一つだったのだろうと思います。昔のギリシャでは、四元素論が唱えられていたようですね。世界は、火、空気、水、土の4つからできているという考え方です。ソクラテス(B.B.470-399)、その弟子のプラトン(B.C.427-347)、さらにその弟子のアリストテレス(B.C.384-322)といった有名な哲学者も、このような四元論を発展させた考え方で世界を理解しようとしていたようです。中国では、五行思想というのがあり、火、水、木、金、土の五つからなっていると考えられていました。4つと5つの違いはありますが、四元論と同様の考え方です。

一方、 同じ古代ギリシャでも、デモクリトス(B.C. 460-370?)たちは、原子論というのを考えていたようです。ものを分けていくと最後は分けられない原子(Atos)になる。なので、世の中はAtosが集まってできているのだと考えていたようです。

ルネサンス(14世紀から16世紀)になると、科学が発展していきました。1590年にオランダのメガネ職人のハンス・ヤンセンが顕微鏡を発明し、さらに物質を細かく分けていき、理解を進めようとしました。顕微鏡が普及することになり、細胞、微生物の発見につながり、それが病気の原因の究明にもつながっていたというのは、みなさまもご存知だと思います。

ものを理解しようとすると、まずは分けてみようとするのが歴史的にもそうだったのだろうと思います。例えば、生物学で、生物をドメイン、界、門、綱、目、科、属にわけて分類していくというのは、まさに分けていくという発想ですよね。

・分ければ分かるような気がするが
皆さんも、子供の頃、虫眼鏡を使って昆虫を拡大してみたり、葉を見てみたり、身近のものを拡大したことがあると思います。さらに顕微鏡を買ってもらいより、拡大をしてみて、新たな世界にふれたような思い出がある人も多いと思います。私もその一人です(^^)。そして、さらに大学に入って電子顕微鏡を使ってより微細な世界に触れることができました。

どんどん微細な世界にはいっていくと、わらかなかったことがわかるようになり、世界がよりわかるようになりました。

でも、それは本当でしょうか?例えば、葉の細胞を顕微鏡でみると、細胞壁、細胞膜、葉緑体、リボゾーム、核などが見えるようになり、細胞分裂の様子も見えるようになりました。それぞれの要素はわかるようになったのですが、では、どうして細胞分裂が生じるのか?というのは、顕微鏡でいくら拡大をしていってもわかりません。ものを分けていっても、物事の本質がわかるというわけでもなさそうですね。

下のリンクの動画は、動物の細胞が分裂する様子を顕微鏡で撮ったものだそうです。

出所:Science Source Images:
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=cell+division&&mid=233AD5204E643C9251F5233AD5204E643C9251F5&&FORM=VRDGAR

・分けたら分からないことが分かった
つまり、物事をどんどん分けていったら、ものとしての理解は深まっていったが、それぞれのものの関係というのは、見えないので、分けてもわからないことが増えるということが生じました。物事を理解しようとすればするほど、理解できないことが見えてきたということなのだろうと思います。
一方、万有引力の発見など、ものとものとの間の力といったような関係に関わることも理解されるようになり、どうやら、分けるだけでもダメで、関係も合わせてみないといけないという観点が次に芽生えてきたのだと思います。

・系(システム)

・関係に注目する
ものとものを分けていくと、わかるような気になったものの、ものとものとの関係に注目すると、まったくわかっていないことがわかりだしました。細胞を顕微鏡でみても、その働きがわからないのは直感でも気づくと思いますが、これは自然界に限った話ではありません。例えば、自動車です。自動車を単純に部品に分解し、分解した部品を綺麗に並べてみたところで、自動車がどうやって動くのか、曲がるのか、止まるのか?というのは分解した部品を並べてみてもわかるものではない。部品と部品の関係を理解しないといけないということになります。つまり、分解した要素を理解するだけでなく、要素と要素の関係についての理解がないと全体がわからないということです。

出所‘:coches.com (2025.02.20閲覧)
https://noticias.coches.com/consejos/aprende-a-diferenciar-las-partes-de-un-motor/30808?replytocom=6492

・時間的要素、フィードバックを考えてみる
ただ、単純に要素と要素の関係を理解するというのも簡単な話ではありません。どのような関係なのか?というのもありますし、時間に沿って関係性が変わってくる場合もありますし、一定の変化が別の変化に影響を及ぼすということもあります。

また、フィードバックというのもありますね。例えば、原子核分裂反応です。ウラン原子が分裂すると、複数の中性子が飛び出し、それが新たなウラン原子の分裂を励起します。いわゆる連鎖反応です。これは正のフィードバックですね。一方、生態系においては、食物連鎖の中にフィードバックがあります。例えば、狼を頂点に、その下に鹿、そして植物という食物連鎖があったとします。植物を守るために鹿を駆除すると、それを餌とする狼が減り、その結果、鹿がまた増えて、植物が食べられてしまいます。しかし、植物が食べられすぎると、鹿が増えにくくなり、最終的には最適な状態に落ち着いていくというような話です。これは、負のフィードバックが働き最終的に安定するというものになります。

・分かったような、分かっていないような
このような要素間の関係に注目し、全体を俯瞰して理解しようという考え方はシステム(系)を理解するということになります。このような関係性に注目するようなことは要素だけを理解することと並んで重要と言えます。
しかし、このシステム的な理解というのは、複雑なものを複雑性を保ったまま理解しようとするものですので、還元論的な発想になれた方には、直感的には理解しづらいところもあるかもしれません。

・おわりに – 「鳥の目と蟻の目」再び…

ここまで、みてきましたように、ものごとを理解しようとすると、どうしてもMECEに代表されるように、要素にわけて、それぞれを理解することにより全体を理解しようとなると思います。これはある意味、蟻の目のようなものごとの見方です。私の2023年1月31日の
コラム第754号:『「木を見て森を見ず」にならず、「神は細部に宿る」』
で紹介しましたね。

一方、要素間に注目するというのは、全体をみるということになります。それは鳥の目のようなものごとの見方と思います。

ものごとを理解しようとする場合は、この両方の視点が必要です。それはサイバーセキュリティ対策や、デジタルフォレンジックの現場でも同じです。

脆弱性をみつけるために細かく分けて分析していくことも必要です。フォレンジックの原因を見つけるために、細かくデータを見ていくことも必要です。しかし、それだけでは全部がわかったことにはならないと思います。その脆弱性が全体にどのような影響を与えているのか?といった、つながりを意識した分析も必要でしょう。個別のデータを見ただけでは全体を把握したことにならないと思います。

複雑なものや状況を理解するためには、分解してみていく視点と、全体をみていく視点をうまく組み合わせて、行きつ戻りつを繰り返すことが重要なのかもしれません。
                                                                   以上
【著作権は、丸山氏に属します】