コラム第879号:「民事訴訟法の準文書に残された録音テープと検証作用」
第879号コラム:櫻庭 信之 理事(弁護士・法曹実務者分科会主査)
題:民事訴訟法の準文書に残された録音テープと検証作用
民法96条1項は、詐欺または強迫(注:条文ママ)による意思表示は取り消せることを定めています。
たとえば、民事裁判で、AがBに脅されて物を不本意に買わされたと主張し、購入時の会話の録音データがAの手元にあったとします。Aは、その反訳書面(録音を文字起こしした文書)を証拠提出し、その書面には、購入直前、Aが「怖いよ。」と発言したことが書かれていました。(実際の紛争はより複雑ですが、理解のため単純化しています。)
このケースで、Aは、強迫を理由にBからの購入を取り消すことができるでしょうか?
1 書証 vs. 検証
文書に記載された人の意思・感情・判断などを事実認定に使う証拠調べを民事訴訟法では書証といいます。杓子定規な書証によれば、反訳書面はAが畏怖して契約したことの間接証拠になるので、Aの主張を裏づけます。
ところが、録音データを聞いてみると、実際にはAは笑いながら話したり、Bを怒っての発声であったことが判明することがあります。この場合、Aの畏怖、あるいは購入との因果関係が認められず、Aの主張は退けられます。
つまり、文字を読むだけで事実を認定する場合と、聴覚をも用いる場合とでは、裁判の結論は逆になります。
書証が対象とする文書の典型は紙ですが、紙の文書以外であっても、人の意思・感情・判断などを表現するもの(準文書)には書証の条文が適用されます(民事訴訟法231条)。今から30年近く前、1996年(平成8年)の民事訴訟法の大改正のとき、準文書の例示として「録音テープ、ビデオテープ」が231条に明記されました。
2 反訳の必要と問題
録音テープには問題がありました。媒体中の記録目的の位置に到達するのに、その位置までにいたる記録されたすべてのデータを読み取り、または通過しなければならないからです(ランダム・アクセスと対峙する、ストレージデバイスのシーケンシャル(Sequential)な性質)。アナログをデジタル変換し自動文字起こしする方法がなかった当時は、事実認定に使う箇所を探すのに、カセットテープを戻し・送りで回転させ聞き直しながらメモをとり、その労力は相当なものでした。これに対し、人は聞くよりも読む方が早い。判決の起案や反論・尋問の準備には手控え(メモ)が不可欠ですが、反訳は手控えを作成するのに便利で、アクセスは一種のランダムにもできます。
平成8年の法改正以降、裁判所や相手方から反訳を求められたときは、録音テープの証拠提出者に、反訳を提出する義務が課されました(民事訴訟規則149条1項)。
反訳書面には、録音テープから独立した書証番号(甲第〇証、乙第×号証)を付す実務が現れました。ただ、反訳の本質は、録音テープの「原本に代えた」写しです。反訳書面を「原本として」扱うと書面が原本になってしまい、原本から会話の実際(詳細)を知ることができなくなります。
反訳には、背後の音、別人の小声など詳細は省略されがちで、誤記もありえます。人は、反訳では文字にならない表現でも、受容や拒絶を示していることもあります。反訳書面は音声を忠実に反映していない可能性もあり、反訳書面が証拠提出されたときは、相手方は、反訳の元になった録音データの複製の交付を求め(民事訴訟規則144条)、録音を再生して音で確認する必要があります。反訳を作って証拠提出している以上、録音媒体もそこにあるはずです。
3 原本テープを直接「見る」「聴く」
裁判には勝ち負けがあるため、自分に不利な録音部分を除いたり、原本データを編集して複製を出してくる訴訟当事者がいます。編集の有無は、ビデオテープでも争点になります。
複製テープが交付されても、原本テープ自体を調べる必要がでてきます(文書の提出は原本でしなければならない。民事訴訟規則143条1項)。原本テープを直接見れば、そのテープは会話の当時まだ未発売の製品であることや、不自然な形跡を知ることができます。
さらに、録音されている声は、本人の声ではないかもしれません。
このように書証だけでなく、表現された意思・感情・判断の文字からは離れ、(録音テープは準文書で書証ではあるものの)視覚、聴覚を使って原本テープを直接確かめることが大切です。
4 原本情報を知る検証作用とのクロスオーバー
紙の文書の場合、署名の筆跡や印影(229条1項)が注目されがちですが、それに限らず、契約書に書換え、差替えをすれば、紙の表面に、日付・金額の修正痕、一部ページの紙質の相違、ホチキス痕が残ります。これらは視覚・触覚を使うことで知ることができます。記載された意思・感情・判断が、そのまま認定に使って良いものなのかを判断するには、原本を実際に見なければなりません。ところが、たとえばPDFでは、検証的な諸要素が削ぎ落とされ、相手方は、書換えや差替えを知る端緒を奪われます。PDF→PDFのように、データ形式を変更しない提出証拠でも、類似の現象が起きます 。
書証と検証のクロスオーバーの明確な手続例は、医療カルテなどの証拠保全(234条)です。証拠を起訴前に検証で保全し、その後の本案で、検証で保全した証拠を書証で提出します。手続規定や「弁論の全趣旨」の明示がなくとも、熟練した実務家は、真実を知るために事実上の検証(検証作用)で確かめています。
5 民事訴訟のChain of Custody
日本の民事裁判では、偶然にもChain of Custodyに近い理念があり、原本に辿れる真正性、提出証拠の完全性をチェックする実務は、かつて長きにわたって実践されていました。最⾼裁昭和35年12⽉9⽇判決は「上告⼈らは書証の申出をしているが、いずれも、写しであって、原本ではないから不適法である」(要約)と判示しました。最⾼裁平成9年5⽉30⽇判決は、文書の真正成立を肯認する際、証⼈の証⾔等や弁論の全趣旨を摘示しました。判決文が平成様式に変わる以前は、ほとんどの下級審では、各証拠を事実認定に使って良いかどうかの検討過程や証拠採用の根拠を判決文に示しています。ところがその後、PCのプリンタの見た目がコピー機と似ていたため、原本チェックが実務上非常に疎かになったことについては色々な機会でご紹介しました。
6 変遷した立法事実
1996年の民事訴訟法改正当時、提出される証拠にマイクロカセットもありましたが、会話の録音テープのほとんどはカセットテープでした。準文書の例示を「磁気テープ」一般にすると、裁判所内で容易に再生することができないものもあるため、磁気テープの中でも特に裁判所でも容易に再生できる「録音テープ、ビデオテープ」を条文に掲げました(法務省民事局参事官室編『一問一答・新民事訴訟法』(商事法務研究会 1996年)。ただし、この頃はすでにメーカー各社がカセットテープ部門の店仕舞いをし始めた時期でもあります。
82年にCD、93年にMD、2001年にiPodが現れ、最大手のTDKは07年米国企業に移譲して撤退し、ソニーも11年カセットテープの製造を終了しました。ビデオテープの主流のVHSテープは、開発した旧ビクターが07年にVHSビデオデッキの製造を終了しています(唯一ビデオデッキを生産していた船井電機も16年に製造終了。)。
ユネスコは、「磁気オーディオ・ビデオテープのフォーマットはすでに時代遅れである。」とし、全世界に向け2025年問題の「磁気テープアラート」を発しました。
231条準文書の録音は、現在、スマートフォン、ICレコーダ、PC内蔵マイク、Web会議ツールに置き換わっています。外付けハードディスクもCD-Rも前世紀からすでに一般に普及しており、SSDとともに媒体として新種ではありません。音楽サブスクの早戻しを、なぜ「巻戻し」と呼ぶのか知らない世代も出てきました。
法制にも変化があり、特許法は原簿の調製方法に磁気テープをあげたままですが(同法27条2項等)、租税法規は、令和4年に各条文から「磁気テープ」の文言を一斉に削除しました。
磁気テープはかつての会話録音から用途をシフトし、周知のとおり、現在データバックアップ・アーカイブ用、ビッグデータ、データセンタなどのコールドデータ用、ランサムウェア対策のオフライン保管などで活躍し、デジタルテープも活用されています。
7 民事裁判における電子証拠のこれから
原則ペーパーレスとする令和4年改正民事訴訟法は、来年(2026年)5月24日までに全面施行される予定です。施行よりリリースが後になる見込みの新裁判システム「TreeeS」は、その仕様が不明ですが、現在開発中と報じられています。文書・準文書で電子証拠が中心となる今後、録音テープや紙の文書に関する伝統的なポイントを基本としながら、工夫も新たに必要になります。
クラウドシフト、クラウドネイティブの一般化が進み、民事裁判への提出が多い非構造化データ(WORD、PDF、画像など)に付与されるメタデータには、移植性やオブジェクト・ストレージの効率管理から、基本情報にカスタムな情報が加わります。仮想化環境に組み込まれた原本情報が裁判の決め手となる場面も現れます。
昨年(2024年)のIDF法曹実務者分科会では、間もなく訪れるBeyond 5Gのもとで、脳情報の数値化により、一般の生活環境において人が手を使うことなくコンピュータを操作するデモを視聴しました(第21期第3回)。インターフェースの理論化が進み、真正性・完全性を確かめる検証的要素(原本情報)は、物理的なエンティティから乖離したところに見ることが増えてきます。AIは、社会経済のインフラとスープラの隅々にまで広がり一体化して行くでしょう。
そして、「デジタルの次」量子ビットが裁判の結果を左右する時代がきます。
「録音テープ」は、民事訴訟法が紙ではない準文書を条文に例示した歴史上の文言になりつつあります。しかし、人の意思・感情・判断はその表現のまま認定することにはリスクがあること、その誤判を回避するためには検証作用をクロスさせることが不可欠であること、の2つを、録音テープは、法曹の現場に教えてきました。原本情報の所在を見つける努力を法曹に続けさせ、Chain of Custodyのチェックを実務家に忘れさせないための象徴として、その文言の意義はこれからも、あるいはより一層重要になると考えています。
【著作権は、櫻庭氏に属します】