第36号コラム:佐々木 良一 理事(東京電機大学 未来科学部 情報メディア学科 教授)
題:「江戸時代のログファイル」

今日は2009年の元日。このコラムに記事を書いてほしいという依頼があり何にしようかとつれづれなるままに考えていた。前回書いたときは堅い話になってしまったので、今回は何とか柔らかな話にしたいなと思っていたところ、昔、「江戸時代のファイアウォール」という記事を大学のブログに書いたことを思い出した。http://www.im.dendai.ac.jp/sasaki/2007/04/20070420firewall.html ※リンク切れ

 ここでは、「ファイアウォールとは、防火壁のことである。江戸時代などに使われた防火壁の1つに「うだつ」というのがある。「うだつがあがらない」などという言い方をする場合に使われる、うだつである。うだつとは、屋根の両端に一段高く突き出た小屋根をいい、本来、火災を防ぐための防火壁のことで、裕福な商家は競ってこのうだつをあげたため、いつしか立派なうだつは商人たちの富と信用を象徴するものとなった。したがって、うだつがあがらないとは「地位・生活などがよくならないことやぱっとしないこと」を意味するようになったようである。」とファイアウォールとうだつの関連が深いことを述べた後、機能的にもっと近いのは江戸時代の「出島」ではないかということを書き、その類似性を列挙した。このとき、他のものとの類似性を検討するのはそれだけでも面白く、さらにそれにより、ものの本質が見えてくることがあると言うのを感じた。

 そこで、デジタル・フォレンジックについて類似性の検討を行い、「江戸時代の」シリーズで何かかけないか考えてみた。そのとき思いついたのが、証拠性の基盤であるログファイルと大福帳の関係である。大福帳とは江戸時代の商家で使われていた金銭出納帳で、現代の簿記のように勘定項目を分けず、取引順に綴じていったものである。大福帳は発生するデータを要約せずにそのまま蓄積していくタイプのデータベース・システムと考えることもできるだろう。

 この大福帳は正式には売り掛け帳といったようである。江戸時代の商店では即金払いはむしろ少なく、掛売りを行い、それを売り掛け帳につけておき、盆前と年末に集金したようである。この売り掛け帳には、これからお金を集める福がいっぱいつまっている、という意味で「大福帳」と名付けられたという。ちなみに、大晦日までに借金を取れなければチャラになるというのが慣例だったようで、大晦日の借金取りとの攻防が落語などで面白おかしく紹介されている。

 大福帳はまさに取引の証拠を示すログファイルであり、この証拠性をベースに盆暮れの集金が正当化されたのだろう。これらのログの証拠性を確かなものにするために現在ではログにデジタル署名やタイムスタンプを施すことが増えてきている。このデジタル署名は、江戸時代の捺印に相当するのだろう。江戸時代の大福帳に売り掛けの事実を示すために買ったほうが捺印を行ったかどうかが気にかかり始め、調べてみたがよくわからない。大福帳の実例がインターネット上に写真として載っていれば良いのだがほとんどない。

 そこでいろいろ推理してみたのだが、明治時代以前、町人は印鑑を持つことがほとんどなかったので捺印はなかったと考えるのが自然ではないだろうか。ちなみに、江戸時代の捺印には、現在のような朱肉を用いることは少なく、墨で捺印を行う墨印が多かったといわれている。なお、捺印ではなく、サインに相当するものが使われた可能性もあるのでこれも調べてみた。日本におけるサインは「花押」と呼ばれるもので、草書体にくずした署名を極端に形様化したものである。豊臣秀吉や伊達政宗など戦国武将のものが有名である。しかし、花押は平安時代から戦国時代は使われたが江戸時代にはほとんど使われなかったといわれており、特に町人が使ったという記録もないので花押を押した可能性も少ないのではないだろうか。

 捺印や花押なしで取立てが可能であった背景には、町人の商店への信頼があったのだろう。また、強者に従うしかないという時代の諦観があったのかもしれない。一方、商店側では証拠を確実にするため、信頼の糧としての全数記録を実施していたのだろう。そして現代のログデータにおいても、技術できちんと対応すると共に適切な運用をベースにした信頼感の確立が大切になるのだと思う。

 と、ここまで書いて、大福帳以外に証文を取る場合もあったのではないかと思い始めた。証文というのは、金銭消費貸借において、借り主が貸し主に対して交付する債務承認の書面であり、時代劇などでも証文を取り返す話などがよく出てくる。この証文の証拠性はどうやって確保したのだろうかと疑問になってきた。

 軽い気持ちで書き始めたのだが、正月のちょっとした調査では、わからないことが多く、今回はこのあたりで終わりたい。中途半端だと感じる人も多いと思うが、大福帳や証文だけに「お蔵入り」ということでお許し願えれば幸いである。