第76号コラム:安冨 潔 副会長(慶應義塾大学大学院 法務研究科、IDF副会長)
題:「科学的証拠とデジタル・フォレンジック」
1990年に発生したいわゆる足利事件では、当時導入されて間がないDNA型鑑定の結果が有力な有罪証拠として無期懲役が言い渡されたのですが、当時の鑑定結果と異なる再鑑定結果によって再審が行われることとなったことは周知のことです。この事件は、有罪判決を受けて服役したS氏にとって取り返すことのできない極めて重大な人権侵害を引き起こしたというだけでなく、刑事裁判における科学捜査のあり方と収集された証拠の評価について考えなければならない問題を提起しました。
そもそも、刑事裁判において、鑑定試料の収集・保管と分析が適切になされなければ、証拠としての価値はないのですが、科学技術を用いた捜査ということで自白や供述よりも信用できると捜査機関や裁判所が過信してしまう危険がないわけではありません。このことは、デジタル・フォレンジックという科学捜査の手法が定着しつつあるなかで,今後,ますますデジタル証拠の重要性が増すと考えられるだけに、デジタル・フォレンジックを活用する上で、留意しておかなればならない関心事ではないでしょうか。
たしかに近年の科学技術の進歩は、これまでの犯罪捜査手法にも大きな影響を与え、科学技術を活用して得られた証拠は、証拠として事実認定に極めて重要な役割をはたしてきています。このような科学技術を活用して収集された証拠については、信頼性と正確性が認められなければ証拠として用いることはかえって事実認定を誤ることになり、ひいては冤罪を生むことにもなるのです。
わが国の刑事裁判では、どのような証拠を裁判で用いることができるかについては、証拠として取り調べてみても意味がないというものでなければ、広く証拠とすることができるとされています。そこで、科学的証拠を証拠として裁判で用いることができるかどうかは、証拠の収集に用いた科学的理論が合理的であり、分析方法が適切で、得られた結果に信頼性が認められることで証拠とすることができるといってよいでしょう。科学的理論の合理性や、分析方法の適切さ、得られた結果の信頼性については、専門家が鑑定人として裁判所に報告することで裁判官の判断を補っています。
これに対して,アメリカ合衆国では、陪審制が採用されているので、証拠の評価について訓練を受けていない陪審員による誤った事実認定を避けるために、証拠とすることができるかどうかの判断は裁判官が行ない、そのうえで証拠とすることができるとされた証拠に基づいて陪審員が事実の認定をすることとなっています。そこで、科学的証拠についても、以前は、科学技術を用いて収集された証拠だということで、証拠の信用性を過大に評価して、誤った事実を認定するおそれがないとも限らないことから、その分野での専門家の間で一般的に承認された原理に基づいて適切な分析が行われたということが証拠となる条件との立場が採られていました(Frye v. United States, 293 F.2d 1013 (D.C.Cir. 1923))。しかし,1975年、アメリカ合衆国連邦証拠規則が制定されたことに伴って、事実認定に関連性のある証拠は裁判で証拠とすることができることなりました(同規則402条)。
裁判員裁判が始まりましたが、裁判官と陪審員との分業が明確なアメリカ合衆国とは異なり、事実認定について裁判官と裁判員とが協働して行う裁判員裁判で、あらためて科学的証拠の証拠に対する評価をどのようにしていけばよいのか、今後の課題となるように思います。
ところで、デジタル・フォレンジックは、犯罪捜査の手法だけでなくさまざまな場面でのデジタル証拠の収集・保全として重要な機能を果たしています。しかし、デジタル証拠は、人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であるという特徴があります。それだけに、いかにデジタル・フォレンジックの技術が合理性を持つものであったとしても、証拠の収集・保全及び分析が適切になされなければ、誤った結果をもたらすことになりかねません。
今後は、デジタル・フォレンジックのスキルを高めるとともに、証拠の収集・保全及び分析が適切になされるためのインシデント・レスポンスガイドラインが策定されることが期待されます。
【著作権は、安冨氏に属します。】