第127号コラム:松本 隆 理事(ネットエージェント株式会社 フォレンジックエバンジェリスト)
題:「ストーリーに翻弄される人たち」

 人はいつも、想定外の出来事に遭遇すると「分かりやすいストーリー」を求める。たとえばニュースを通して理不尽な事件に憤り、なぜそのような痛ましい事件が起こってしまったのか、犯人は一体どんな人間なのか、関連する報道をつい追ってしまう。マスコミから提示されるストーリーが、自分にとってしっくり来るものであれば納得し、心のどこかでつじつまが合ったことに安心する。ただし、この分かりやすいストーリーには落とし穴がある。当たり前だが、ストーリーの分かりやすさと正しさの間には、何の関係もないはずである。しかし、分かりやすいストーリーは多くの人に共感され、信頼され、いつの間にか正しいものとして扱われてしまう可能性があるのだ。
 ストーリーの分かりやすさとはなんだろう。多くの場合、シンプルで論理的に矛盾がないことである。自分の価値感に照らしあわせて、結果が共感できるものならばなお良い。しかし、そこに「願望」が加わると非常に危険なものになる。このことは、近頃世間を騒がせている幾つかの事件を見ると理解いただけるだろう。

 筆者はフォレンジック調査員として多くの事案に関わってきたが、案件のたびにストーリーを判断する危険性について考えさせられる。調査をご依頼いただいたお客様は、信頼していた社員が何故このようなことを行ってしまったのか事件に驚き、悲しみ、その理由を知りたがる。調査員は現状のコンピュータに残っている情報をつなぎ合わせた結果として、タイムラインベースで論理的に矛盾のない分析結果をご説明するが、多くの場合お客様は納得されない。
 調査員は、「論理的であること」「矛盾のないこと」が必ずしも「正しいこと」ではないことを知っている。コンピュータを解析すると無数の証拠が点のように浮かび上がってくる。それらをつなぎ合わせることで、幾つものストーリーを作ることは簡単だ。その中にはお客様がこうあってほしいと望んでいるストーリーがあるかもしれないが、選択されたストーリーの正しさは開かれた場で明らかにされるべきもので、密室で調査員が判断すべきではない。ハードディスクのどこにも「正しいストーリー」は記録されていないのだから。

 それでは調査員がストーリーに翻弄されないようにするにはどうすればいいだろう?筆者は迷ったときにはG.S. Leventhalによって提唱されている手続きの公正さの評価基準と、公認不正検査士協会の職業倫理規定を見直すことにしている(※)。Leventhalによる手続きの公正さの評価基準は、①代理性、②一貫性、③偏見の抑止、④正確性、⑤修正可能性、⑥倫理性で構成されている。この基準では、ストーリーの正しさではなく、(調査)手続きの公正さをいかに実現するかのみが語られている。また、公認不正検査士協会の職業倫理規定は、職務を遂行する能力だけではなく、プロとしてあるべき理想の姿を調査員に示してくれる。
 これらの基準や規定は、調査員の抱える悩みに直接答えてくれるものではないが、下すべき決定や行為に関するぶれない指針を与えてくれる。調査員は、個人や団体の罪状に関する一切の意見を述べてはいけない。そして、論理的であるだけでなく、案件を通して常に公正で、倫理的であるべきなのだと。

※公認不正検査士協会 FRAUD EXAMINERS MANUAL VolumeⅢ Section Ⅳ「犯罪学と倫理」より

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