第150号コラム:秋山 昌範 理事(東京大学 政策ビジョン研究センター 教授)
題:「コミュニケーションギャップとデジタル・フォレンジック」

 東北関東大震災により被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

1)立場による視座の違い
 さて、現在の我が国は厳しい財政事情下にあり、超高齢化社会を迎えた社会保障改革は大きな課題である。そこで、医療の仕組みも改良する必要があるが、その過程で医療関係者だけでなく、患者からも一般国民からも信頼を得ることが必須であり、客観的なデータに基づく議論が必要である。またそのデータは正確であることが前提である。関係するステークホルダにとって、医療費の値上げ等、将来の見直しは、それぞれ痛みを伴いものになる可能性が高いため、継続的再評価(自己評価、客観評価)が必須であり、そこには信頼性が伴わなければならない。医療提供側の医療機関と患者・国民側には、その認識に大きなギャップがある。また、医療提供側間にも、医師、看護師、薬剤師やその他のコメディカル間にも、認識にギャップがある。これらは、それぞれの立場で得られる情報の量(広さ)や質(深さ)に差があることに起因している。そのために、それぞれの立場間の視座の違いを認識していないと、不毛な対立を生むことになり、改革が進まない。

2)認識のギャップを埋めるためのTrust
 この対立を埋めるためには、誰もが納得できる指標が必要になる。納得する鍵は、客観性と正確性であろう。まず客観性の担保にはデータの悉皆性が求められる。昨今の中医協(中央社会保険医療協議会)等の議論でも、データのサンプリングの偏りが問題になっている。そこには、恣意的にデータを集めたのではないかという疑念がある。周知のように、ピアソン統計学では、データサンプリング手法が、大きな問題点であり、全数をつかめないという前提では、サンプリング時、データ解析時の2点でどうしても誤差を生みがちである。しかし、コンビニエンスストアのPOS(Point of sale)のようにITを用いると、簡単に全数を集めることが可能になった。医療においてもこの考え方で全数を収集可能である。そうすれば、悉皆性が担保され、相互不信の解消につながるだろう。

 第二に、正確性にはまず真正性・保存性・見読性が必須である。すなわち、医療従事者が行った診療行為に関わる記録を、自己および第3者が追跡、検証が可能であることが必要になる。具体的には、診療に関わる行為を発生順に参照、出力できる手段を有すること、すなわち医療のプロセスが分かるように時系列表示ができなければならない。正確性のためには、医師による指示の記録だけではなく、他の医療従事者が作成した記録、それらの記録の参照履歴(Audit trail)についても蓄積できるシステムであることが望ましい。

 正確な記録により様々な分析が可能になるが、中でもレセプト等に蓄積された診療に関わる実績情報から、患者、疾病、医療従事者、診療行為単位に抽出し、各々のグループの中で比較、分析を行うことにより、客観的な治療結果の評価も可能になり、総合的な医療のパフォーマンスを数値化できるだろう。しかし、もしそのデータに信頼性が無ければ、新たな対立を生む原因となる。

3)Trustを維持するためのデジタル・フォレンジック
 Trustを維持するために、データの登録・保存・解析段階での正確性や悉皆性が実現できたとしても、コミュニケーション段階で、信頼を失う場合もある。いわゆるコミュニケーションギャップである。そこには視座の違いから、いわゆる「言った・言わなかった」レベルものものまで、様々な認識のギャップが生じる可能性がある。これには、電子メールのようにコミュニケーションを全て自動記録した電子データが有用である。そこに、デジタル・フォレンジックを応用することで、相互認識のギャップを解消できるだろう。

 特に、医療費の問題については、全数収集を前提にした正確なデータに基づく議論が必要である。その例として、イギリスの医療制度(NHS)では、デジタル・フォレンジックが取り入れられ、Trustのあるデータベースを用いて医療改革を行った。NHSでは、悉皆性のあるデータに基づいた診療のガイドラインの作成により、医療の質の向上や費用削減を実現した。このように、ICTというと効率化ばかり取り上げられがちであるが、電子化された情報やその履歴に信頼があると、第三者による仲介のような機能を持つ。そこに、デジタル・フォレンジックな情報システムを用いることで、中立的であるという信頼が得られるだろう。これは、医療に限らず、さまざまなコミュニケーションギャップの解消に有用であり、各分野における改革での効用が期待される。

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