第148号コラム: 小向 太郎 理事(株式会社情報通信総合研究所 
                         法制度研究グループ 部長 兼 主席研究員)

題:「『八百長のフォレンジック』のはずでしたが」

コラム予告では、「八百長のフォレンジック」というタイトルにしていました。少し遅ればせですが、大相撲の八百長疑惑について、その発覚の過程について思うことを書くつもりだったのです。しかし、1000年に一度の大災害です。ネットの話題としてさえ、カンニング騒ぎに吹き飛ばされてどうでもよくなってきている八百長ネタを、取り上げる意欲がすっかりなくなってしまいました。

私は東京都中央区のオフィスで打ち合わせ中でした。8階建ての建坪の小さいビルなので揺れが酷く、書棚等が倒れて資料が散乱してしまいました。什器備品も結構破損しています。交通網が麻痺して家に帰れない人も、私の周りにもたくさん出ました。しかし、ニュースを見て身の回りの被害が取るに足らないことを思い知りました。

実は、20年ほど前に宮城県の今回津波が直撃した地域に住んでいました。この町の家が津波で流されるとは夢にも思いませんでした。当たり前のことですが、自然の力になすすべもない無力感を感じます。

今回の地震では、今でも原発が危険な状態になっています。必死で対応している関係者の方々にむち打つようなことを言うのはまだ控えましょう。しかし、想定されない規模の地震や津波が起きることがあるということは、今後の教訓として胸に刻む必要があります。デジタル・フォレンジックとの関係でいえば、今回の事故対応の過程はあらゆる面で記録し今後の分析に供されるべきでしょう。法的な争いにならなくても、デジタル・フォレンジックの技術を役立たせることができるはずです。

メールマガジンの読者の皆様やご家族やご親戚、ご友人のなかにも、何らかの被害を被った方がいることと思います。心からお見舞いを申し上げるとともに、不幸にも亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

【著作権は小向氏に属します】