第193号コラム:須川 賢洋 理事(新潟大学大学院 現代社会文化研究科・法学部 助教)
題:「クラウドの諸問題を今一度考えてみる」

今回のコラムは、拙稿コラム147号「二つの最高裁判例に見る動画配信」の続きでもある。この時に筆者はテレビ番組をネットを通じて地方や海外などに配信する事業の判例に関して、「番組のネット配信だけに限った問題のようにも思えるが、今後、各種クラウド事業や書籍の電子化代行サービスなどにも影響を与える可能性を秘めている。」と書いた。たまたま同様のことを問題提起した記事が、先日(2012年1月9日)の日本経済新聞の法務面にも載っていた。

ネットワークを利用したコンテンツ配信関連の事件は、ずっと単なる著作権侵害(公衆送信権侵害や複製権侵害など)の成立の有無に関する事件としてだけ捉えられてきたが、ここに来て、「クラウド」というキーワードと共に、再評価(評価というより検討か?)されるようになってきている。ネットワーク上に滞留させたコンテンツを利用するという行為が、今でいう「クラウド・サービス」と特性がたまたま一致したせいであるのだが…。それ故、知財、とりわけデジタル著作権の世界では、まだクラウドという言葉が使われる遥か以前から、ネット空間からコンテンツが降ってくる際の法律問題についていろいろと議論されてきた。

MYUTA(マイウタ)事件(東京地判 平19.5.25、判時1979号100頁)などはその典型例である。このサービスは、ユーザが自身の所有する音楽CDをMP3化して、MYUTAが提供するサーバに預け、必要な時に自分の携帯電話にダウンロードして曲を楽しむというものである。このMP3データはアップロードした本人しか聞くことができない。ところが裁判所はこのサービスを著作権侵害であると認定した。以降、この判例は専門家の間では批判的に例示されることが非常に多い判例となっている。ネット上にも様々な意見があるので興味ある方は検索していただきたい。

今回は、このMYUTA事件を少し違った角度から見てみよう。裁判所の判断に対して世論が否定的であることは前述の通りであるが、では、なぜこのような事件が控訴・上告され最高裁まで争われることなく、結審しているのであろうか。急速に進むIT技術に法律どころか裁判のスピードすら追いついていけないという現実がここにある。MYUTAの概要と時期を、もう一度、新旧の携帯電話機の性能と照らし合わせながら見ていただきたい。そう、携帯電話(スマホも含む)が非常に大容量のストレージを持ち、何百曲でも入れておくことができる今日においては、このようなサービス自体が既に不要なものとなっているのである。結果、中途半端な下級審判決だけが残り、それが未だ一人で歩いている状態になっている。ところがここに来て、個人が複数のデジタルデバイス(PC、タブレット、スマホ、または自宅&職場など)を持ち、「一度のデジタル化作業でそのコンテンツをすべての端末で共有しよう!」ということが可能な時代になって、再びこのような事例が「クラウドの法的問題」として取り上げられるようになったわけである。

このように、業界や学界が大騒ぎしていた事象について、それを凌駕するような新製品やサービスがあっという間に発売されてしまい、「あの騒ぎはなんだったのだろう?」となってしまうことはそんなに珍しいことではない。近日中に東芝などから2週間分の地上波の全番組を延々と録画し続けるタイムシフト機能付きのHDD録画機が発売されるが、このようなものが家電量販店で売られるようになってしまうと、録画代行サービスなどの裁判で争われた様々なベンチャービジネスが一気に過去のものになってしまう。しかし、法律と判例だけはそのまま…なのである。ここがユーザからしてみれば困ったところになるわけである。

最後にデジタル・フォレンジックとの関係で一言。このような問題を、現実的な手法(市場原理)として、解決する手段として導入が進むであろうと思われることが一つある。それは、ネットワーク上を流れる様々なコンテンツにユニークIDを振り、各々のコンテンツをトレースするという形でのデジタル・フォレンジックが必要になるということである。

【著作権は須川氏に属します】