第215号コラム:林 紘一郎 理事(情報セキュリティ大学院大学 教授)
題:「チェックアウト・プリーズ ASAP その1:人生のチェックアウト」

まず始めにお断りしておきたいのは、以下の記述(連載で3回ほどになる予定)がフォレンジックにどのように関わるのか、私自身にも分からないことである。直接の関係はないにせよ、広い意味での社会現象に触れたものとして何らかのヒントになれば幸いであるが、ひょっとすると「風が吹けば桶屋が儲かる」と同程度に、迂遠な説明をしているだけかもしれない。時間を持て余している老人のたわごとを聞いてあげよう、というフィランソロピー的な気持ちで、お読みいただきたい。

去る3月の中旬に、母を亡くした。あと数日で97歳という大往生であったから、思い残すことは、さほど多くない。しかし、その死の前後における経験は、私に言いようのない不安(あるいは後味の悪さ)を残した。人生のチェックアウトは、すべての人に平等に(しかも1回だけ)訪れることであるが、高齢化社会の到来で従来の考えが通用しなくなっている。今後は自分の死後の対応についても、ASAP(As Soon As Possible) を旨として予め計画せざるを得ないことを、痛感させられたからである。

肉親が不幸に見舞われるとき、何らかの前兆を感ずることがあるそうだ。昨年の3月に、母が脳梗塞で倒れたときも、ある種の「胸騒ぎ」があって、秘書から「お母様が倒れたそうで、すぐお住まいに向かってください」という伝言を受けても、何とか平静を保つことができた。右半身麻痺と言語障害が残ったので、救急病院から療養型病院に転院して、最初の半年ほど病状は比較的安定していたが、後半から次第に衰弱が目立つようになり、約11ヵ月後には最期のときが近づいたことが感じられた。

そこで、母が住んでいたコンドミニアム(アメリカで本物のマンションを見てしまって以来、マンションという言葉を使えなくなっている)に泊まり込みを始めて3日目、午前4時に病院から呼び出しがあった。母の住まいには旧式の電話しかなく、私が寝ている部屋とは2部屋分隔たっていた。しかも、呼び出し音を低く設定してあったので、私がすぐに電話が鳴っていることに気づいたのも、「胸騒ぎ」のおかげだったかもしれない。いずれにせよ「今朝方から呼吸も心拍も、急速に弱くなっています。できれば30分以内に来てください」という看護師の要請に応えることができたのは幸いであった。

しかし病院に駆けつけた私が見たのは、既に脈もなく呼吸もしていない母の姿だった。すぐに当直の先生が現れ「ご臨終です」と告げられたのは、午前5時の直前で、私の到着から10分程度しか経っていない(死亡診断書の死亡時刻欄には、その時間が記入された)。かねてから「無駄な延命措置はしないでください。それは母の希望です」と伝えていたため、今問題になっている「胃瘻」(食物の経口摂取が困難な患者に対し、人為的に皮膚と胃に瘻孔を作成し、チューブを介して水分・栄養を流入させるための処置)などを勧めることもなく、その方針を堅持してくれた病院には感謝している。しかし人生の最期が「理想の自然死」に近いとはいえ、事態はいかにも「あっさり」したものだった。とりわけ、1時間程度はかかるところに住んでいる弟が、臨終に間に合わなかったのは、2人だけの遺族の片割れとして心残りだった。

この間の病院の態度は、きわめてビジネスライクにASAPを実践しているように感じられたが、その推測が的を射たものであることが分かるには、時間がかからなかった。死後に必要な措置を終えた看護師から、「ご遺体の引き取りは、いつになりますか」と問われたからである。私の感覚からすれば、未だ午前5時半でフツーの人は眠っている時間であるし、私自身も頭が混乱している。ところが、別の看護師も部屋に入ってくるや、同じことを聞くではないか。私は「明るくなったら、契約している葬儀社に連絡します」と答えるしかなかった。どうやら「長居はしないでくれ」ということらしい。

そのような違和感が頂点に達したのは、「一旦母の住まいに戻って葬儀社と連絡する」ことを約して、病院を出ようとするときだった。医療行為には何らの関係もないと思われる守衛から、「ご遺体の引き取りは、いつになりますか」と3度目の質問を受けたからである。私も長い会社員生活の経験があり、また一時的にせよ社長業も勤めたから、この医療法人の徹底振りは、表彰ものかもしれないと思う。しかし、ホテルのチェックアウトのように、自分が行なえる退出なら良いが、死者として自らはチェックアウトできないケースについて、関係者にASAPを求めるのは、いかがなものだろうか。

幸いだったのは、母が生前に葬儀社を選び積立金を積んでいたほか、生前近くの直営葬祭場に私を連れて行って、「葬儀は身内だけで、このセットでやって欲しい」と指定しておいてくれたことだった。しかし、葬儀社が24時間サービスをしていることには、母も私も気づかないでいた。当日、遅れて合流した弟が「電話が書いてあるから連絡してみよう」といってコンタクトしたところ、24時間対応してくれることを知った。そして、すべてが流れるように動き出した。遺体の引き取りは、仮安置所へ移すことで、早々に決着した。

しかし本当の問題は、火葬場と葬祭場の確保だった。3月19日(月)早朝の死亡で、翌日が休日だった。私は校務があり、弟はベンチャー企業の社長だから、できれば休日を最大限に利用し、他の日への影響を最少化したかった。ところが、葬祭場は母とともに事前視察済みの場所が取れるが、火葬場が混んでいるという。結局、公営の火葬場ではなく民間のものを予約できたので、私たちの希望は生かされた。その間、葬儀社の社員は懸命に努力してくれた。自分で交渉しなければならない事態を想定すれば、これは大変にありがたいことだった。

通夜や葬儀の間は、なにかと気ぜわしい反面、思いもかけぬ空き時間があって、旧交を温めたり、知人の意外な側面を発見するなど未知の楽しさがある。そんな会話の中で、人生のチェックアウトを話題にしたところ、こんな話を聞かされた。高齢化が進むということは、死者の数も年々増えるということである。死者が増えれば、火葬場も葬祭場も増やさねばならないが、それを比例的に増やすことは難しい。ということは、人生のチェックアウトの需給は、既に逼迫しているが、今後はますます逼迫の度合いが高まるということを意味する、と。

どうやら今後に備えるには、まず「死後にはどうして欲しいか」という「セキュリティ・ポリシー」を明確にすること。そして、死後の措置を任せることのできる、信頼できるエージェントを見つけることらしい。前者は単独で決めることもできるが、家族と相談することが望ましかろうし、後者も同様である。つまり人生のチェックアウトは、一人の行動ではなく「相談事」になっているのである。次回は、それが紛争の元にもなりかねない「相続」をめぐって論じてみよう。

(以下「その2:相続手続きにみるコンプライアンス偏重」「その3:贈答文化から寄付文化へ」と続く予定)。

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