第283号コラム:伊藤 一泰 理事 (栗林運輸株式会社 監査役)
題:「悪ふざけと大人の対応」

今夏、飲食店やコンビニのアルバイト店員による悪ふざけ投稿がフェイスブックなどにアップされ、社会的に大きな問題となった。大手のコンビニチェーン加盟店で、アルバイト店員が冷凍ケースに入り込んでアイスクリームの上に寝そべった写真をフェイスブックに投稿したという問題が発覚し、当該店舗はフランチャイズ契約を解除され、休業を余儀なくされた。また、その後も続々と類似事案が発覚し、有名ラーメンチェーンの女性従業員が客に提供するソーセージを口にくわえた写真をアップするなどやりたい放題である。

フェイスブックやツイッターは、スマートフォンを使って気軽に投稿できることが特徴なので、以前のホームページやブログ以上に悪ふざけ投稿が広がっている。彼らにとって自己表現のツールとしてのインターネットでありSNSなので、今さら規制しようとしても難しい。せいぜい「仕事中はスマートフォン、携帯、タブレット端末などの使用を禁止する」との通達を出すくらいであろう。あとは、間違った使い方をしないように、そのメリット・デメリットをわきまえた上での利用の仕方を教育することを考えなければならない。

インターネットが世界に向けて開かれたインフラとなっているにもかかわらず、これらの事案を起こした本人は、仲間内で写真を見せびらかす感覚である。プリクラや写メを送る感覚で写真を情報の大海にアップしてしまう。少なくとも、バカな写真を投稿する時点では、仲間内に自慢したいと言う気持ちが先行しており、どんな問題に発展し、誰に迷惑をかけるのかに関して全く気が回らない。そして、結果的に自分に跳ね返ってくることが想像できていない。インターネットに乗せたら瞬時に拡散することに思いが至っていないということであろう。

しかし問題は若者の悪ふざけにとどまらない。以前にも、医療現場で、認知症の疑いがある患者の写真を本人に無断でフェイスブックにアップして、人権侵害として訴えられた看護師ケースがあるし、復興庁の参事官がツイッターで暴言を吐いて処分を受けたのも同じ型の問題をはらんでいる。すなわち、それなりの立場にある人間も、れっきとした大人でも、アルバイトの若者達と同じ陥穽にはまっている。

大手衣料品チェーンにおいて、商品についてクレームをつけに来店した女性客が、店員に謝罪を求めたあげく、店員を土下座させてツイッターに投稿したとして逮捕された事件も記憶に新しい。彼女にとっては、土下座させるのが客としての「正義」だったり「リベンジ」なのであろう。

しかしながら、その代償は本人が責任を負うだけにとどまらない。このような悪ふざけ投稿があると、ネット上では直ぐに投稿者について「犯人探し」が始まる。本人の顔写真、名前はもちろんのこと、家族の個人情報までがネットに曝される。前述の店員を土下座させた女性の場合は、番地までのフル住所から、子供と一緒に写っている写真まで曝されている。加害者とはいえ、ここまで叩く必要があるのか疑問である。「犯人探し」のネットユーザーも土下座させた女性と同じ精神構造に陥り同じ過ちを犯しているのではなかろうか。

笑いを取ることを狙った悪ふざけは今後も簡単になくなると思えない。フェイスブックやツイッターの利用は、プライベートとパブリックの境目が曖昧になりがちである。患者の写真を投稿した看護師も「仲間内だけだと思い、軽い気持ちで投稿してしまった。」と話をしている。

簡単に言えば、ネットリテラシー、メディアリテラシーの問題なのだが、実際に、どの段階で誰がどのようにして教育するのか、具体的に考えると難しい。企業として、従業員に対する再教育を実施するところもあるが、「ノリでやった。ウケ狙いで写真を投稿した。」そんな感覚の若者に今さらリテラシー教育でもなかろう。関係省庁でも、学校教育の中でリテラシー教育を取り入れようとする動きがあり、一部は実施されているが、効果があったようには見られない。
  
基本は躾やマナーの問題であり、学校に入る以前の段階から必要な教育なのだと思う。家庭で子供に口で注意しても聞き入れてくれない。でも、そこで諦めるのではなく、「子は親を見て育つもの」なので、親として、大人として、自らの背中で語るしかない。将来、その子供が大人になった時に、プライベートとパブリックをわきまえ、他人の痛みが解る、思いやりのある人間になるようにするため何を教えるべきか。学校教育よりも家庭での躾や模範となる大人の振る舞いを見せることが重要である。社会人になっても、いい年になっても、普段の生活の中で、尊敬できる上司や先輩の仕事中の背中を見て何かを感じたり、周囲の人々と感動を共有したりする経験を大切にしたいと思う。

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