第297号コラム:須川 賢洋 理事(新潟大学大学院 現代社会文化研究科・法学部 助教)
題:「技術が変われば、法も変わる…べき?」
今回のコラムの表題でもある「技術が変われば、法も変わる…べき?」の問いの答えはもちろん「Yes」である。むろん時には「No」の場合もあるのだが、それはまた次の機会に書かせていただくとして、今回は実態と合わない事例を著作権法の中から2、3ほど紹介させてもらえればと思う。
先日(2013年12月13日)の報道で、政府が「個人の音楽・映像のクラウドサービスへの保存規制を2014年度中に見直す」ということを表明した。実はこれは2007年(平成19年)5月に東京地裁で出されたある判例を念頭に置いている。「myuta事件」というのだが、これは『「自らが購入した音楽CDをネット上のファイルサーバ上でMP3に変換して預け、必要な時に自分の携帯電話にダウンロードしてどこででも聞けるようにするという事業」が著作権を侵害する』としたものである。ちょっと考えるとお分かりになると思うが、これは現在で言うところのクラウドの個人ストレージと同じサービスになっている。
しかしながら、この判決が出された頃には、もう既に携帯電話のメモリ容量が莫大になりギガ単位のストレージをローカル個々に持つようになっていた。結果としてこの事業自体の魅力も無くなり、被告側も控訴に至らなかったわけである。結果として、この判例だけが確定して一人歩き始め、ともすれば「現在当たり前に行われている数々のクラウドサービスが、過去の判例に照らし合わせるとひょっとしたら違法になるかもしれない?」という現実との不整合が生じてきたのである。それ故、このようなことに関して法律をはっきりさせる必要が出てきたことが、今回の政府表明がなされた理由である。
実はこのようなことは、さほど珍しいことではない。例の「海賊版ダウンロード違法化/刑罰化」の陰に隠れて一般にはあまり騒がれなかったが、googleなどの検索サービスが検索効率を上げるために事前にネット上の情報を集め、ストアしておく行為が、ともすれば著作権(複製権)の侵害行為になりかねない恐れがあった。そこで、2009年(平成21年)改正時に、第47条の6「送信可能化された情報の送信元識別符号の検索等のための複製等」という条項を設けて違法ではないことを明文化し、利用者が憂いなく使うことができるようになっている。
しかしそうかと思えば反面、いつまでたっても昔の技術的水準に基づいたままの条文もある。今回は筆者が常々「時代にそぐわない規定」だと思っていることをあらためて述べてみたい。
まずは、著作権法の公衆送信の定義から…。最近では、著作物をネットへ送信する権利を定めた「公衆送信権」という言葉は一般にも比較的馴染みある言葉になっている。その定義は2条1項の中に次のように定められている。
『七の二 公衆送信 公衆によつて直接受信されることを目的として無線通信又は有線電気通信の送信(電気通信設備で、その一の部分の設置の場所が他の部分の設置の場所と同一の構内(その構内が二以上の者の占有に属している場合には、同一の者の占有に属する区域内)にあるものによる送信(プログラムの著作物の送信を除く。)を除く。)を行うことをいう。』
今回問題にしたいのはこの公衆送信そのものではなく、括弧でくくられた但書の部分である。意図したい部分だけを読みやすく編集して抜き出すと「電気通信設備で、その一の部分の設置の場所が他の部分の設置の場所と同一の構内にあるものによる送信を除く」となる。実はこれ、LANを法律的に定義した箇所となっている。つまりは「著作物は勝手にネット送信してはいけない。だけどネット送信にはLANは含みませんよ…」と言っているのであるが、この条文を、もう一度よく読んでみていただきたい。ここで言うLANはあくまで「同一構内」であることが要件となっている。例えば大学では、一つの大学が多くのキャンパスを抱えており、通常はキャンパス間は公衆線ではなく専用線で繋いでいる。単一企業でも複数箇所のビルを専用線接続している法人は多いであろう。しかしこの定義に則ると、同じキャンパス内にある他部局との通信はLAN扱いで、違うキャンパスにある場合はNGということになる。極端な話が、「道一本隔てて別番地になってしまうと同一構内ではないのでダメ!」とも言えるのである。さらに最近はたとえ公衆線を用いている場合でもVPNによってよって拠点間を接続していることが多く、この考え方は現在のネットワーク技術事情にはそぐわないと言える。
次に検討しなければならないのが、「データベースの著作物」の保護のあり方であろう。
『第十二条の二 データベースでその情報の選択又は体系的な構成によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。』
ここでいう「体系的な構成」とは、条文制定当時の言葉では「シソーラス」、今風に言えば「ハイパーリンク」などの、キーワードやタグ付けを基に検索先から関連項目に次々に飛んでいく仕組みを指すのであるが、この規定が追加された1980年(昭和60年)当時とは違い、マシンパワーの増大によって、今や全文検索が簡単にできるようになっている。そのような時勢において、キーワードやリンク付与型のデータベースだけを念頭においた規定はいかがなものであろうか…。
実はそのような、著作物性の無いただのファクトデータだけの集めたデータベース(専門用語で「創作性の無いデータベース」という)の保護をどうするかという問題は20世紀末に盛んに議論されたのであるが、その後、急速に立ち消えになっている。しかしながら、世間で言うところの「ビッグデータ時代」には、まさに創作性のない膨大なデータの塊がうようよしているのであり、そのビッグデータの財産的価値の保護のあり方を正しく論じるためにも、今一度、このような新事案と旧技術の問題について検討すべき時期に来ているのではないだろうか…。
【著作権は須川氏に属します】