第410号コラム:湯淺 墾道 理事(情報セキュリティ大学院大学 学長補佐・情報セキュリティ研究科 教授)
題:「韓国警察のデジタル・フォレンジック事情」
今年の2月に、韓国を訪問し、釜山中央警察署において韓国警察におけるデジタル・フォレンジックについてインタビューする機会に恵まれたので、今回のコラムではそれについて若干ご紹介することにしたい。
インタビューに応じて下さったのは、釜山中央警察署の権昌萬 サイバー課長と2名の捜査員で、崔祐溶 東亜大学校法科大学院教授にも同席して頂いた。
韓国警察には、警察捜査研修所という研修所がある。研修所では複数のレベルのカリキュラムで教育を行うが、デジタル・フォレンジックに従事するサイバー警察官は、必ず専門課程の研修を受けなければならない。さらに専門課程カリキュラムを終えた者が、高級課程に進むことができる。
日本の警察大学校と異なるのは、韓国の警察捜査研修所の高級課程には、警察官だけではなく、海洋警察からも研修の受講者が派遣されていることであるという。これは、日本の海上保安庁とは異なり、韓国の海洋警察は内務部に所属する機関として発足し、その後警察庁に所属するようになった経緯があることも関係していると思われる。なお海洋警察は、2014年に発生した「セウォル号」沈没事件における初動対応の失敗や救助の不手際、その後判明した多数の不祥事に対する国民の批判の高まりから、朴槿恵 大統領によって海洋警察庁が解体され、海洋警察における捜査機能と救助警備機能を分離する形で再編されている。
警察捜査研修所には委託教育課程という制度があり、一般企業でサイバーセキュリティの技術を持っている会社から専門家が派遣されて研修を受け、認定を受ける場合もあるとのことである。
また、警察内部の研修所だけではなく、外部への派遣も積極的に行っており、3年前からサイバーセキュリティに関する大学院修士課程を持っている大学に、1年に20名程度が警察から派遣されているとのことであった。釜山中央警察からは昨年は1名が派遣され、今年は2名派遣される予定であるという。なお、大学院への派遣や留学については、警察官が自費で入学する場合も多いという点も含めて、韓国の警察は総じて熱心という印象がある。
ちなみに今回インタビューに応じて頂いた権課長は京都大学大学院法学研究科に留学した経験があり、行政法の芝池義一 教授(現・関西大学大学院法務研究科教授、京都大学名誉教授)の指導を受けたとのことで、インタビューの際には日本の行政法と韓国の行政法の異同が話題になった。特に近時の韓国の行政法においては、法の体系性よりも、眼前に生起する問題に対する即効的な対処と被害者救済を重視するアメリカ法な傾向が顕著になってきているという。その一例は、性暴力犯罪の増加(2001年から2010年までにほぼ倍増し年間約2万件)という問題への対策として、性犯罪者の身上情報公開制度(2000年)及び電子的な位置情報公開制度(2005年)が導入されると共に、2008年に性暴力犯罪者の性衝動薬物治療に関する法律が制定されたことであろう。この法律は、常習的な性犯罪者に対し、強制的にホルモンを抑制する薬物を投与して化学的去勢を行うことを裁判所が命令する手続を定めるものである。副作用もあり、違憲の疑いもあることから、当然に韓国国内でも反対論があったとのことであるが、世論に押し切られるような形で制定されている。
ところで、警察に限らずわが国の公的機関においては、デジタル・フォレンジックの技術や専門性と、組織内部における階級や地位等とが必ずしも合致せず、専門家の処遇にあたって問題が生じているという例がみられる。韓国の警察の場合も同様の問題があるとのことで、この問題を解決するため、日本の都道府県警察に置かれている特別捜査官に類似するサイバー専門捜査官という制度が発足した。5年以上のサイバー専門捜査官経験を有し、特にすぐれた専門技術を持っている捜査官に対しては、マスターという称号が与えられるとのことである。このマスターという称号は特定の階級に連動するものではないとのことで、専門家に対する階級や地位による処遇が難しいため、このような称号を与えることで、ある種の処遇のインセンティブとしているようである。しかし、デジタル・フォレンジックやサイバーセキュリティに関係する企業は高条件を提示して人材を集めているため、韓国では公務員よりも民間企業のほうが定年が早く、退職後の年金は公務員のほうが優遇されているにもかかわらず、専門的な知識と技術を持つ捜査官が民間企業に移ってしまう、という問題が発生しているとのことであった。
今回はインタビューの時間が限られていたこともあり、あまり技術的な点については詳細に質問することはできなかったが、日本のデジタル・フォレンジックにおいても問題になってきている揮発性媒体(RAM等)からのデータ抽出の方法、各種のSNSやメッセンジャーを利用して暗号化された状態でやりとりされるメッセージの解読等が課題となっているとのことである。また専門家の処遇をめぐる問題など、日本と同様の悩みを韓国の警察も抱えている様子を瞥見することができた。
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