第637号コラム:伊藤 一泰 理事(一般社団法人日本野菜協会 アドバイザー)
題:「劣化する日本人に思うこと」
子供のころ、母から「いつもお天道様は見ているよ」と言われて育ちました。60年以上も前のことですが、しっかり記憶に残っています。誰も見ていないから、ちょっとズルしてしまいたい誘惑にかられたとき、この言葉が頭をよぎりました。「きょうは曇りだから大丈夫だ」と自分に言い訳して、こっそりズルしたこともあります。
宗教の世界では、「天国」や「極楽浄土」に行けるかどうかは、日常の行いが正しいかどうかにかかっていて、自分の行動が間違っていないか、常に自問自答して暮らしていくことが求められています。米国の女性文化人類学者ルース・ベネディクトが、西洋は「罪の文化」、日本は「恥の文化」だと記述した「菊と刀」が出版されたのは1946年のことです。戦後、日本が急速な復興を成し遂げ、高度成長に突き進んでいく過程と、この「恥の文化」の考え方がリンクしていたように感じておりました。
柄にもない書き出しになりましたが、何が言いたいかといえば、自分で自分を律することが、最近の日本では難しくなっていると感じるからです。マナーを守らなくても恥ずかしくない。少しでも他人を出し抜いて得をしたい。かしこい人や情報を早く知った人が得をするのは当然だ。出遅れた人や情報に疎い人が損したとしても自業自得だ。情報弱者が損をするのは当然だ。悔しかったら頑張って人より早く情報をとってきたらいい。こんな風潮を感じてしまうのです。
法律や制度の抜け穴をつく悪徳詐欺師は昔から存在しました。強盗や押し売りは、むしろ少なくなって安心安全な世の中になったという人もいます。マンションのセキュリティも格段に向上しています。それでも悪徳業者や不埒な輩に搾取される高齢者などのニュースを聞くと心が痛くなります。「情報弱者」が被害にあう事例が多くなったと感じるからです。巷には、ズルは悪いことではなく賢さの証明だと言わんばかりの主張があふれています。
新型コロナウィルス感染拡大の影響で売上が減少した中小企業や個人事業主の救済策としてスタートした「持続化給付金」制度で多くの不正受給が発覚しています。多い手口は、受給資格のない人間があたかも受給要件に合致するように、確定申告書などの書類を偽造するケースです。これはまさに国家を相手にした詐欺行為です。不正受給の方法を伝授して報酬を得る「指南役」の存在も明らかになっています。汗水垂らして働くことより楽な方法で稼ぎたい。不労所得で贅沢したい。これは人間として「堕落」であり、同じ日本人として、「劣化」したと言わざるを得ないと思います。
技術面ではどうでしょうか。一般の人々を対象とする大きな社会システムで考えてみました。金融機関のシステム統合に伴うトラブルで強烈な印象が残っているのはみずほ銀行の事案です。第一勧業行、富士銀行、日本興業銀行の3行が統合し誕生したみずほ銀行は、2002年4月1日の新銀行スタート初日にATM障害をはじめとする大規模なシステム障害が発生しました。
一方で、同時期にスタートしたICカード乗車券システム“Suica”については、このようなトラブルが起きた記憶はありません。2001年11月、東日本旅客鉄道(JR 東日本)が導入したこのシステムは、非接触 IC カードと自動改札機などの出改札機器と無線通信による処理を行い,この出改札機器とサーバとが有線により処理をする仕組みとのことです。もし、トラブルが発生してもシステム全体へ拡大しない仕組みになっており、さらに出改札機器には、鉄道輸送の特性から高速処理と高信頼性の確保を実現する技術とアプリケーションが導入されています。注(1)
みずほ銀行のケースと比較するのは条件が異なり、みずほ側に酷な面もありますが、同時期の大規模システムの開発で明暗を分けたのは何なのか、大変興味を持った二つのケースです。その後に開発されたシステムは、これらの経験を生かしたものになっていると思っていましたが、最近のGo Toトラベルの複雑な申請方法や途中のルール変更などの大混乱を見ると不安材料は払拭されていないと思います。最近のケースは、新型コロナウィルス感染症対策としての緊急性は理解できますが、あまりにも場当たり的で詰めが甘く不正利用の温床となっています。また、ネットが使えない高齢者などの不公平感を残すものになりかねないと懸念しています。一方で、NTTドコモの電子マネー決済サービス「ドコモ口座」を利用した不正な預金引き出し事件なども発生しています。もし、日本人が劣化したのならば、「お天道様が見ている理論」は通用しません。そうであれば、お天道様の代わりに「デジタル・フォレンジックが見ている理論」が必要な時代なのかなと思う今日この頃です。
【参考文献】
注(1)椎橋章夫:「IC カード出改札システム“Suica”の開発と導入」
日本信頼性学会,Vol.25-No.8,(2003年)
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