第118号コラム: 町村 泰貴 理事(北海道大学大学院 法学研究科 教授)
題:「まずいメールを消去する人々」

 大相撲の野球賭博問題に関連して、かの伝統を重んじる世界でも力士達は当然のように電子メールを利用し、携帯電話を情報送受信端末として使っているということが明らかになった。そして賭博にも、連絡ツールとして携帯電話が活躍していた。ところが、自己申告による賭博調査が行われると、自ら名乗り出れば厳重注意で済ませるという当初の触れ込みに釣られて「やりました」と認めた力士達も、情報をやりとりしたはずの携帯電話には賭博連絡メールが残されていなかったという。

 賭博がどれほどの悪事かは議論の余地があろうが、ともかく力士達にとって後ろめたいことであることは間違いない。それは賭博をやっていることをばらすぞと言って、数百万円も脅し取る材料となることからも明らかだ。そういう後ろめたい行為の証拠が電子メールに残されているとき、当事者は一刻も早く、そのメールを削除してしまいたいと思い、そのように行動する。

 このことは、古今東西を問わず、紙媒体資料でも同じであり、色々な戦争で敗戦間際には不都合な書類を焼却するという行動が見られた。そして一般にはデジタル情報の方がより容易に消去・削除できるという先入観がある。しかし、デジタル情報を削除しても、記憶媒体から復元が不可能な状態に直ちになるわけではないし、電子メールなら当該記憶媒体以外の媒体に残されている可能性が高い。皮肉なことに、ある情報を削除するということは携帯電話やパソコンの利用者は利用できなくなるだけで、その利用者に不利な情報はしぶとく生き残る。

 賭博にはまった力士達は、そのようなデジタル情報のしぶとさをよく知らなかったので、まずいメールを削除したのかもしれない。あるいは単に目の前から消したいというだけのことだったのかもしれないが。これに対して日本振興銀行事件は、人間の素朴な感情に動かされてやってしまった「消去」ではない。金融庁の検査を前に、まさしく「まずいメール」を組織的に消去したという事件であり、検査妨害として立件されるに至ったのである。その真偽は裁判を経て確定されることだが、少なくとも報道されている関係者の話では、木村剛氏が自らメール削除を指示して、社内的にもそれに従ったということである。

 仮にも銀行を名乗る組織で、業務として電子メールを利用していて、不都合なメールの削除がどういう結果をもたらすか、分からなかったはずはないと思うのだが、それでもやってしまうというところに驚きを禁じ得ない。

 確かに、自己の不利益に直結する情報を消去してしまえば、その不利益を避けられる可能性はある。消去しても復元が可能だというレベルは、消去を徹底的に行えば、ある程度は克服することが出来る。もし情報が一つのディスク上にしかないのであれば、そのディスクを破壊すれば済むし、情報をすべて上書きすることでも復元は出来なくなる。しかし本来あるべきディスクが特定の時期に破壊されたり復元不可能にするための上書きがされていれば、その痕跡は明白である。情報を残さないように徹底的に消去をすれば、もはや過失ではなく、故意に情報を消したことが明らかとなってしまう。

 不利益な事実の存否が疑われているときに、その存否を明らかにできる媒体が故意に廃棄されていれば、不利益な事実があったことを認めるのに等しいのである。

【著作権は町村氏に属します】