第72号コラム:辻井 重男(IDF会長、中央大学 研究開発機構 教授)
題:「情報新時代に求められる教養と人材育成―総合力と止揚力」
下記の文章は、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃成功のニュースに接したある文芸評論家の日記である。誰の文章かお分かりだろうか。
「妙に静かに、ああこれで言い、これで大丈夫だ、と安堵の念の湧くのを覚えた。この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきりと与えられた喜びと、弾むような身の軽さとがあって、不思議であった」、「大和民族が、地球の上では、もっともすぐれた民族であることを、自ら心底から確信するためには、いつか戦わねばならない戦い」(ドナルド・キーン(著)、日本人の戦争 作家の日記を読む (文芸春秋)より)。
これは、戦後、昭和30年代を中心に「文学に関する12章」や「女性に関する12章」などのベストセラーを世に出した著名な英文学者・文芸評論家、伊藤整が記したものである。伊藤整は当時、東工大の教養課程の講義もしており、筆者も受講した1人であった。日米開戦時、同じような感想を持った著名な文学者や作家が少なくない。
それより1年前の昭和15年、西田幾多郎ほどの大哲学者が、大東亜戦争を理論武装する発言をしているのも気にかかる。昭和15年、ある論説(日本文化の問題、岩波書店)で、「矛盾的自己同一的世界の形成原理を見出すことによって世界に貢献しなければならない。そのことが、皇道の発揮と言うことであり、また、八紘一宇の真の意義でなければならない」と述べている。前半は、情報セキュリティの哲学にも通じるところがあるが、後半は頂けない。このような論説が、近衛文麿など時の政治家の思考や輿論にも、影響を与えていることは否定できない。
そして、昭和17年7月、雑誌「文学界」は、著名な文化人達による座談会「近代の超克」を特集したことはよく知られている。皮肉なことに、同じ年の6月初め、暗号解読が大きな原因となってミッドウエイ海戦で壊滅的打撃を蒙り、以後、日本は、敗戦への坂道を下ることになる。そのことは、時の首相、東条英機すら知らなかったと言われる位だから、この座談会は、戦勝気分の中で開催されたのだが、それにしても、文芸評論の神様と称される小林秀雄が、昭和17年7月、雑誌「文学界」の座談会「近代の超克」で、「アメリカの機械文明は大和魂には勝てないのだよ」。という趣旨の発言しているのには驚きを禁じえない。この座談会には、当時の文化人達が勢揃いしたが、戦後になって民主主義の元祖のような発言をしていた評論家等を含めて、多くの参加者は小林秀雄に近い発言をしており、数理哲学者の下村寅太郎の「いや、機械を作った精神が問題なのだよ」という声も、少数派に留まった。
歴史の外野席から批判するのは誰でもできると言えばそれまでだが、平凡なサラリーマンでも、経済と科学技術の知識をある程度持っていた人は、日米戦争を始めた当初から敗戦を予想していたのである。私事になるが、ただの勤め人であった私の父は、米国との戦争を始って半年間、日本が連戦連勝で浮かれていた頃から、「この戦争は負ける」と口癖のように言っていた。母親が、「こんなに勝っているのに、どうして、そんなことを言うのか」と不思議がっていたのを記憶している。
山本五十六は、「戦争を始める前に、アメリカへ行って煙突の数を数えて来い」と言ったそうだが、当時のいわゆる文化人達は日米の経済力が一桁違うことや技術力の差を認識していたのだろうか。
(それにしても、五十六は、真珠湾攻撃が、米国民の戦意を掻き立てることまでは読まなかったのか、私は永年、不思議だったが、あるとき、「敵の寝首を掻きたるとて武人の誉れにあらず、敵の戦意を掻き立てるのみ」と奇襲攻撃成功後、語っていっていたという話を聞いて、やはりそうだったかと思ったものである。)
戦時中の発言は大きく割り引いて批判しなければならないとすれば、戦後、日本が坂の上の雲を目指して高度成長を始めた昭和42年(1967年)、朝日新聞に掲載された桑原武夫の次の発言はどうだろうか。「・・・そう考えると、日本はイギリスやフランスより先進国になりつつあるのではないか。・・・もはや近代化は西洋化ではない。・・・象徴的に見よう。パリには、オートマチック・ドアはおそらく三つほどしかない。日本にはパチンコ屋にまである」。これはまたフランス文学の大家の発言とは信じがたい単純さである。技術に対する過大評価から来るのだろうか。桑原武夫は当時を代表する評論家でもあった。
さて、2008年は、日本から4名(正確には3名?)のノーベル賞受賞者でお祭り気分だった。その前に出版された本だが、哲学者で、現在、大阪大学総長の鷲田清一氏が「てつがくこじんじゅぎょう」(バジリコ 2008年2月発行)のオルテガ・イ・ガッセト「大衆の反逆」の項で、次のように述べている。
「これまで、針の穴ほどの狭い領域をやっていた人が、ノーベル賞をもらった途端に、文明論とか教育論をやりだす。それは大衆の典型ではないか」
正面から受け止める話ではないかもしれないが、現代人の教養とは何にかについて考えさせられた。大阪学院大の笠原正雄教授から伺った話だが、湯川博士が日本人初のノーベル賞を受賞される前、敗戦直後の昭和20年10月発行の科学朝日において、「何故、太平洋戦争に敗北したのか」について、湯川博士は、「思想と言っては難しければ、物事の考え方が問題だった」と語っていたという(笠原正雄著「情報技術の人間学―情報倫理へのプロローグー」、電子情報通信学会、平成19年2月)。同じ特集で、フランス文学者であり、俳句第二芸術論で知られる桑原武夫氏は、「日本語は漢字をやめてローマ字にせよ」と主張していた。どちらを教養人と言うべきだろうか。
湯川博士は、私が高校生の頃、全集5巻を出版しており、とても「針の穴の専門家」とは思えず、知的貴族のように思われたことを記憶している。狭い分野を通して、普段考えていたことを、ノーベル賞受賞を契機に話し始める学者も多いように受け取れる。個人差が大きい問題でもあるし、理工系研究者の社会的発言の機会が少ないのも問題かも知れない。
しかし、湯川博士は例外で、一般には、我々、理工系の専門家は視野が狭くなる傾向があるのも事実だろう。だが、それは、いわゆる理系・文系を問わず、ある分野で優れた多くの専門家に当てはまることのように思われる。
他方、いわゆる文化人についても、社会全般を長期的に見通す眼力と視野の広さが求められることを、筆者は、内閣官房や総務省で電子行政推進に関係している観点から痛感している。
これまで、教養といえば、文学や哲学に偏っていたが、経済や科学技術を通して現実を広く見通す目を養うことも、特に世論をリードする人達に求められる。著名な文化人達は、本人が意識しているかどうかは別として、教養人の鑑とみられており、その発言は、結果的に世論に大きな影響を与える立場にあり、社会の進展に及ぼす力が大きい。
冒頭、古い話を持ち出したのは、情報化の流れを読めない文化人や作家、評論家が現在も少なくないからである。国民にID番号を持たせようとすると、決まってプライバシー侵害論が出てくる。平成15年頃の住民基本台帳カードに関する議論の折もそうであった。それだけが要因ではないが、今や、日本の行政電子化は欧米や韓国に大きく遅れをとってしまった。国民がID番号を持つことは、自己のプライバシーを守りつつ、年金、税金、介護、医療等の情報を知るための権利なのである。官民連携による健全な電子化を阻害することは、日本経済を停滞させ、国民を不幸にする。仮に、自分の年金の状況を、自分だけのID番号で確認できるような電子私書箱があったとすれば、数年前の年金騒動はなかっただろう。
神様扱いされている哲学者や評論家を一工学者の私が批判するのは如何にも僭越の沙汰だと言われそうだが、物事は総合的、長期的、大局的に見なければならず、それは一つの分野で如何に傑出した人でも簡単に出来ることではないから、有名人へのブランド思考的な敬意は禍のもとと言うことではないだろうか。最近の経済不況に当って、経済界の大物や著名な経済学者がいたく反省している姿を見てその感を深くしている。
さて、教養主義の没落という文化現象が始まって久しいが、情報化の浸透に伴って社会的組織や機能が密結合されるに伴い、快適さや効率性の良さと裏腹に、遍在化・先鋭化する矛盾や不整合を軽減、解消、超克するための思考力、実行力が指導的立場にある人や社会システム・情報システムのデザイナーに求められることから、筆者は、情報新時代の教養を次のように定義してみた。
IT人材に求められる教養とは、遍在化する矛盾対立を超克するための
総合化能力と止揚化能力を涵養することである。
ここで、「教養」を巡る状況について少し考えてみたい。上に述べたように、教養と言う言葉は、多くの大学における教養部解体に伴って、死語になった観もあったが、最近、また議論が盛り上がっているようである。例えば、「学術の動向、2008年5月号」(日本学術会議事務局が編集協力して、日本学術協力財団が発行)では、「21世紀の大学教育を求めて――新しいリベラル・アーツの創造」と題する特集を編集している。
教養といえば、古くはデカンショ(デカルト、カント、ショウペンハウエル)に象徴される大正教養主義、戦後は、大学での教養課程、いわば、大衆教養主義が連想される。後者は、大教室での講義が多く、学生にも講師にも評判が悪く、制度としては崩壊した。電子工学を専攻する筆者は学生時代、それなりに、一般教育の著名な教授たちの講義を楽しんだが、もう少し深い講義を聴きたいという願いから、学生時代以来、副専攻論者になって、今日に及んでいる。
大正教養主義は、個人的人格形成に重きをおくものであった。例えば、昔、広く読まれ、筆者も学生時代、そのムードの良さを味わった阿部次郎『三太郎の日記』(1914)には
「我等は我等の教養を釈迦に・・・基督に、ダンテに、ゲーテに、ルソーに、カントに求むることに就いて何の躊躇を感ずる義務をも持っていない」
と記されている。
このような教養の捉え方は、西洋文化への憧れが濃厚であった日本の特徴であったかもしれない。旧制高校生達は、どこまで理解し得たのかは別として、難解な哲学書を持ち歩いた。しかし、本家の西洋では、ヘーゲルがその著「精神現象学」において、教養(Bildung)に、次のような意味を与えている。
「日常の衣食住の生活をぬけだして教養へ一歩足を踏みだすには、一般的な原則と視点に立つ知識を獲得し、事柄一般を思考できるまでに訓練を重ね、根拠をあげて事柄の是非を判定し、具体的で内容ゆたかな対象を明晰にとらえ、きちんとことばにし、真剣に判断をくだせるのでなければならない。」
(ヘーゲル『精神現象学』 長谷川宏訳)
つまり、人間の精神が、個別性から普遍性へ向かう弁証法的発展のダイナミズムを指している。
日本における最近の教養に関する議論は、むしろこれに近く、また、社会との関係性により重点が置かれている。
例えば、阿部謹也は
「私は教養を次のように定義している。『教養とは自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力して いる状態である』」
(阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書)
また、野家啓一は
「教養とは歴史と社会の中で自分の現在位置を確認するための地図を描くことができ、
それに基づいて人類社会のために何をなすべきかを知ろうと努力している状態である」
(「科学技術時代のリベラル・アーツ」学術の動向 2008年5月号)
と述べている。
何れも、自己の位置づけを踏まえた社会への貢献という視点からの定義と言える。
さて、冒頭に述べた筆者の定義について少し説明しておきたい。まず、総合力とは、特に、その人の主張や発言が社会的に大きな影響を持つ人に特に求められる総合的な視野とバランスの取れた知識、分析力、判断力を指す。
これまで、教養といえば、文学や哲学に偏っていたが、経済や科学技術を通して現実を広く見通す目を養うことも、特に世論をリードする人達に求められる。
情報セキュリティ人材の育成
情報セキュリティが、社会・産業の基盤であることを考えると、情報セキュリティにかかわる人々は上に述べたような教養を涵養することが望ましいが、人それぞれ得意・不得意もあり、興味も異なるし、また、社会も多様な人材を求めている。そこで、極端ではあるが、分り易く、人材を2つに類型化して考えて見よう。尤も人生は長いので、同じ人でも、人生経路に応じて、変化していくことは勿論であり、固定化して考える必要はない。
類型Ⅰ I型 この道一筋と言う研究者、職人型の人材
類型Ⅱ Π型 深い専門的能力に加え、それとは体系を異にする学問分野で副専門を修め、
かつ総合的な知見や教養をベースに止揚力を発揮できる人材。
これ等の人材は、それぞれ社会にとって有用であるが、情報セキュリティは、総合的な知見や止揚力、あるいは戦略立案能力、危機対応能力が求められることを考えると、Π型、人材の果たす役割は大きいし、今、社会が最も求めているのも、このタイプであろう。因みに、戦略(ストラテジー)について、塩野七生氏は、「古代ギリシャ以来使われてきたこの言葉の意味の一つには、予期しなかった困難に遭遇してもそれを解決していく才能、というのもあるのだ」と述べている(文藝春秋 2008年11月号)。要するに、危機対応能力ということである。
筆者が2009年3月まで学長を務めた情報セキュリティ大学院大学では、4つの標準的コースを用意しており、学生は、これを参考にして、自由に自分に応じたカリキュラムを組み立てることが出来るよう配慮している。因みに同大学では、社会人学生が8割以上を占めている。大きく分ければ、
テクノロジー・コース:暗号テクノロジー・コース、システムデザイン・コース
マネジメント・コース:法とガバナンス・コース、セキュリティ/リスクマネジメント・コース
言い換えれば、技術系、社会・管理系に大別される。
特徴的なのは、工学部出身者で、企業等で、技術的な業務についている学生が、マネジメント・コースをとっている学生が相当数在学していること、あるいは既に他大学で修士号を取得していながら、改めて、情報セキュリティを学んでいる学生が10数パーセントに上ることである。いわゆる文系出身者がテクノロジー・コースを履修する学生は今のところ少ないが、そのような人材も必要であろう。いずれにしても、これ等のΠ型人材の養成は、緊急の課題である。
私は、Ⅱ型人材に求められる能力を,深い専門的能力、副専門的知見、総合的止揚力の3階層化している。
第2層の副専門については、電子工学を主専門、機械工学を副専門とすることなどを意味すると考える向きもあるが、筆者の意味する副専門は、主専門とは、価値観や体系を異にする分野からある専門を選択することを意味している。例えば、工学は
価値観がそれほど多様ではないため、工学者、技術者は思考の幅が狭くなりがちであるから、社会科学や人文学のような、多様な価値観に基づいて学問構築がなされている分野から副専門を選ぶのが、様々な価値観が交錯し、矛盾・相克や両義性が先鋭化・遍在化するネットワーク社会を生きる工学者、技術者には望ましい。中央大学理工学研究科では、理工系の大学院学生に、情報セキュリティ法制度や、システム監査などを学ばせる副専攻を開設しており、多くの学生が修得している。本NPO安富副会長にも指導をして頂いた。
第3層の総合的止揚力は、深い専門性と副専門を基盤に、広い視野の下で、例えば、情報セキュリティを俯瞰し、多くの矛盾を軽減、解消、超克しつつ、社会システムや情報システムに対する要求を総合的に止揚する能力を高めることを意味している。
Ⅱ型人材は、欲張った理想的人材像であるが、社会人大学院博士課程学生や、オーバードクターを対象として考えてはどうだろうか。
最後に、少子高齢化が進む日本において、必須となる60から65歳以上の人材活用について、研究分野を念頭において、述べておきたい。高齢者が目標を持って働く、あるいは趣味を持つことは本人の生き甲斐と社会貢献の両面から不可欠である。
筆者は、現在、総務省の競争的研究資金SCOPEのプロジェクト研究「量子コンピュ―タの出現に対抗しえる公開鍵暗号」を実施中であるが、65歳を過ぎて定年になった大学教授等3名も研究分担者として活発な活動を続けている。企業の研究者・技術者は中年になるに従い、管理職的は仕事が多くなるが、定年後、再び専門の研究開発に復帰するのも良いだろう。若いときほどスタミナはないとしても、抽象的概念構築能力は60代から70代がピークであるという学説もある。
そこで、若い研究者の成果を表彰するのと合わせて、高齢者表彰を考えてはどうだろうか。返り咲き賞というのも良いかもしれない。
【著作権は、辻井氏に属します。】