第73号コラム:佐々木 良一(東京電機大学 未来科学部 教授、IDF理事)
題:「文献にもるリスクと人間」

1 はじめに
デジタルフォレンジックを含むITシステムの「リスク」の研究をしている関係から、リスクに関連する文献を読むことが多い。リスク (risk) という言葉は、経済学、社会学、心理学など多くの分野で使われており、その定義は少しずつ違うが、「ある行動に伴って、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」と言う意味においては共通であろう。工学分野では通常、「リスク=損害の発生確率x損害の大きさ」で表されることが多い。

最近次のような3冊の比較的面白い本を読んだので、これらを紹介し感想を述べてみたい。
1)ダン・ガードナー「リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理」早川書房 、2009
2)山岸 俊男「日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点」集英社インターナショナル 、2008
3)ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質(上)(下)」ダイヤモンド社、2009

2 ダン・ガードナー「リスクにあなたは騙される」
著者は、1955年生まれの米国の技術評論家である。著者の基本認識は「現在は史上最も安全な時代である。なぜならこんなに平均寿命が長い時代はかつてなかった。」ということである。 現在の政治や社会を激しく非難する人が多い中で、この認識は卓見であり明らかに正しいものであろう。その認識に基づき、テロ、死を運ぶ伝染病、環境を汚染する化学薬品、ネット上の小児性愛者など毎日新しいリスクが報じられている中で本当にそのリスクは恐れるほどのものなのだろうかということをリスク心理学の知見をベースに実例を挙げながら検証していく。

たとえば、2001年の9.11後、米国では飛行機が危険という認識から1年間自動車の利用者が増えたという。ベルリンのマックス・ブランク研究所の心理学者ゲルド・ギレンザーの調査結果によると、その1年間で米国での自動車事故の死亡者が1595人増加したのだという。これは9.11の不幸なフライトの総死亡者の約6倍にもなる。

飛行機のリスクを過大評価することにより、結果的に死亡者を増やしてしまったということだろう。このことからも人がリスクを正しく認識するのがいかに難しいかがよく分かる。そして、人間がこのような誤った判断をする背景には、マスコミを含めた人々の私利によるミスリードと、人間の感情と理性の関係が現在のシステムに適応し切れないという問題があるとする。それらの記述は、人間がいかにリスクに対し過ちやすいものであるかに関する面白いエピソードが多く、また書かれている内容も合理的なものが多い。その意味でよい本だといえよう。ただ、この本を読んだ読者がリスクに関し完全に適切な判断をできるようになるかというと個人的には疑問を持っている。それぐらいリスク認識の困難性を克服する困難性は大きいのではないだろうか。逆にそれなるがゆえに世の中の出来事に理性的に対応したい人はまずこの本を読んでみることをお勧めする。

3 山岸 俊男「 日本の「安心」はなぜ、消えたのか」
この本は、社会心理学者にして北大教授の山岸さんが自ら書いた名著「信頼の構造」や「安心社会から信頼社会へ」と類似の内容を、編集者と協力して入門書として分かりやすく表現したものである。

ここでは、昔はよかった式の批評のおかしさ、心の教育のむなしさを指摘し、日本人らしさという幻想を、社会心理学やゲームの理論、そしていろいろな実験結果を用いて崩していく。

そして、日本は安心社会(閉鎖的で限られた人々との間でしか取引をしない社会)から信頼社会(オープンで誰とでも取引をするけれど、その分リスクもある社会)へ移行期にあるが、それがうまく行っていないのだという。

その理由は、信頼社会に必要なのは、
(a)統治の倫理・武士道精神(規則遵守、位階尊重、忠実たれ、伝統堅持、勇敢であれ、剛毅、排他的)ではなく、
(b)市場の倫理・商人道精神(他人や外国人とも気安く協力せよという精神、正直たれ、契約遵守、勤勉たれ、楽観せよ、競争せよ、創意工夫の発揮など)
であるがそれが分からず、間違って対応している点にあるとする。

たとえば、信頼社会に、組織への忠誠心のような武士道から派生したものを入れるために汚職が起こってしまうという。そしてこのような不祥事に行政に企業をより厳しく監視させようとするマスコミなどの行動をおろかなことと批判し、人々からポジティブな評価を得た人が得をする社会の仕組みを作るべきであると主張する。

最近の社会の状況を見ていると、このあたりはなるほどと思う点が多い。しかし、商人道精神があればうまくいくのかというとそうでないようにも思え対応は簡単ではなさそうである。いずれにしても、簡単に読める本でありながら、いろいろ考えさせてくれる点が多く非常に面白いお奨めの本といえよう。

4 ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン(上)(下)」
米国でベストセラーとなった本の邦訳である。著者は、レバノン出身で米国に滞在のトレーダ兼客員教授で、この本を読んでいると哲学、歴史、経済学、心理学、統計学、情報科学などに人なみ外れた知識を持つのがよく分かる。

表題となった「ブラック・スワン」とは、オーストラリアで発見された黒い白鳥に由来するものであり、ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象を意味している。本書で扱っている内容は、人間には、黒い白鳥の出現に見られるようなランダム性、とくに大きな変動は見えない、という問題である。その理由として、人間には「プラトン性」と呼ぶべき純粋で扱いやすいものばかり焦点を当てる傾向があるとする。その際に利用するモデルとは、役には立つが気まぐれにひどい副作用を起こす薬のようなものであり、十分な注意が必要で、実証的懐疑主義が不可欠であるという。このようなモデル、とくにベル型カーブ(ガウス分布、正規分布ともいう)を用いて予測を行い、講釈を述べる統計学者や経済学者を著者は激しく非難する。
また、現在は、「月並みの国」だけでなく「果ての国」とも言うべき世界が広がっており、2つの国の特徴は以下のとおりであるという。

月並みの国 …

従来の国。物理法則に縛られる世界であり、弱いランダム性に支配される。身長、体重やカロリー摂取などがその世界のもので、その分布は正規分布に近い。ここでは、極端にはずれたものは出現せず、比較的予測がしやすい。

果ての国 …

拡張可能性のある世界に生じるものであり、強いランダム性に支配される。本の売り上げや収入、都市の人口などがその世界のものである。正規分布では決して扱えない世界。データを積み重ねても知識はゆっくりと不規則にしか増えず、予測のつかないことに支配される。

そして、果ての国の問題に対して月並みの国のアプローチを行い、ベル型カーブに基づき予測や最適化をおこなうので多くの経済学者は大きな間違いをおかしてきたという。リーマンショック前後の状況をみると、これらの指摘は傾聴に値するものであろう。

このように、正当で非常に有益な記述は多いが、さてと首を傾げたくなるような指摘もある。著者は、「黒い白鳥がいる世界では、予測をしようとするのではなく、その世界に順応するしかない。そして、反知識を利用して、失うものがほとんどなく、万が一起これば得られるものが大きいものに賭けるのがよい」と主張する。たとえば、資産の大部分(85 – 90%)を安全な金融商品(米国債など)に投資し、残りは投機的な賭け(オプションなど)に投資するのがよいという。しかし、このような判断の根底にあるものは、「投機的な賭けは確率的に儲かる場合が多い」という”予測”ではないのか。そうでないなら、安全な商品だけに投資するのが合理的だということになる。この部分は、懐疑主義の重要性を主張する著者が、自らの判断には疑いを挟んでない、という矛盾につながるのではないだろうか。

私自身は、予測を行うことが悪いことだと思わない。拙著『ITリスクの考え方』(岩波新書)にも書いたように、世の中にゼロリスクはない。したがって、すべてのものを対象に対策を実施することはできないので、それぞれのリスクを定量化、あるいは準定量化した上で、対策のプライオリティ付けを行うことが不可避だと思っている。ただし、その数値を絶対的と思わないことが大切であろう。すなわち、定量的に分析し、定性的に判断するという試みこそが重要なのである。そして、それぞれの最終的な判断は、それぞれの自己責任に帰すものだとすれば、主観確率の概念を導入し、客観確率と定性的判断の間に設置すべきであると思う。

5 おわりに
以上リスクと人間について書かれた3つの本を紹介した。いずれも魅力的な本である。しかし、同時に人間がリスクにきちんと対応していくのがいかに難しいかを示した本であるともいえる。それなるがゆえにリスクの研究は面白いのだと思う。主観確率とリスクコミュニケーションの問題など、リスクに関してはまだまだ研究すべき課題は多いと思う。これからも、ITリスク学の確立に向けてがんばって行きたいと考えている。

【著作権は、佐々木氏に属します。】