第758号コラム:西川 徹矢 理事(笠原総合法律事務所 弁護士)
題:「新生サイバーセキュリティ対処方策検討へのエールと期待」
咋年11月、読売新聞に、政府が我が国サイバーセキュリティ事案発生時の対処等について、近々にも、組織的かつ抜本的な対処手法の変革に取り組むとの小さな記事が掲載され、関係者の目を引いた。
ロシアによる昨年2月のウクライナ侵攻以来、世界の安全保障情勢が変容し、我が国の安全保障政策も大きく見直される中、その一環として、サイバーセキュリティ関連分野における最新の技術が戦術面等でも広く重用され、これら新しい局面も織り込んだ観点からの見直しや、平生時の利活用にまで及ぶ根幹的な見直しの必要性が指摘されるようになった。その結果、咋年末に公表された「国家安全保障戦略」でもアクティブ・サイバー・ディフェンスの導入等が明記され、我が国におけるサイバーセキュリティ等分野の進歩性も注目された。
そして、年が明けた1月31日、松野官房長官が記者会見を開き、内閣官房に「サイバー安全保障体制整備準備室」の設置を公表し、「我が国のサイバー安全保障分野の対応能力を欧米主要国と同等以上に向上させることは喫緊の課題だ」として、45名の体制をもって、来年の通常国会を目指し、必要な法制度の改正等の整備を図り、併せて既存の内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を発展的に改組し、新たにサイバー司令塔組織を設置するという抜本的な政策の見直しに着手すると公表した。この報に接し、私は、我が国のサイバーセキュリティ対処もいよいよ本格的な実働型のものへ変革し出したと感じ、その決断を喜びつつ今後の再構築の見直しに期待を込めて大いに注目したいと考えている。
1995年頃から数年間にわたり、私も、公務員の立場でその分野の仕事に深くかかわったが、当時は、急激に進化する高度情報化社会の中でその先待ち受けているマイナス面の弊害の規模等が十二分に把握出来ないまま、問題視され出した時であった。
そして、時あたかも、その一つの極みとも言うべきものとして、メインフレームを含めた全てのコンピュータにかかわる所謂「2000年問題」等が世界中で取り沙汰され始めた頃でもあった。
この問題については、我が国も世界各国と歩調を合わせるように、国を挙げての態勢を備えて、具体的対処措置等について議論を重ね、次々と対策を講じた。そして、その中で遂に1999年の大晦日を迎え、その夜は、除夜の鐘を聞きながら、多くの国民が、一斉に「我々に降りかかったこの難題も遂に無事乗り切ることができた」と安堵の胸を撫で下ろしたものであった。
ただ、残念ながら、この年の年明けはそれだけでは終わらなかった。新年の言祝ぎと諸行事を堪能した頃合いの2000年1月24日、我々の祝賀行事を嘲笑うかのごとく、わが国政府の表看板でもある各省庁のメインホームページ等が約2週間にわたり、立て続けにサイバー攻撃に晒された。シンボリックな名のついた科学技術庁等がこの期間中に2回ホームページ改ざんの被害に遭うなど、その対応や体制の脆さが集中的に晒され、大きなダメージを受けた。
幸いなことに、我が防衛庁は、2K問題の一環としてホームページやネットワーク等の安全確保も念頭に置いて十分な対応を行っていたため、この問題をクリアーすることができた。また、その余の公共機関及び民間組織についても、それぞれに組織を挙げてその対策や対処に励み、被害を回避ないしは最小にしながらこの試練を凌ぐことができ、それぞれに国や社会に貢献できたと、懐かしく思い出す。
ところで、上述のこの度発表された、サイバー安全保障体制整備準備室を中心にした対応策の抜本的見直しについては、まだ詳細は十分に知らされていないが、会見内容から判断すると、検討の内容や方向性がかなり具体的かつ明確に示されたものが多いという。しかも、論点の中には十分な解決策と言えるまでの結論を導き出すにはかなり難しそうなものや、論点そのものよりも他分野との調整や取りまとめの対象が広く、とりわけ他国や多くの国際機関にまで及ぶようなことがあれば、決着までに膨大な時間がかかりそうなものもあり得るやに思われる。
ただ、その一方で我が国が置かれる安全保障環境の中で一日も早い解決策を見出さなければならない現実的な要請もあり得る。このような重要かつ困難な中で、この度使命を受けて立つ関係筋の方々の献身的かつ不断の努力に心からの敬意と感謝を示し、その任務成就に心から期待いたしたいと思います。
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