第757号コラム:町村 泰貴 理事(成城大学 法学部 教授)
題:「AIによる裁判予測は裁判官の独立を脅かすか?」

 昨今のAI技術の発展は、ChatGPTの登場に示されているように、目覚ましいものがある。このことは、いわゆるリーガルテックの世界においても同様であり、いわゆるPredictive Justiceと呼ばれる用いられ方においても、有名なCOMPACの再犯予測ツールのみならず、様々な技術進歩が行われている。

 その一つとして、裁判官ごと、あるいは裁判官と弁護士の組み合わせごとの判決傾向を分析し、判決文や決定文において用いられている言葉に着目した分析も行い、特定の裁判官の下で係属した事件の類型ごとに、どのような判断がされる傾向があるかを予測的に示すサービスが、アメリカのいくつかのリーガルテック企業において行われている。

 例えば、premoitionというサイトでは、特定の裁判官の全既済事件の結果を表示させることができ、その裁判官の下で当事者代理人として関与した弁護士のリストも表示できる。そこで例えば自動車事故による損害賠償請求事件について、特定の裁判官が何件担当し、何件原告勝訴判決を出し、その審理期間が平均でどれくらいかかったか、さらにその裁判官の下で特定の弁護士が原告側代理人となったときの結果が何件くらいその弁護士の勝訴で終わったか、というデータが示される。また、特定の弁護士について、担当事件とその結果の集計、特定の裁判官の下での結果を示すこともできる。さらに、原告側弁護士と被告側弁護士のそれぞれを特定の弁護士が担当した場合の結果の集計も出すことができる。それによって弁護士Aと弁護士Bとが原告側・被告側代理人となった場合の勝敗率、それが特定の事件類型ではどう変わるか、また特定の裁判官の下ではどう変わるかを、数字とグラフで示すことができる。

 このサービスの主なターゲットは、弁護士や法律事務所が事件を受任したときに、共同代理人弁護士をスカウトする場合の検討材料とすること、あるいは保険会社や反復して訴訟当事者となる企業の法務が弁護士の選択をする場合の検討材料とすることである。従って、裁判所の判断予測よりも、弁護士のパフォーマンスを測定することに主眼が置かれている。その意味で、このコラムのタイトルにあるような、裁判官の行動を分析することはとりあえず中心課題ではない。また、いかに訴訟社会のアメリカとはいえ、裁判官と弁護士、そして事件類型に分けて既済事件を分類すれば、その件数は極めて少なくなる。自動車事故損害賠償といったかなり荒い事件類型でも、特定の裁判官の下でA弁護士とB弁護士がそれぞれ代理人として関与した件数は多くても数100件、少なければ1件とか0件とかであろうから、統計学的な確率計算による予測に耐えうる数ではなく、むしろ直感的な印象を呼び起こすものにとどまるのであろう。さらにいうと、アメリカの場合は陪審制度をとっているので、本案判決の内容を担当裁判官の傾向とすることが妥当かどうかは留保が必要である。なお、上記のサイトでは、付随的申立てmotionについての裁判官の判断も集計されており(Motions Analyzer)、特定内容の申立てが特定裁判官の下で認められやすいかどうかという分析がされている。同じやり方が本案裁判についてされていないのは、陪審制の故であろうと思われる。

 なお、判決予測に関しては、別のリーガルテック企業が提供しているサービスRavel Lawで、判決文のテキストマイニングにより、裁判官がどのような資料や証拠、先例を重視するかを示し、当事者代理人の訴訟追行に役立てようとするものがある。

以上のようなデータ駆動型のリーガルテックでは、機械学習と自然言語処理といったいわゆるAI技術が活用され、リーガルリサーチの労力の縮減のみならず質的な転換にも繋がる可能性がある。

 さて、タイトルに戻って、裁判官の判決文を網羅的に収集して分析し、判決文に現れた判断傾向や資料・証拠の評価の傾向、さらには過去の判例との関係などが明らかになり、しかも事件の内容による傾向が明らかになると、そうしたレビューが裁判官の独立を危うくするのではないかという議論が存在する。判決文のオープンデータ化は、特に大陸法諸国において近時進められている課題であり、日本もその例にもれないが、フランスではひと足早く判決文のオープンデータ化を行う立法がなされた。その立法過程で、当事者氏名や住所などをマスキングすることは当然とされたが、賛否が分かれたのは裁判官と書記官の氏名などである。特に裁判官の氏名を明らかにした判決データを公表し、分析を可能にすると、裁判官ごとの判断傾向が明らかになり、場合によっては当該裁判官への個人攻撃につながったり、当事者の訴訟行動の変容に、極端な場合はフォーラムショッピングにつながったりする可能性があるというのが、反対論であった。

 裁判官の判決傾向からその裁判官の個人攻撃につながるという例は、日本でも実例があり、絵空事とは言えない。有名な例では、破産免責に対して免責不許可事由の厳格な適用で不許可決定を乱発し、上訴審でことごとく覆されたという裁判官があり、極めて評判が悪かった。また行政訴訟で被告側敗訴判決を多く出したことで「国破れて3部あり」と特に官僚から揶揄されたり、医療事故訴訟の担当となってやはり被告側敗訴判決を多く出し、感情的とも言える非難を受けた裁判官がいた。こうした例に限らず、裁判官の判断傾向は、特に弁護士の間では噂となって出回り、隠然たる評判となり、場合によっては裁判官評価制度にも反映されたりする。そして、オープンデータとなった判決を網羅的に分析すれば、判決決定の結果だけでなく、理由の中に現れた思考傾向や判断傾向が明らかになりうる。インターネット社会である今日、裁判官ごとの傾向が批判的にネット上で取り沙汰され、集中的な非難の対象となったりすれば、裁判官の判断に一定の萎縮効果をもたらすことも考えられないではない。

 しかし、裁判官の判断は、国の国民に対する権力作用の一つであり、その判断について主権者たる国民が情報を得て、批判的に検討し、当否の評価を加えることはむしろ当然である。もちろん、裁判は個々の裁判官が行うものではなく、裁判所として行うもの、もっというと国民の名において行うものであり、原則として裁判官の個人責任に帰せられるものではない。とはいえ、建前はともかく、現実には裁判官が、その独立性を背景にして、法律と良心とに従って自らの責任において判断を下すのであるから、その判断内容について裁判官ごとの批判的検討と評価の対象とされるのはむしろ当然である。そして高度に独立性が保障され、行政権からも立法権からも事件処理について介入され得ない裁判官の判断について、批判することができるのは国民だけであり、それこそが裁判の公開の意義である。そのように考えると、裁判官の独立が保障された社会において、裁判官ごとの裁判評価を行い、その批判にさらされるというのは妥当なことである。

 ただし、裁判に対する批判を超えて、個人攻撃を加え、勤務先に押しかけたり、場合によってはプライバシー空間にも立ち入って攻撃をすると行ったことが許されるわけではない。そうした行為については、刑事罰も含めて、抑止方法を考える必要があろう。

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