第9号コラム:和田 則仁 理事(慶應義塾大学医学部 外科 助教)
題:「誰のためのフォレンジック?」

 

多くの業界と同様に、医療の世界でも情報の電子化が進められています。電子カルテのように従来紙に手書きしていた記録が電子化されたり、伝票処理していたオーダー情報がオーダリング・システム導入により電子化されたりしています。また、心電図、レントゲンなどの画像データやビデオテープなど、従来アナログデータとして記録されていたものもデジタル化が進み、部門システムや個別の媒体でデジタルデータとして蓄積されてきています。

 

一方で近年、医療訴訟が増加していることは、多くの皆さんが日々の報道の中で実感していることと思います。法的争いの中で、診療録は重要な証拠となるわけですが、診療録は通常、医療機関で保管されていることから、医療側による改ざんの有無が争点となることがあり、訴訟の中で診療録の改ざんが認定されることも少なからずあります。例えば、東京女子医大の心臓手術事故では、元担当医の診療録改ざんが明らかとなり、証拠隠滅罪で罰せられるとともに、保険医登録取り消しの行政処分が行われました。

 

このような電子化されたデータの証拠性を担保することは、まさにデジタルフォレンジックが取り扱う分野であり、紛争の解決には重要な意味を持ちます。医師の中には、従来、医療側に偏重していた診療情報が、客観的な記録として白日のもとに晒されることに抵抗を感じる向きもあるようです。「後医は名医」という言葉があります。これは、結果を知った上で偉そうなことを言う医師を戒める言葉ですが、時々刻々と変化する患者さんの状況や限られた情報や手段のなかで、悩みながらも一定の「裁量」の下に行ってきた医療行為に対して、事後的に批判的吟味が行われれば、結果論で非難されることがあり得るため、医師には漠然とした不安感があるといえます。しかしながら、重要なことは専門家による事後的な医療行為の検証が可能な客観的なデータが残されていることであります。そのようなシステムがうまく機能していれば、たまたま診療の結果が悪かったからといって提訴されたような場合には、不当な判決から逃れることができますし、もし明らかな過誤が認められるのであれば、隠し立てが許される時代ではないので、非を認め、早期の患者救済につなげていくことが可能となりうるでしょう。

 

避けることのできない事故だったのか、防止しえた過誤だったのか、これが明らかになることの意義は大きいはずです。すなわち、書きかえることのできない検証可能な医療情報が残されていることで、医療者と患者との間に疑心暗鬼が払拭され、相互理解と信頼関係が構築しやすくなることが期待できます。この信頼関係こそが、医療の質と患者の満足度を高め、不要な争いをなくしていくための重要な鍵になると思います。さらにこのような関係樹立は、リスクの高い診療科での勤務医不足の問題や、救急医療でのたらい回し問題の解決にも貢献しうるといえるでしょう。

 

デジタル・フォレンジックは、患者さんのため、医療従事者のため、そして社会のために役に立つ学問である思います。